◎「五方之太刀之道・序」(宮本武蔵著)『五方之太刀道序』兵法の道たる、たまたま敵と相撃つ利を己に得。 すなわち、三軍の場にもまた移すべし。なんぞ町畦あらんや。 しこうして決戦に面ずるにあらずして、勝ちを慮前に定むる。 待つところあらんや。その道を迪むべし。 しこうして、離るべからず。その法に準ずべし。 しこうして、謬まるべからざるなり。 秘して蔵さず。弁じてしばしば明らかなり。 堅を攻め、節を後にす。 洪鐘、撞くことあるは、ただ堂奥に入りてのみ獲。 本朝、中古、芸に渉りて、この法を唱うる者、数十家あり。 その道たるや、強きを侍みて粗暴をほしいままにし、 柔を守りて細利をたしなむ。あるいは長きに偏し、短きを好むなり。 刀法を構ゆるに数種出るにいたり、表となし奥となす。 ああ、道に二無きを。なんぞシ謬なるかな。 邪をひさぎ名を貪るのともがら、法を舞い、術を衒い、世人を眩曜す。 その狭小に勝ち、すなわち、いわゆる、有術、無術に勝ち、 片善、無善に勝つ。 道と云うに足らんや。一取する所なし。 吾がともがら、潜精鋭思ここに陳ぶ。しこうして、初めて融会す。 それ武士は、行座、常に二刀をおび、その用の便利を願う。 ゆえに道根二刀、二曜麗天。 法を五用に樹て、五緯に供極す。 歳運の斡転して、突起に衝拒する所以なり。 構えてなすに、五法あるを要す。時に、措くの義あり。 必ず操刀は、表奥のために有るにあらず。 もしそれ、一旦こと有りて、すなわち、長短並び抜く。 短にしてかならず長あらざれば、短にして敵に往く。 しこうして、短必ずなくば、すなわち、徒手にてこれを縛つ。 勝利往くとして、われに在らざること無きなり。 しかるに、尋ぬるに足らずして、寸に余りあらんや。 強きは弛むべくして、弱きは設くることあり。 みな、偏好せずして、時にその中を執らんと欲す。 しこうして、中は天下の王道なり。わが道この規なり。 ある人、間有りていわく、いずくんぞ知と否と有らんやと。 趙括、泰に蹶し留候、漢を佐く。 有知無知あい較ぶれば、すなわち、なんぞ魚目の随珠に唐突あらんや。 そもそも、古将の言えることあり。 剣は一人の敵、しこうして、万を撃つことを学ばんと。また隘局なり。 己に達してこれを見れば、万陣の勝敗、完城の陥潰、頚然相形、 なお、その掌に示すがごとし。ああ誰か、その小、また大となさんや。 およそ、習う者は、諄々然としてよく誘いて、あまねく達することあり。 易くして誥すにあらず。 その、これを求むるに、回を釈き正に趣、日錬月鍛、己に勤み、功を積み、 則神して符会す。目撃して存すべし。 周旋して道にのっとり、闇に服して愆らず。 ほか、臍をかむこと、あるなきを期す。しこうして後、よく得。 もし手技、卓絶して、百巧の変に騁する者ありて、 その技、これ谷まれりとも、 人に伝ゆるは、すなわち、なお藩に拾うがごときなり。 独りわが道を心得て、手を応し、 しこうして、必ず百世の師たることあり。 これを亜ぐ後、道を言うことありても、必ずわが道に従うなり。 道は同一、軌、何ぞ多からんや。 たとえ、それ舊きを厭いて新しきを吐くも、 夷路を舎て、曲径を踰ゆるなり。天鑑、誇るにあらずして大。 この道、言うべきこと、かくの如し。ただ誠心と直道あるのみ。 よって、舊これを序となす。 以上 |