テーマ:囲碁全般(745)
カテゴリ:囲碁
今日の週刊碁で興味深い記事を見つけた。王メイエン九段の講座である。以下の図を例に出していた。
私もそうであるが、日本の多くの碁打ちはこの図は黒良しと考えるだろう。右下の定石が黒有利と言われているのに加えて、右辺から上辺の構えとのバランスが良いからである。 しかし、最近中国ではこの石立ては白がやれるという評価になっているらしいのだ。実際、ネット対局では日本人はこの形を避けるが外国の方は平気で打つので不思議に思っていた。 そう言われても私は黒がいいと思っているが、実際の所、黒白とちら良いかは神のみぞ知るである。 棋士同士でたくさん実戦が打たれてそのうち一応の結論が出るかも知れないが、その結論とてまたいつひっくり返るかわからない。 同じ形でも時代によっても棋士によっても評価が異なる。そこが碁の面白いところだ。それゆえ、検討ではああだこうだとみんなで自由に意見を交換することができるし、実戦では「どうせ結論なんてないんだから自分の打ちたいように打とう」という事ができる。 これはトッププロも同じである。彼らのコメントを見れば全く同じことを言っているし、趙治勲さんの碁を見るだけでも明らかであろう。だれもが真理を求める気持ちはあるけれど、それはけして人知が及ばぬところであり、それゆえ碁で自らを表現することができるし、魅力的な棋士の世界が存在するのだ。 しかし、もし囲碁の真理を機械が解き明かしポンポンと示すようになったらどうなるだろうか。つまり、先の例の図なども、PCに入力すれば、どちらが有利で次の手はどこが最善手が示してくれるのだ。 すべての検討はPCを前にして行うようになり、ああだこうだと検討する楽しみはなくなる。必然的に棋士レベルでは、競技としての碁はデータを記憶しているかどうかが大きな比重を占めるようになる。そんな事になったら囲碁の魅力は半減してしまう。 ところが、GOさんの記事を読んで、PC関係者に現実にそういう考えがあるという事が分かった。 最高峰の人間より強いソフトを作って終わりというなら、気持ち的に不愉快ではあるがエベレストを登りたい人がいるのと同じで、多少諦めの気持ちもあったが、「囲碁の真理の探究に寄与する」というならば、私は囲碁を愛するものとしてけして許容できない。 囲碁は、人間が楽しんだり頭を鍛えたり真理を夢見たりするものである。機械が真理を探究しては困るのである。 機械の発達や初登頂の名誉のために囲碁を利用されるのも極めて不愉快である。どう考えても、最高峰の人よりも強いソフトを作ろうとする人は、囲碁を愛しているとは思えない。もう今後はエベレストへの登頂も許容しないことにした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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