カテゴリ:社会
最近、亀田兄のボクシングの試合での判定が話題になっていた。私は素人なのでよくわからない。マスコミのよると試合を見た視聴者の9割が亀田不利の意見だったそうだが、それはあくまで素人の意見である。
ボクシングの判定というのは審判によって基準が相当様々であるようだ。ただ、評価のわかりにくさはスポーツとしては課題であろう。 ところで、ボクシングの判定でも人によって意見が分かれるのだから、人間の評価となるとさらに様々である。 亀田のふてぶてしい態度や挑発的なパフォーマンスを批判する人が多く、漫画家のやくみつると評論家の勝谷誠彦がその代表としてテレビでよく発言していた。 亀田のことはよく知らないが、たまたまワイドショーに彼が出ているのを見て「おお」と思ったことがある。強烈な質問が浴びせられたのに対して、かなり冷静に受け流していた。これもパフォーマンスかも知れないけれど、この場面だけ見た印象はこの若さでなかなか大したものだと思った。 それに対して、勝谷なる評論家がテレビの討論番組などで理性を失って興奮している様子を何回も見ている。もし彼が、「あなたの評論は大したことがない。簡単なテーマばかりで、実態はパフォーマンスばかりだ。」などと言われたらどうなるか?想像するのは容易いだろう。 どんなにいい仕事をしていようが、普段礼儀をわきまえた人間であろうが、私の基準では切れる瞬間が多い人間ほど評価は低くなるのだ。 ただ、一般にはけしてそうではないようだ。「瞬間湯沸かし器ですぐ切れる人だけど根はいい人だよ。」などという表現もある。 織田信長やどこかのマンション会社社長に代表されるように、切れやすい人が重要ポジションにいる場合も多い。 情緒の国日本は、切れ易い人には寛容な社会なのではないかと思うのだ。虐待を受けた子は親になると我が子を虐待すると言われるように、切れる人の連鎖も延々と続いているのではないだろうか。 私もそうだったが10代は精神的に不安定な時期で切れやすい年代と言われているけれど、40代50代で立派な地位にある人で切れやすい人もたくさんいる。 以前提示版の議論に参加していたころに、「経験的に、若者より中年の方が切れやすい人は多いと思う。」と書いたところ、ある中年の方から凄まじい勢いで暴言を連発されて罵倒された。要するに彼は切れたのであるが、本人はその自覚がないのであろう。 これがまことにやっかいなのである。 続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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