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カテゴリ:食事
暑さが一段落というには、まだまだ程遠い感じがする昨今、清涼飲料がありがたい存在のようにも思えます。糖分が多い事などから批判的な意見も多い清涼飲料ですが、その歴史は意外なほど古く、意外な有名人がその発明に関わっているという話があります。
清涼飲料、特に炭酸飲料に関しては、世界三大美女の一人、クレオパトラが発明したという意見があります。クレオパトラは、美容のために非常に高価な真珠をワインに溶かして飲んでいたという有名なエピソードがあります。 真珠は炭酸カルシウムの塊でもある事から、ワインの酸によって溶かされると化学反応が起こり、炭酸ガスが発生します。炭酸ガスはワインの中に溶け込み、微炭酸の飲み物となっていた事が考えられます。微量でも炭酸を含んだ炭酸飲料であり、ワインの酸味を真珠が中和してくれる事で飲みやすい味わいに変化した清涼飲料という事ができ、カルシウムを含む健康飲料、機能性飲料であったという事ができます。 炭酸飲料に関しては、古代ローマではすでに天然に湧き出している鉱泉を飲用していた事や、古代エジプトでのビールの存在を思うとクレオパトラが初めてではないような感じがしてくるのですが、人工的に炭酸を発生させて炭酸飲料を作るのは彼女が初めてのようにも思えてきます。 水に果物を使って味や香りを付けるという事は、メソポタミアのバビロニア人によって行われていて、レモンを使って酸味と爽やかな香りを加えた「レモン水」が飲まれていたとされます。 バビロニア人はレモン以外の果実も飲料に使っていたとされ、果実を使った清涼飲料は文明の始まりと共に飲まれていたという事になり、古くから求められる物であったという事もできるのですが、メソポタミアでは河川の汚染が進んでいた事から、何らかの香りを付けてごまかさないと飲めない状態になっていた事が果実飲料の発明に繋がったという意見もあります。 早くから飲まれていた清涼飲料ですが、産業的に作り出され、商品として流通するのはずいぶんと後の事となっていて、18世紀以降の事となっています。1772年、イギリスのプリスリーが炭酸ガスを水の中に飽和させる方法を考案し、炭酸水が全ヨーロッパに広まっています。 1809年にはビンに詰める事で保存が飛躍的に向上した事もあり、果実飲料は大きな躍進の時を迎えています。日本に清涼飲料が伝えられるのは、ちょうどその頃の事となっていて、嘉永6年(1853年)にペリーが率いた黒船来航の際、艦上にて浦賀奉行がレモネードで接待を受け、栓を開ける時の音に新手の武器と勘違いして驚いた様子などが伝えられています。 その後、慶応元年(1865年)には長崎の藤瀬反兵衛が国産初のレモネードを作ったとされ、明治元年にはイギリス人のレーによってラムネやサイダー、ジンジャーエールなどの十数種類の清涼飲料が売り出されて評判となっています。 今日、清涼飲料の代表格の一つとなっている某黒い液体が開発されるのもこの頃の事で、究極の薬を求めて当時注目されていたコカに着目した事、禁酒法、水と炭酸を間違えた事などの積み重ねによって誕生しています。 メソポタミアの果実飲料にはじまりクレオパトラの美容飲料、究極の薬とそれほど不健康な動機は存在しないのですが、清涼飲料というとあまり健康に良いようにいわれない事には、日常的なカロリーオーバーという飽食の時代が関わっているように思えてきます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年09月12日 07時48分35秒
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