テーマ:囲碁全般(745)
カテゴリ:囲碁
昨日たまたま公開対局に関連した話になって、過去の公開対局に思いをめぐらせた。公開対局というのは、どこの県でもよくやっているのかどうかは知らない。私が今まで住んでいた県ではよく公開対局が行われていて、おそらく合わせて10回以上は経験している。そのたびにいろいろ面白い経験をしているので、徐々に書き留めておきたい。
初めての公開対局は、たしかまだ10代のころの梶原武雄九段との3子局であった。東急デパートの最上階の広い会場だった。観客は500人くらいいて、緊張して完全に舞い上がってしまった。さらに、梶原プロのほれぼれするような芸術的な手付きと、手筋の連発に圧倒されて、自分では何をやっているかわからないうちにズタズタにされてしまった。今から思うと完全に手合い違いでもあったのだろう。 梶原九段は、テレビで見ていたそのまんまの動きや発言をされていて、ホントに面白い人だと思った。こちらの拙い手に対して、「ふむふむ、なるほど」「なるほど。それもあるかな、あるかも知れんなあ。なるほど。」などと一手一手応じてくれたのが印象的だった。 必ず秒読みを一杯に使って考えてくれる。面白かったのが、26、27、28と秒を読まれてからである。29と読まれてもなかなか打たず、秒を読む方もそこで一瞬沈黙してしまう。先生「あ、あ、なんだなんだ。おい、しっかり秒読めい。」などと声を上げながら35秒くらいで打っていた。世知辛い最近ならちょっと問題かも知れないが、梶原九段だからこそこれで良いのだ。下手なアマチュア相手にどうやっても勝てるのだけれど、盤面に集中して最高の手で魅せようとする姿勢は、芸術家梶原プロの面目躍如である。 たぶん、最初で最後の梶原先生との対局になるであろうけれど、最高の思い出である。以前、藤沢秀行先生が、「昭和の時代で永久に語り継がれる打ち手は、呉清源、木谷、坂田、高川、梶原であり自分は入らない」と語ったという記事を何かの本で読んだことがある。その時は、ピンとこなかったが今はよく理解できる。梶原九段に匹敵する芸術派は、その後も現れていないし、勝負重視の時代の風潮のためか当分現れる気配もない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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