クリスマスイブの昨日、大田区の教会でミサに参加した(
昨日の日記)。その帰り道、二子玉川駅前でバスを乗り換えた。その時、私は思った。
私のイメージする二子玉川と全然違う!!
二子玉川駅前(特に東口)は世田谷区による再開発で10年前とは比較にならないほど変化していた。
二子玉川ライズというマンションとショッピングセンターを核とする新しい町ができていた。テレビのCMで「都心さえ憧れる町、二子玉川」という決め文句もあった。
私は小学校卒業時まで、二子玉川園駅(当時。2000年8月に二子玉川駅に改称)の東側にある水泳教室に毎週水曜日に通っていた。その水泳教室はもうなくなり、今は東京都市大学付属二子幼稚園となっている。
他にも小学生当時には二子玉川園駅のホームの直下に東急ストアがあり、よく母、弟と一緒に買い物に出かけた。駅の東側にはバスの発着するロータリー(二子玉川園駅のバスターミナル)があった。そして少し真東に離れた場所に、二子玉川園前というバスターミナルがあった。そこはかつて遊園地・二子玉川園があった(父の実家で生まれた私が東京に引っ越す前にはもうなくなっていた)。また、二子玉川園駅から現・多摩川駅に通じる道路沿いには桜並木の築堤があった。周辺の道路は狭く、複雑に入り組んでいてクネクネしている。
これが・・・遅くとも2006年頃まで見られた、そして私のイメージする二子玉川である。
だが2007年頃から進んだ二子玉川駅東口の再開発により、上記の風景はなくなってしまっていた。存在するのは統合された立派なバスターミナル、高層ビル・マンション、きれいなショッピングセンター、拡幅された道路、そしてトンネル。これが、現在の二子玉川駅東口の姿である。
5年前の日記で清水義範氏の文献である『笑説 大名古屋語辞典』(改訂決定版、角川文庫、1998年)から清水氏のエピソードを紹介したが、全く同じだ(
2006年12月4日の日記)。私のイメージする二子玉川は頭の中にはあるのだが、現実にはない。トワイライトゾーンになってしまったのだ。