|
カテゴリ:読書:小説
こんばんは
今日は思い起こして。 この本は、もしかすると私の読んだ本の中で最上かもしれません。 書かずにはいられないでしょう。 「姑獲鳥の夏」 ───姑獲鳥はうぶめになった。 この本のキーワードはこれです。 同じ読みですが、意味は違う、同音異義語ですね。 姑獲鳥はコカクチョウとも読みます。 その意味は違ってもいて同じでもあります。 なんとなく。本当になんとなくですが、意味が違うように感じられます。 終わりで中禅寺は「姑獲鳥もうぶめも同じなんだ」と言いますが、 実際にはそうは思っていないでしょう。 内容に入ります。 まず、いきなりはじめから動かないというのが凄いです。 それなのに読者をひきつけている。 こんな動きの無い会話だけでひきつけてしまう京極さんの文章の力は 素晴らしいです。 この話を40ページほど続けて話に入っていきます。 そして、この話も後々重要になり、どこも読み落とせません。 さらに読み進めていくうちに「京極世界」に嵌ってしまいます。 この普通なら気持ちの悪いじめっとした雰囲気です。 しかしそのじめっとした感じを保っているにもかかわらず、 そこを素早く音も無く通っていく爽快さがあります。 この進んでいくうちに色々なキャラクターが出てきます。 そのキャラクターたちも私をひきつけていき、 最後になっても全く無駄の無いキャラクター達でした。 そして、その私を引き込むキャラクターたちでさえ、 主人公中禅寺のペースに引き込まれていきます。 最後には一風変わった「憑物落し」という手法でこの事件を紐解きます。 不思議というのは裏側を知ってしまうとあっけないものです。 それを知った方が良いか良くないかはわかりません。 しかし、その裏側は決まってあっけないものです。 何故なら、不思議より不思議ならば裏側が不思議になってしまうからです。 逆にいえば、不思議と思う方が表側と定義されているだけのことですね。 妙な統一感があります。 それはやはり人間の脳の操作で、それはいくらでも改変されてしまうこともあるわけです。 本当にそれがそうかはわかりませんが、 そうであったら楽しいこともあるでしょう。 成り行きに任せて解くときは解きましょう。 無理して解くこともないでしょう。 そこは、そのままの方が楽しいですから。 大事なことです。 人気blogランキングへ ブログランキングranQ ↑ランキング参加中↑ クリックお願いします お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[読書:小説] カテゴリの最新記事
|
|