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![]() Collateral Murder - Wikileaks - Iraq 動画の頭のほうはテロップばかりで少々じれったいが本編はかなりリアルだ。機銃掃射で大人が薙ぎ倒され、子供にさえ容赦ない銃撃を加える。そういうの弱いってかたは見ないほうがいいかも知れない。射殺後のヘリ側と司令側の会話も刺激的だ。 「なんでこんな危険な戦地に子供が居るんだよ。誰が連れてきたんだよ。どう考えたって連れてきたやつが悪いだろ」 「いやホントホント。ホントだよね」 なんて具合の、丸腰の民間人を一杯殺しておいてその理屈はねぇだろってガイキチ度満点の会話まで収録されてるスペシャル特典付き。米軍ゆるすまじ
ふわらいどう【付和雷同・附和雷同】 自分にしっかりした考えがなく、他人の意見にすぐ同調すること。【大辞泉】 ニッポンは二大政党制になる筈だったのに国会でも真っ当なディベートなどただの一度も聞いたこともなく、日夜繰り返されるのは無期限開催中のネガティブキャンペーン。足の引っ張り合いどころか泥の掛け合い。中傷合戦。って言うか今や自民党の一人芝居状態。邦夫ばかりが劇団ひとりと思ったら大間違い。自民党は肉弾戦よろしく民主党の懐深く攻め込み、ばっさばっさと斬り捨てて敵の武将の首取る(取りかけた)大手柄かと思いきや、手足も頭もばらばらで誰に足をひっ掛けられたわけでもないのにあっちへよろよろ。こっちへよろよろ。もはや同類なんだし民主党に肩貸してもらうしかないな。 そこへ持ってきての大不況。いやいや誰も大不況だなんて言わないか。景気は持ち直してる。回復傾向にあるんだから。 いやいや、産業界が持ち直してるなんて出鱈目も甚だしい。人件費ばっさばっさ切っといて回復傾向も糞もあるかってんだ。肝心の病巣には目を背け、上っ面でしか見ないからもはや末期癌。リンパや骨に転移が見つかるのは時間の問題さ。病身じゃ誰も預貯金使えないね。せめて死ぬまでの諸経費あれこれ確保してなきゃおちおち生きちゃいられないってのは道理ってもんだし、先進国でも指折りの預貯金がさっぱり回らないんだから景気なんて回復するわけがない。 嗚呼絶望だ。大手が傾く。銀行が倒れる。そして圧倒的勢いでもって動き出すだろう付和雷同。わけわかんないから誰も自分の頭で考えない。 面倒だし、 うざいし、 お先真っ暗だから考えたくない。 カタルシスが得られるならこの際なんでもいいさ。右も左も関係ねぇよ。前も後もね。そう。ビジョンがあれば簡単だ。わかり易い!サイコー!付和雷同が悪いなんて誰が言いやがった。見てみろ、ジジぃもババぁも同じだろ。かわらねぇよ。どいつこいつも付和雷同だろ。誰かが『悪だ!』と叫んだらみんなで寄ってたかって石を投げろって教えたんじゃねぇか。 ま、いいか。2012年にみんな滅亡するらしいしw
社会は厳しいもの。会社は厳格に運営される組織。みたいなデフォルトがニッポン人の多くには設定されている。ほぼ確実に。間違いなく。 ゆえにそのデフォルトが昔から随分と足枷になった。どのように足枷になったかと言うと、例えばイベント等の企画なり起業なりアイディアなりの表明・発表・主張などを始めた最初の段階で良識あるニッポン人を自覚する多くの方から横槍が入るのである。正直に言うと横槍が入るのではなくて年端も行かない若造の戯言と遥か大上段から叩き潰しに掛かられるのである。 我こそは社会規範。 大ニッポン人の鑑。 社会正義にして悪と甘ちゃんと生意気の性根を叩き直す良識派 ま、そのような方々に年代別の多寡があるかと言えば偏りと言うべきほどのものはないのであるが、個人的な印象としては二十代後半から四十代に掛かる所謂中堅と称される立場の人たちにありがちな性向であるかも知れない。社会は厳しく、けっして甘いものではない。ろくに世の中も知らぬ若造に何が出来るか。どうせ失敗するのがおちだ。もっと勉強してから出直してこい。何かと言うとそのような言説を振り回す方の多いことよ。 そこで八重山。 私がこの地を面白いと感じるのは、上記の如き『社会厳格論』に対するアンチテーゼが八重山社会には脈々と受け継がれているからである。そう。この地が日本ではないと感じる材料の一つは紛れもない社会に対する甘さ、組織に対するゆるさなのだ。 社会や会社組織が厳しいものなら二日酔いで遅刻したり無断欠勤は出来ない。不可である。 しかしここらで生きている人は誰一人「社会って厳しいもの」とか「会社経営をするのは大ごとだ』なんて思っちゃいない。みんな「たいへんだけどなんとかなるさ」とか「失敗したらもう一回やり直せばいいだろ、別にそれだけのことだろ」なんて思っているのである。そして私はそれが正解だと思っている。社会は厳しいなんていう面倒くさい共同幻想をどうしてわざわざ持たねばならぬのか私は理解に苦しむし、数年前に起業して経営者連中と付き合うようになったから余計に感じるのだが会社経営してる連中なんてのはその規模の大小に関わらずどいつもこいつも出鱈目だ。 ま、出鱈目まで言うと語弊があるかも知れないが、それほど深くも先までも考えちゃいないし、体系的に物事を捉えてもいないのは確かだ。わりと直感的に動いたり考えたりする人のほうが多いと思うし、そりゃ中には切れ者みたいな人もいるだろうがそんなのは極少数の経営者に過ぎないのである。 つまり、社会は甘いと思えば甘くもなるし、会社組織は厳格に運営されているわけでもないし、起業や経営は大ごとでもない。もし厳格に運営されているなら経営が傾くこともないだろうし、社内や業務に重大な問題が起きることもないだろうが、一部上場から零細町工場にいたるまでどこもそこも問題だらけでもなんとかかんとかやっているってのが実情だろう。 だからこれからの若い人はもっと自由に発想して、自由に動いていいと思う。失敗したらやり直せばいいだろうし、あなたが一生懸命やっているなら幸運が味方してくれることもあれば助けてくれる人が現れることだってあるのだから。 そうそう。八重山の人は社会は厳しいとは思ってないが、本土はキビシイと感じてるのは確か。社会は厳しく会社組織は厳格なんて妄想をみんなで持ってる空間に暮らすのはキビシイもの。ゆるく暮らすならやっぱり八重山ってことで、ひとつ。
日夜 各種掲示板やらコメント欄に書き連ねられる不毛極まりない誹謗中傷悪口雑言。今や日本のネット世界は市中引き回しのうえ磔獄門(ハリツケゴクモン)のごとき様相を呈すって有様。 ブログなどが炎上するにも様々なケースがあるから一括りには出来ないけれども一人のブロガーに対して数十名・数百名の連中が寄って集ってやりこめている絵面は如何にも醜い。なにが醜いって、他人のブログに誹謗中傷罵詈雑言を書き込む方々の多くが我こそは社会正義ってな自認をしているあたりがひどく醜い。 一面識もない閼伽の他人に対してヘンだとか甘いとか職を失って困っている人がたくさんいるのにアナタは…みたいなコメントを吐けるセンスが私には理解できない。そのような批判を載せる方々は相手の一体何を知っているというのだろうか?ブログ記事にある言葉尻を捉え、訳知り顔で無意味な批判や非生産的な誹謗を繰り返す粘着質で傲慢な態度は何に由来するものなのだろうか。 更に醜いのが掲示板。 例えば爆サイって掲示板サイトにある沖縄版・石垣島雑談なんか見てみるに多くのスレッドでシマンチュ(地元)とナイチャー(本土出身者)の二派に分かれて『内地へ帰れ』『島から出て行け』だの『島は低脳』『サル並みの連中』だのと互いに著しく低いレベルでやりあっている。 ネットが持つ匿名性が社会的な不満や制度的な軋轢に対して一定のガス抜きを持つのは確かであるが、そのガスを噴射する先が間違っているのだ。匿名の多数が不満と批判を向けるべきは今ある歪んだ社会の礎を築き、偏向した制度を構築してきた連中なのではなかろうか。ましてや寄って集ってやるのならば尚更だ。うってつけだ。寄って集ってやらないと効果がないのだから。 匿名という武器の使い方を間違えるべきではない。 これまで我々小市民がなかなか持てなかった匿名という武器を行使すべき相手は微罪や軽犯罪を犯した者でもなければ少々世間を甘く見ている女の子でもなく口が達者な生意気なアスリートでもない。匿名を得た我々が寄って集ってやっつけるべき相手は、忘れるなかれ、権力と金を持った連中である。
普天間の基地移設であれこれもめていて、何をもめているかは皆さんのほうがよくご存知だろうから一々ここには書かないが、なんだか腹が立って仕方ないのは『沖縄から基地がなくなったら地元は経済的に雇用的に立ち行かなくなるんじゃないの~それって困るんじゃないの~痛し痒しだよね~』みたいな意見をしたり顔で述べる人たちだ。 その多くは言うまでもなく本土の方々だ。沖縄に住んでいるか本土に暮らしているかはともかく本土の人間がそのような高みからものを言う裏腹には間違いなく差別根性が働いている。ここ数年何かと注目が集まる沖縄だから沖縄差別が薄まったのは確かだろうけど、米軍基地を抱えていない他府県の人間が『米軍基地と沖縄経済』について論じるのは完全に余計なお節介だろうし、余計なお節介を焼くのなら最後(問題の解決)まで面倒を見るべきで、そんな覚悟の一つもないくせに海の向こうからネット越しにしたり顔をされるのは実に腹立たしいのである。 右も左も平和ボケらしく、自衛隊にせよ米軍にせよ大きな軍事施設があることの意味を理解していないようだ。闘う意思があるのでなければ基地など置くべきではない。なぜなら仮想敵国から見れば敵軍の兵士が出撃してくる基地が置いてある土地とはつまり自分たちと闘う意思を持った者たちであると見做されて然るべきであるからだ。 有事が起こり、領土境界あたりで一戦交えるのは軍隊だが、軍隊はやばくなれば撤退すればいいだけだ。前線を下げるなり、基地を放棄するなり本国へ戻るなりして軍を立て直すのだろうが、基地がある沖縄はどこにも逃げられない。米軍や自衛隊が退いたあとに攻めかかるであろう仮想敵国の軍隊からに蹂躙されるがままなのか。 沖縄にはそのようなデジャブがあるからこそ65年前から生きてきた爺さん婆さんは今も本土の連中が好き勝手やろうとしてる基地問題に訝るし怒るし憤るのである。 銃口のひとつも向けられたことの奴が基地移設で偉そうなことを言うべきではないだろう。基地経済がどうとか沖縄の雇用がどうとか偉そうな意見を述べる本土の方々はほぼ間違いなく沖縄差別をその心のうちに縫い込んでいる方々である。
国粋主義に拠ってるわけでもなんでもないけれど、ここんところのマスメディアがしきりと連呼する『米国が激怒してる』って報道のありかたには無性に腹が立つ。 アメリカの連中が激怒してるからなんだって言うんだ。普天間基地の取り扱いが連中の意にそぐわないから怒るのであって、日米同盟を結んでいるからと言って私たち日本人が選挙で選んだ政府がどういう調整の仕方をしようと米国の連中の顔色をいちいち窺わなきゃならないなんて馬鹿げてる。 私たちは米国の犬なのか。所詮は敗戦国、基地移転の事でものを言っちゃダメなのだろうか。いやいや、こちとら米国の植民地でも属国でもなくて立派な主権国家なのだから自分たちの論理でものを考えたり主張したりする権利は建前であろうとなんであろうと保証されているのである。なのに日本のマスコミは『民主党政権が米国を怒らせちゃった怒らせちゃった。どうしようどうしよう』なんて具合に一々米国側に立ったような報道をやらかしてくれるのだから呆れるばかりだ。 米国の顔色を窺うかたわらでは安売りを煽ってデフレを煽り、キチガイの連中を集めたバラエティ番組を各局横並びでこれでもか、これでもかと垂れ流す。湯水のように経費使って番組使ってそんな低レベルで低調で能天気なものしか公共の電波に乗せられないんだから呆れるってよりも叶うものなら各局どこもご退場願いたいぐらいだ。テレビも新聞も大口の広告契約もらってる大企業のヒモ付きだから真っ当なものなんて作れないのは最初からわかっちゃいるけど昨今の各種マスコミはあまりに酷い。醜い。不様。 百歩譲って同盟はOKとしよう。 しかし顔色窺うのはNGだ。 米国は怒りたきゃ怒ればいい。しかし決めるのは私たち有権者だ。米国でもマスコミでもないのである。
ユニバーサルだとか世界がつながったとか双方向だとかそんなことは二の次で、アホがアホをさらけ出し、粘着質がねばっこいところを如何なく曝け出してくれるのがウェブ発達の最大の特徴と功績だと疑わない私は、市橋容疑者の整形写真が世に出た時点で彼のファンサイトが登場もしくは興隆することを予想していた。 だから言って『予想が当たった当たった。俺ってスゲー』なんて主張するつもりは寸毫ないし、市橋ファンサイトのメンバーをアホ扱いする気もない。なんなれば私たちは全員アホであるからだ。勿論わたしもアホの一人であるし。 全員アホという表現に御幣があるならば誰しもアホな部分を抱えているものと換言するが、ともあれファンサイトの乱立をもって市橋容疑者も世間の慰みものとなってしまったわけで、今後は彼の詳細な生い立ちから同級生のコメントから彼とセックスをしたという女性のコメントから、性癖、身体的特徴、趣味趣向、好きなアニメや好きな歌手に至るまで虚実入り混ぜてテキトーにいじられまくられ、皆が飽きるまで弄られ続けられる運命となったその悲哀を思うと少々可哀相な気もするのである。ご愁傷様である。 御幣を承知で言うと、たかだか英国人女性一人を殺して逃げ回ったオトコなんぞを語り尽くせるほどに世の中の皆さんは暇なのか。ま、世の中不景気で仕事もなかったり少なかったりするので暇を持て余しているのだろうか。まったく羨ましい限りである。もっと他に語り尽くさにゃならないことが一杯あると思うのだが、そこんところがイマイチ盛り上がらないのもウェブがアホさを曝け出すに向いているメディアの所以なのか。
石垣島はここ数年カフェと居酒屋の乱立状態である。 似たような建物とほぼ同じメニューによって営まれるカフェが島の北側 山原地区に立ち並び、新規開業の居酒屋は島の繁華街・美崎町はもとより市街地全体に広がる勢いだ。 離島という地域性を鑑みればあまりに特殊化・専門化するのが難しいのは間違いないのであるが、これら乱立状態のカフェや居酒屋の営業スタイルにはほとんど差異がなく、どう贔屓目に見ても横へ倣え式の発想が起点にあることは否めないと思う。 カフェを始める大半は本土出身者であり、居酒屋起業の多くはシマンチュ(地元)であるわけだが、これら同一スタイルの店舗が乱立するのは観光都市として非常にうまくないように思うのである。つまり利用者側の視点から見るに『何処でメシを食っても同じだろ。出してるもん一緒なんだからさ。じゃ、何処でもいいよ』となるのは必至であれば評価寸評の行き着く先は魅力のない店。面白みのない島。つまんない石垣島観光なのである。 そこんところを現在先駆的に体現しているのが島のTシャツ業界だ。どう体現しているかと言うと業界の方々が言うに『今はTシャツが売れなくなった』らしい。で、業界の方々がその原因を何処に求めているのかと言うと昨今の世の中の底なしの不景気のせいとなるのであるが、本当だろうか? 勿論そういう社会的経済的な理由もあるにはあるのだろうが、そればかりではない筈だ。上記カフェや居酒屋の横並びの営業スタイルに先駆けること数年、島のTシャツ業界は似たような絵柄と似たような文字を書き連ねた横並びのTシャツの製造販売を拡大してきたのである。 曰く。イチャリバチョーデーだのオーリトーリだのオジーオバー、アンガマー、泡盛、ゴーヤチャンプル、水牛、マンタ、エメラルドブルーの海みたいなキーワードをもとに出来損ないの習字を背中に入れ、かわいい系のイラストをそこにちりばめるだけのアイディアもなければデザインもしてるとは言い難いお手軽で安直なプリントをやり続けてきた結果としての『今はTシャツが売れなくなった』となるわけだ。商売だからという利いた風な大義名分を掲げ、一円でも安くプリントする業者を探すことには相当な時間と労力を掛けるくせにデザインや営業販売コンセプトを煮詰めたりはしないのだから世の中の人たちが欲しがるTシャツなど用意できるはずがない。 島っぽいイラストか言葉なんかいれておけば観光客は喜んで買っていくだろうとあまりに観光客をなめすぎなのである。要するに。 乱立するカフェや居酒屋の中にも真っ当なアイディアとスタイルを貫いているところも少ないながらもあるにはあるし、先駆けてダメになったTシャツ業界を横目に見つつ真っ当なカフェや居酒屋には是非頑張ってもらいたいのであるが、足を引っ張るどうでもいい店が多すぎるのが先行きチョット気になるところである。
どうして人は自分のことしか考えないのだろう。 他人の気持ちを考えず、他人の立場を尊重せず、自分が一番大人物であるかのように振舞う人が世の中には多過ぎはしまいか。 それに男女の別はない。最初から自分のことしか考えない奴、自分についてしか喋れない奴が半分。残りの半分は最初こそ他人を思いやる素振りを随分と上手にやってくれるけれど、しばらくすればやっぱり自分のことばかりだ。 自分が一番きつい。自分が一番偉い。自分が一番わかっている。自分が一番苦労してる。自分が一番大変な思いをしてる。自分が一番考えている。自分が自分が自分が自分が― もうたくさんだ。 世の中は阿呆ばかりだと中学生の頃に感じたのはやっぱり間違った感覚じゃなかったのだと最近つくづく思う。そんな他人同士の関係を見ているだけで胸が締め付けられるし、ましてや私自身の目の前にいる人からそれをやられると本当に呆れてものが言えなくなる。言いたくなくなる。 『頼むから俺の目の前から消えてくれ。消えてくれないのなら俺が消える』 日本人だけがそうなんだろうか。それとも異国でも同様なのだろうか。もしそうなら私は独りきりで生きるほうがいっそましだと思うのである。どうしてこんな世の中に…なんてフレーズはなんの役にも立たないけれど、せめてそう言うしか慰めはないみたいだ。 それとも私が人間を買いかぶりすぎなのか。人と人はこうあるべきだ。社会は斯くあるべしだとか決め付けているわけじゃないけれどやはり期待や信用やマナーに重きを置き過ぎなのかも知れない。いっそのこと自分以外の人間は皆阿呆で馬鹿で卑劣で我侭だと思っていれば気楽なのか。でもそれじゃ自分もやっぱり同等同様の奴に思えて自己嫌悪に塗れなきゃならない。自己嫌悪にはこれまでも散々塗れてきたのに、まだこれからも続くのは御免こうむりたい。 ま、しかし中学生の頃から連綿と続くこの違和感は死ぬまで抱え込む羽目になるのだろう。とても嫌なことではあるが、回避不可能ならぶつかるより他ないわけで
音楽が私の心を打たなくなって久しく、はて?これは一体何故なのだろうかと考えてみた。 ま、考えるもへったくれもなくて、心が打たれるっちゅうくらいだからこちらはあくまで受身であれば打つ打たないは楽曲提供者側の問題だと思うのである。要するに現在の市場に並べられたどの音楽も人の心も打つ力のない腑抜けた楽曲ばかりが居並んでいるってことである。 故忌野清志郎の言葉(歌詞)を引用させてもらえば差し障りのない歌詞。右の右から左の耳へ抜けていくような歌ばっかりなのである。アルバム一枚作るにも当世名の売れたプロデューサーなんかが一様に作るので演奏者が変わっても一様な調子だったりするし、株主だのスポンサーだの大企業の顔色を伺いながらの楽曲となるので歌詞の内容などもその振幅はひどく狭くなり、唄われる事柄と言えば必然的に企業側に差し障りのない愛だの恋だの一辺倒となる。これをもって業界ではマーケティングなどと呼び慣わしているようで情けない事この上ない。 音楽に携わる人間が、それが例え演奏者であれ企画者であれ広報担当であれマーケティングなんて小賢しき振る舞いをするようになったらお終いである。誰が聞いてくれるからとか誰が買ってくれるからとか誰を怒らせないようにみたいな配慮で作られた音楽なんぞ音楽ではない。そんなもんライン生産に乗せられた工業製品となんらかわらないではないか。 ま、音楽をご商売にするってのもありだろうからセールス成績のみを最重要項目として活動される方がいてもそれはそれでOKだ。例えば実際は男気なんてこれっぽっちも持ち合わせていない長淵某が男気を前面に打ち出して楽曲をセールスするなんてのがその好例だろう。こんなことを言うと巷の長渕某のファンはたいそうご立腹されるだろうが、もし本当に彼が立派な男気の持ち主なら男気のないことをやり続ける大企業や政治家や役人どもに対して当の昔に反歌のひとつも叩きつけている筈だが、その素振りは彼のどこにも見当たらないし、まず第一に男気のある奴がてめえのカミさんやブレーンたちに殊更に暴力を振るったりはしないわけで、以前彼に近い筋から聞いたところによれば彼がもっているのは立派な男気ではなくて強烈な幼児性だそうである。ちなみにこの手合いはどの業界でもセールス成績がいいようである。 ま、そういう人がいてもOKなのだからそれ以上噛み付くつもりはないが、とりあえずこうも一様な楽曲が並び、似たような歌詞が並び、カラオケで歌われることを前提とした曲作りが通例になったりしているニッポンの音楽業界は一度瓦解するのが真っ当な道なのではなかろうか。 CDが売れなくなったと言われる昨今、業界やマスコミは訳知り顔でその原因をネット配信に求めてひたすらに嘆いているようだが、音楽が売れなくなったのはやっぱり魅力のない音楽ばかりだからではないのか。我々リスナーはそう馬鹿ではないとの証ではないだろうか。心に響き、魂を打つ音楽が演奏されるのなら止められても聴きに行くし、そんな音楽をきちんとパッケージにしてくれるならちゃんと買いに行くのである。 少なくとも私は。 │<< 前のページへ │一覧 │ 一番上に戻る │ |
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