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日々の感動・発見・疑問

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2011.10.18 楽天プロフィール Add to Google XML

全国の読者の皆様へ


就職活動、入社準備、社会人生活、頑張っていらっしゃいますか?

ただいまmai placeでは、福岡で直接講義を受講できない学生、社会人の皆様に向けて、通販教材の形でテキストおよびDVDを全国に提供しています。

今後は「mai place Dream Mall」をご利用いただき、皆様の就活、入社、仕事に生かしていただけたらと思っています。

どうぞよろしくお願いします。

mai place講師・講座開発
モント・フォーカス取締役
K-movieクリエーター
学生サークルFUN顧問

小島尚貴


Last updated  2011.10.18 22:07:18
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2010.08.02

訪問者の方へ
[ 【いろいろ】 ]    


訪問者の方へ

今後はこちらをご覧ください。








Last updated  2010.08.02 23:58:54
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2009.12.30

adobe製品

私は昔から買い物は全くといっていいほどしない。

特に外見には全くお金をかけず、床屋も千円、服は母親が買ってくる数百円の古着、時計や靴やベルトに至っては十年以上同じだ。

しかし、机や椅子、家電、PCにはかなりお金をかける。

いくら高くても長く使えそうなものを買う。

こんな時期だから街を歩けばセールやバーゲンや特売ばかりだが、昔から心が動くことはない。

流通業界には申し訳ない限りだ。

そんな私が最近虎視眈々と狙っているのが「adobe master collection」だ。

csシリーズ「design premium」の前身publishing collectionを買ったのは、もう九年も前のことだ。

当時の値段で23万円。およそ1ヶ月の給料に相当する金額だったが、迷わず買った。

どれだけ仕事の足しになっただろうか。あのスイートを使いこなせたことで、かなり自信が付き、独立が早まった。

そんな経験もあって、私はアドビという会社が昔からかなり気に入っている。

だが、今や私のソフトでは古くて時代についていけなくなった。

来年あたり、全面的にバージョンアップを図りたいと考えている。

アドビが作っているのは、思考や想像を具現化するソフトだ。どれも高性能かつ直感性に優れていて、世界標準だ。

だから私は、人が人生をデザインする「職業」という基本的かつ最強のソフトにもアドビ製品のようなものがあっていいと思う。

mai placeで整備していきたいのは、そんな商品だ。

就活にはいろんな業者や参考書があるようだが、私は一度としてそんなものに関心を持ったことはない。

土俵が違うからだ。

私が打破したいのは社会主義思想であって、不景気ではない。

だから、古今東西の職業思想の古典を研究してきた。

そして、標準化を図るためのお手本がアドビだ。

ソフトの設計と開発、スイートの組み方や運用スタイルを学ぶだけでも40万円は安いと思う。

今やクラウドコンピューティングの時代で、ソフトの所有は時代遅れだという声もあるが、私は時代遅れが好きだ。

なかなかモノを所有したがらない私が欲しくてたまらないのだから、きっといい製品だろう。

振り返れば、私が自分の講座を通販教材にして売ろうなんてことを真面目に考えているのも、私の講義で人生や未来が変わったと言ってくれる何百人もの若者に会ってきたからだ。

そして、それに最初に目を付けてくれたのが安田君と大月さんだ。

一人は学生生活最後の一年を私を顧問とするサークル創設に賭け、一人は新卒起業を決意し、果たした。

これがどれだけ嬉しく、また自信につながっただろうか。

今日はそんなFUNの同窓会だ。

待ちきれず、あまり眠れなかったので、早朝から博多のベローチェに来てしまった。





Last updated  2009.12.30 09:43:18
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2009.12.29

同窓会前夜


同窓会も今回で六回目だが、こんなに長期間学生が運営会議に携わったのは初めてだ。

学生とは植村さんのことで、バイトやそれ以上にFUNの活動で忙しい時期なのに、本当によく頑張ってくれた。

準備が2ヶ月に渡ったビデオレターの意義をよく理解してみんなに伝えてくれたのも植村さんだし、グループワークの班決めで学生一人一人の個性を伝えてくれたのも植村さんだ。

植村さんが仲間や後輩のことを脇山さんに紹介する時に感じるのは、実に細やかに長所を観察しているということだ。

女子大生の運営メンバーは例年お母さんのような包容力を持っていて、牛尾さんも築地さんも平田さんも岩元さんも、本当によく気が付く立派な学生だった。

山田さんは、三年生なのに既に母親のような風格だ。以前誉め言葉のつもりで言ったら恥ずかしそうだったが、まぁ、心からの誉め言葉だと思ってほしい。

脇山さん、吉谷さん、加納さんたちはどちらかというとお姉さんタイプで、「どうにかなるよ!」と勢いで盛り上げるタイプか。

吉谷さんは今でも学生のように見えてしまう。小さな小さな規模で一緒に学んだ二期生だけは友達のような感覚だ。

脇山さんは今日はブロッコリーとカリフラワーについて語っていたが、何を話しても感情豊かなのは昔のままだ。

みんなから色んな話を聞くにつけ、私も七年間、学生の様々な魅力を発見しようと休まずに参加し続けてきたが、やはり、学生にしか見えない魅力もあるのだといつも感じさせられる。

今年の夏と冬で、同窓会は、よっぽどのことがなければ学生は休まないようになった。

これを卒業生がどれだけ喜んでいることだろう。

これも植村さんと永井君が姿で示し、粘り強く呼びかけ続けてくれたからだと思う。

同窓会で毎年一番頑張っている脇山さんも、この二人の活躍には驚き、感謝しており、ただ同窓会のことばかりでなく、FUNのことも以前よりよく分かったといつも喜んでいる。

それにしても、今年でここまで仕組みが出来てしまうと、また層が厚い来年からはどれだけ盛り上がるだろうか。

来年は平島君、山田さん、諫山君、その次は富田君、佐藤さん、畑井さん、末田君…逸材揃いだ。みんな永井君という最高のお手本を目に焼き付けて進級する。

忘年会は大コケだったようだが、同窓会は比べものにならないくらい盛り上がるので、最近入った学生たちもFUNがどんなサークルか、やっと分かるだろう。

今月半ばに送った卒業生向け会報の中にも、今年の運営メンバーがどれだけ頑張っているかを書いた。

卒業生の皆さん、明日続々とかわいい後輩たちが来るのは、植村さんと永井君の努力の成果ですよ。

二人をはじめ、運営を頑張っているかわいい後輩たちをぜひねぎらってあげて下さい。

あと、今日体調を気遣って声をかけてくれた植村さん、羽田野さん、そしてメールをくれた竹内君、どうもありがとうございます。

とても励みになりました。


Last updated  2009.12.30 01:52:25
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2009.12.24

同窓会スライドショー

かつてここまでたくさんの素材を使った作品があっただろうか。

詳細はまだ言えないが、年末のFUN大同窓会のスライドショーがやっと完成した。

約七年の全ての写真に字幕を付けるのは私にしかできないので引き受けたが、まるで歴史教科書の編纂作業のような三週間だった。

活動期間が重なっていない先輩と後輩が一堂に会するので、事実や人名の特定はもちろん大事だが、それ以上に大事なのは、わずか四秒、二行の間に心が重なるような字幕を付けることだ。

全員を登場させ、全員の貢献がわかるように並べ、全員が同窓会に対する思いを高められるよう、最善を尽くした。

昨日の近現代でも話したことだが、私は別にどの世代が一番すごかったとか、今が一番いいと思ったことはない。

人数も出席率も発行部数も表面的な指標でしかない。

みんな、その時その時に一生懸命活動したのだ。

その代だからできたこともあるし、その代だからこそ生まれた課題もある点ではどの世代も一緒だ。

先輩は創業の困難に立ち向かってきたし、後輩は守成の困難に立ち向かっている。

つまり、どちらも感謝、応援しあう点では全く同じ気持ちで相手を思いあえる。

年末に全国から素材を集めればさらに詳細なスライドショーができるだろうが、現時点ではこれが最大限の作品だ。

振り返れば、もう98人もの同志が生まれていた。

最近は新たな胎動の予兆を様々なところから感じる。

もっとも、私は最初から十年は基礎固めの時期だと思って引き受けたので、十期生くらいまでは創業メンバーのような感覚だ。

年齢が離れたので、学生同志は先輩後輩と呼び合っていても、私にはみんな同じように見えるのもあるだろう。

小さなサークルは今や100人のビジネスエリート予備軍を抱える学び舎になった。

ここから来年にかけて卒業生である大月さんや隈本さんが新しく起業していく。

私にとっての現代人とは日本の歴史を踏まえた人間のことで、都会の人間ではない。

時代についていくことなんかより、歴史を踏まえることの方が何倍も大切だし、歴史を踏まえずに時代の流行に乗るなどそもそも不可能、無意味だ。

たった七年でも、自分たちが関わって作ってきた歴史を分かち合えば、そんな感覚が国家単位でなぜ持てないのかを疑問に感じるだろう。

そして、自分が関わる分野で少しでも日本のことを思って頑張るようになるだろう。

ともに振り返るべき共通のいにしえを持つ幸せ。岡潔博士の思いが学生たちにも少し感じられるようになったのではないだろうか。

これから分かち合いたいのは、小林秀雄が二宮尊徳の例を引いて語った「胸中の温気」だ。

絶えることなく静かに燃え続ける永遠のモチベーションだ。

スライドショーがその気概を灯す一つのきっかけになればと思っている。



Last updated  2009.12.24 20:56:12
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2009.12.01

近現代のレジュメ執筆
[ 勉強会いろいろ ]    

今年は「ビジネスエリート講座」という、4ヶ月にわたる大型講座を行い、また、同時期に並行して韓国語塾も実施した。


この二つを終えた達成感はなかなかのもので、今では全6回の会計塾や全4回のスピーチ塾がとても短く感じるが、気付けば、いつもやっている大型講座がある。


それは言うまでもなく、近現代史勉強会だ。


こちらは1年間、お盆と正月を除いては毎週行われ、1年約48週間のうち、43回もある。


読む本は一年分が先に決まっており、というより私が決め、一週のずれもなく、休講もなく行われる。


もう2年近く、毎週このレジュメ執筆をやっているので、もはやこれが講義の準備とさえ感じないが、ここ数ヶ月の傾向としては、早朝に原稿を書くようになった。


前は動画をレンダリングする間に下書きを作成していたのだが、最近は朝に冷奴や野菜サラダ、梅干を食べながら、落ち着いた気持ちで本を読み、それから一気に作ることが多い。


去年が学術的、論理的な文章中心で、共産主義や日中問題、軍閥闘争、自由主義思想などの時局論争ばかり扱ったのに比べ、今年は精神性の高い内省的な作品が多い。


特に、今年の中心は福田恒存氏の芸術論と竹山道雄氏のキリスト教に関する作品だ。


福田氏の作品は孤高の格調と優しさを湛えているが、竹山氏の作品は重く悲しい。


今年はこれをいかに読みきるかということがテーマのほぼ大半だったのだが、先日、永井君の素晴らしい学生講義でめでたく終えることができた。


今週からは文献の前後関係もそれほど関係なく、各時代の象徴的な事例を扱った静かな作品を読んでいく。


今年の近現代は、最後の小林秀雄の「文学と自分」にある「胸中の温気」という言葉の実感を分かち合うためにやっている。


静かに、しかし熱く燃え続ける温かい愛情。


卒業生達が「永遠のモチベーション」と呼んでいた心意気のことだ。


どんな思いで最終回を迎えるのか、今からとても楽しみだ。


この学生講義を担当するのは、あと近現代におそらく100回は参加する頼もしいリーダー・富田君である。


今年は釣りの話ばかりしているが、そろそろ来年の近現代の文献の相談も始めよう。





Last updated  2009.12.01 07:36:17
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2009.11.29

TNCの取材

吉谷さんがいなかったら、大月さんも脇山さんも山田君も、築地さんも竹中君も森川君も、大津君も鶴田君もFUNに入ることはなかっただろう。


つまりはmai placeもなかったということで、FUNは存在していただろうが、今のようではなかったはずだ。


そんな吉谷さんが学生時代から言っていたことが、「アナウンサーになってFUNを取材して、将来恩返ししたい!」という夢だ。


その夢が、昨日叶った。


個人的に話せばいつも学生時代のように明るく快活で、豊富な話題に興味を持ち、親友の脇山さんが言うように「所在地不明」と思うほど行動的だが、昨日はしっかり取材を行っている様子を見て、深い感慨に浸った。

吉谷さんが西南会館に来ていた頃は、まだ小さな部屋で活動していて、今いる部員は中学生か高校生だった。


つまり、誰も友達じゃなかった。


それが、自らの行動でつないだ絆に導かれて集まった後輩たちを、自分の就職先の仕事の一環として訪れ、後輩たちを応援すべく、今度は自分が取材でFUNを活気づけている。


昨日来たかったのに、仕事の都合でどうしても来れなかった脇山さんは、「あゆちゃんが取材してるとこを撮ってきて!」と言っていたので、大月さんがテレビ局の人たちを撮影していた。


フロッピーディスクやカセットテープ、使い捨てカメラでforFUNを作ってきた世代が一番アイデア豊富なのは面白いことだ。


いつ、どんな風に放送されるかは分からないが、きっと卒業生も合わせた百人を励ます内容になるだろう。


吉谷さん、TNCの取材スタッフの皆さん、どうもありがとうございました。


Last updated  2009.11.29 08:19:00
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2009.11.28

No.2 挙手ということ

学生と接するようになって7年、様々な経験があった。


私は主に講義を担当している。


その中で、私はあまり挙手を求める方ではないのだが、mpやFUNでは時々、挙手の機会がある。


私はこの挙手について、いつも色々なことを考えさせられる。


「頭が悪い」という言葉は、比較的進学校らしい学校を卒業した学生が多いFUNの場合、言われた経験がない学生が多いようで、私が受ける印象とは違う印象を受けるようだ。


学生たちが思う「頭がいい」とは、だいたい、試験の成績がいいとか、昔偏差値が高かったという限定的な意味だ。


私が思う「頭がいい」とは、自分の頭を使って責任のある意見を構築できるということだ。


つまり、「頭を使う」ということだ。


そして、挙手や意思表示の場を見ていると、学生たちは本当に頭を使っているのかどうかと疑問に感じる時がある。


私が解せないのは、以下の三つだ。


1.答えが分かっているのに手を挙げない。

2.自分はそうだと思わないのに、周りが手を挙げると自分も手を挙げる

3.手を挙げるかどうかは、自分の思想より、他人の顔色や大勢を窺ってからのことである。


私はこんな態度を「奴隷の態度」だと思う。


目の前に提出された課題に対して、自分の経験や知識を動員し、特定の意見を導き出すのが「頭を使う」ということではないのだろうか。


「間違っているかもしれない」

「自分一人だけ違うのは嫌だ」

「みんなと合わせておかないと不安だ」

というのは、手っ取り早く言えば、頭ではなく感情で反応しているのであって、いわば「カンニング」である。

私は、こんなことをやっている人間は、いくら名の知れた学校を出ていようが、点数が高かろうが、到底「頭がいい」とは思えない。

馬鹿以下の奴隷だ。


手を挙げようが挙げまいが、自分の思想や意見がないか、あるいはあってもそれを信じられないのであれば、それを「頭が悪い」というのだ。


なぜなら、頭を使っていないからだ。使わないのは、使った結果が間違っていた場合よりもレベルが低い。

20年前後も生きてきて、まだ他人の顔色を窺わないといけないとすれば、それは今まで行っていた学校が幼稚園だったということだ。

先生を尊敬するとは、たった一人でも、先生と見解の食い違うことがあれば、堂々と正論を述べる勇気を持つということだ。

違和感や不同意が残っていても、「先生が言うから」というのでは奴隷だ。

自分の意見に賛同してくれる人がいるかどうかを確かめて、それが多ければ反論するのも奴隷だ。

昔、大月さん、吉谷さん、脇山さんが学生だった頃、「どうしてサークル顧問をやっているんですか」と聞かれた時、笑いながら、

「奴隷解放運動だ」

と答えたことがあった。

みんな笑ったり、ドキッとしたりしていたようだが、私はいたって真剣だった。

今もその気持ちに変わりはない。

22年も生きてきて、どの業界でどの仕事をするか、どう働くかという基本的な問題に対してさえ、他人の顔色や世評を自己の思想信念より優先させるというのは、紛れもない奴隷ではないか。

合同説明会で、みんなが集まるブースに行って、同意も興味もないのにメモを取り、何かやった気になって安心しているのも、奴隷ではないか。

噂や口コミで興味が挫かれ、自分の直感や体験よりもどこぞの赤の他人の無責任な意見を拡大解釈して恐れるのも、奴隷ではないか。

就職活動だからと、何か特別なことをしなければならないと考えて、バイトやサークルを休むのも、奴隷ではないか。

独立した人間なら、自分が選択したバイトやゼミ、サークルこそ自分を形成する最高の環境だと考えるものだ。

それを後回しにして「就活対策」だというが、それが何の対策か。

そんなのは精神的引きこもりに過ぎない。

まともに生きていれば、バイトやサークルで自分を形成することは十分可能だと会得するのは簡単なことだと思うが、周りも似た人間ばかりなのだろう。

奴隷は自分の意見で生きることができない。

「ご主人様」の命令が絶対で、それに従わなければならない。

自分の頭を使わなくていいから、その生活はきわめて安定しているが、責任の前提たる自分の精神や思想の自由を放棄しているから、いくら生きても自信とは無縁の人間だ。

自信とはそもそも、偶然を必然に変えるため、挑戦と達成、反省と工夫を重ねていくことから生まれるものなので、自分の頭を使わない人間にそれが生まれないのは当然のことである。

自信とは、自分で責任を持って「やる」と決め、試行錯誤を経て達成し、「やってよかった」と、自己の選択を正解にできた実感に支えられて成り立つものだ。

私は就活対策を教えているのではなく、就活を通じて独立心を刺激したいだけだ。

独立した個を確立し、以て世の中に貢献する人材になってほしいだけだ。

今年も、7年前の氷河期のような時代になるだろう。

というより、氷河期という言葉に影響を受ける奴隷がまた多く生まれるだろう。

氷河期は環境ではなく条件に過ぎないのだが、奴隷にそんな発想はできない。

風邪も気の持ちようから始まるが、不況も同じようなものだ。

不況ほど就活に有利な環境はないのだが、どうしてそう考えることができないのだろうか。

「マスコミや先生が言うから」だろう。

こういうのを奴隷というのだ。

戦う前から負けている人間だ。

本物の勉強なんて、何年学校に行っても、1分さえしたことがない人間だ。

今年も、勉強のゾクゾクするほどの楽しさ、自分のワクワクするほどのすごさ、未来のギラギラするほどの明るさを思い知らせてやる。

さて、そろそろBCに行こう。




Last updated  2009.11.28 06:29:09
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2009.11.27

ぶれない軸【続き】

高校の頃に出会って、それからはまったのは小林秀雄です。


僕は『美を求める心』という本で小林秀雄と出会ったわけですが、この方の年譜を見て、また、作品をいくつか読んで、「これだ!」と思ったことがありました。


文豪・堤君の他は、何人が読んだことがあるか分かりませんが、「様々なる意匠」というデビュー作があります。


かなり難解な作品です。僕は高校時代、調子に乗って買ったのですが、全く理解できませんでした。

しかし、当時の僕が注目したのは、小林秀雄は、この作品を大学4年の時に構想していたことです。

そして、その年は、なんと「世界恐慌」が起こった年だったのです。

世界恐慌で世界中、日本中が猛烈な景気後退にさらされていて、その時に大学4年生ということは、嫌でも就職や将来の身の振り方を考えるであろうのに、よりによってこの人物は、作家の表現形式を人生の最優先テーマにしていたのです。

僕はなんだか、ずっと待っていた知己を見つけたような気がして、とても嬉しかったです。今になれば、おこがましいことですが。

堤君は、きっとこんな気持ちを分かってくれると思います。

また、僕が当時から好きな戦記文学『戦艦大和の最期』(吉田満)のあとがきに、小林秀雄が敗戦の翌年、世間が戦争を反省しろと大合唱している時に、「反省したけりゃすればいい。僕は馬鹿だから反省なんぞしない」と言ったことが書いてありますが、僕はこのエピソードを知った時も嬉しかったです。


極めつけは「真贋」でしょう。鑑定士に自分の持っている骨董品が「偽物」だと言われ、自分の感性を自問し抜く作品です。

僕はこれこそ「人間の問いだ」と思って、それが妙に嬉しかったのです。

小林秀雄は別に世間に反発していたのではなく、自分がそうありたい自分や、考えたいことを考える精神の自由を何より大切にして感性を保ち、磨いたんだと勝手に解釈して、すごく嬉しかったです。


それ以来、僕の好きな作家は、福田恒存、小泉信三、竹山道雄、岡潔…など、世間の流行や暴風の中にあってもしっかりと自分を確立し、保った人々です。

僕の批評眼が世間的にどういう評価なのかは気にするところではなく、ただ僕の感性が、この人たちの人生態度ととても相性が良く、読んでいてとても落ち着くのです。

今でも著名な小林秀雄を除いては、もうみんな、時代から忘れ去られた人たちで、著書も9割が絶版で、僕の親の世代でさえ知らない作家ばかりですが、そんなことはどうでもいいのです。


考えたいことを考え、思いたいことを思い、そうして与えられた人生を崇高に生き抜いたこういう人々が、僕はとても好きです。

僕の一番嫌いなのは、立場が危なくなると、選挙で有権者に向かって「お助け下さい!」と叫ぶような卑屈な人間で、ああいう、志操軟弱な人間が嫌です。

あんなのを選んだのも国民なら、不遇を全国放送して転落を眺めて楽しむのも国民です。

僕は「ざまみろ」と快哉を叫ぶような気持ちではなく、「おまえ、自分の言っていることが分かっているのか?」という不快感からあのシーンを見ました。

就活なら、さしずめ、卒業前に就職が決まらない4年生が、最期の最期で迎合してどうでもいい妥協に陥るようなもので、僕はそういう学生よりも、フリーターになっても、自分で就活費用を稼ぎながら、空き時間に野心を燃やしてプラスアルファの努力ができる人間の方が好きだし、信用できると思います。

あるいは、働く責任を自覚して、入社先がいかに無名で小さな会社であれ、そこを自分の持ち場と覚悟して勇往邁進する人の方がずっと素晴らしいです。

「就職留年」なんてのはもってのほかで、そんな選択肢をどこかに予想し、かつ期待するような心理だから、最初から決まらなかったんだろうが、とも思います。

世の中に、子供の就職が決まらないからもう一年大学にいさせよう、なんて考える親もいるようですが、子供が子供を育てているんじゃないかと思います。

親なら「馬鹿言ってんじゃないよ。1円も出さないからね」と愛情を示すべきだと思います。

甘やかすから子供が不幸になり、就職が決まらないくらいで「人生終わった」と悲観する子供も出てくるのでしょう。

そんな奴隷のような精神状態に陥って人生を棒に振るより、一年でも完全に自活してみるほうが、どれだけ人生を味わえるようになるかと思います。

結局、こういう人生は、22、23歳になってもオムツを履いているのと同じで、要するに、親が決めた人生を、おしゃぶりをなめながらヨチヨチ歩いているのと変わりません。

学問的動機や別の明確な動機がある場合は別として、ただ「新卒」の肩書きを残したいためだけの就職留年をする人は、人間的に信用できないと考えています。

頭用のオムツをはめているのが僕には見えます。

企業にも僕と同じ意見の人が多く、「新卒」の肩書きで得る信用よりも、消極的留年から生まれるマイナスイメージの方が大きいのは、まだ社会が健全である証拠だと思っています。


「どこかに決まる」のと、「自分で決める」のとではどっちが価値があるのか?

もちろん、どっちにもその人なりの価値を見出すでしょう。

しかし僕は、自分で決める人間の方が好きです。

僕が最近考えるのは、いまだ内定先が決まらないまま、就活コースで後輩のお世話を優先している数名の4年生の気持ちです。

もしかしたら、時々恥ずかしさもあるかもしれません。

自分を全力で出しにくいもどかしさもあるかもしれません。

しかし、僕は、こういう運命に耐えて後輩のために約束を守れる四年生は、将来、絶対に成長すると信じています。

内定したら途端に努力をやめてしまう「小手先内定者」なんかより、現実から逃げずに淡々と日常を過ごし、その中にも自分の本題を見失わず、「絶対にやってやる!」と内心燃えつつも、後輩を優先して相談に乗れる学生は本当に立派です。

そんな学生スタッフのみんなに遠慮して「内定者」という言葉の使用を控えたり、気遣ったりするのは最大の侮辱というものです。

大学内のゼミやサークルでは、半分以上が未内定というとろもあって、そんなところでは、未内定者を気遣って就職や内定の話題を出すのを避けているようですが、それこそ友達への侮辱というものです。

気遣われていることを察知した学生は、きっと、笑顔で示される優越感や無言の同情に強烈な反発を感じて、心中深く傷付くのではないでしょうか。

内定していようがしていまいが、変わらない態度でお互いの大事なテーマを話し合えるのが本当の友達なのではないでしょうか。

少なくとも僕には、内定していようがいまいが同じ学生で、もう14年も働いていると、皆さんが小学1年生と4年生を見ても大した差を感じないように、大学4年も1年も何の差も感じないので、僕は等しく皆「挑戦者」であると思っています。

ここまで読んでくれた3年生の方がいたら、ぜひ心得てほしいことがあります。

mp就活コースの学生スタッフの基準は「内定しているかどうか」ではありません。

「後輩と自分への責任を卒業まで果たし続けることができるかどうか」です。

ですから、内定した先輩には、どうぞ尊敬と信頼を感じてほしいです。

そして、目下挑戦中である先輩には、親しみと競争意欲を持ってほしいです。

これから加わってくるかもしれない先輩にも、同じ気持ちを持ってほしいです。

一つ上の学年でありながら、就活をリアルタイムに語ってくれ、身を以て示してくれる先輩の存在は、皆さんにとって何よりの刺激となるでしょう。

世論が「内定取り消し」や「派遣切り」、「雇い止め」を攻撃したせいで、今年の採用枠は激減し、来年度は今年度より客観的に就活が激化するのは確実です。

僕は7年連続で就活を見ていますが、こんな時期から「説明会で2時間待ち」、「説明さえ聞けなかった」、「申込さえできなかった」という話を、こんなにも多くの学生から聞いたのは初めてです。

包み隠さず言います。初めてです。

だからこそ、就活コースにたいへんな不安と希望を託して来てくれているのでしょう。

内定目前の先輩たちの姿は、そんな皆さんにとって、「自分もやればできるんだ!」と何よりの希望に、お手本になるでしょう。

そして、内定目前の4年生の皆さんは、さらに激化する就活に突入する後輩たちを励ませる最高の立場にいることを自覚して下さい。

あたかも、母子家庭に育ち、学歴もなく、中高生の時代から経済的困難を味わってきた僕が、家庭崩壊寸前の家の若者の就職、再就職支援で、保護者が泣いて喜ぶほど感謝されたように。

人を助けてみれば、自分が不遇だと決め付けていた体験の価値も分かります。

少なくとも数名の皆さんは、「今決まっていない」だけで、卒業までそうなのではありません。

僕はmp6をはじめとする学生スタッフの皆さん一人一人の目のきれいさに、いつも感動しており、なんと素晴らしい若者たちかと毎週感謝しています。

同時に、その中にいて自分の就活もしながら、後輩の就活も応援する数名の四年生の姿を見て、皆さんたちこそ就活コースの何よりの宝物だと思います。

世界恐慌の年にあって小林秀雄が自分の深い問いを問い続け、将来を切り開いたように、もう少しで名誉職と退職金満額がもらえた竹山道雄氏が、思想的に同意できなくなった母校を去って孤軍奮闘、文筆の道で生きたように、皆さんも自分の可能性への信頼を片時も忘れず、今、この時に、将来ぶれない人間になるための根が育っているのだと信じて、身近にいる大切な人、つまり、皆さんを慕って毎週木曜に集まってくれる後輩たちのために、ともに尽くしていきましょう。

そうすれば、小林秀雄が『歴史と文学』を書いたように、竹山道雄が『焼跡の審問官』を書いたように、皆さんもきっと、自分の人生を深い陰影を刻み、輪郭のはっきりした骨太な人生を送れるはずです。

並みじゃない時代の並みじゃない就活を乗り越えるには、並みじゃない仲間たちとの並々ならぬ信頼関係と協力が必要です。

強い個を育ててこそ全体の団結の意味があり、全体を刺激してこそ個の存在意義があります。

ぶれない軸は本気の人間のぶつかり合いによってしか生まれません。

今回の「4」でトップ内定セミナーの基礎編は終わりました。

来週からは具体的な対策、つまり「現実と向き合う対策」が始まります。

「ここは一体、どんな場所なのか」を、一丸となって三年生のみんなに示していきましょう。

そのためにも、読書合宿で東郷平八郎と明治の日本人の気迫に触れましょう

僕は正直、これに来るか来ないかで、かなりのことが決まると直感しています。



Last updated  2009.11.27 23:52:49
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私の就活論 No.1 ぶれない軸
[ ★私の就活論 ]    

どうもお久しぶりです。9ヶ月ぶりに本ブログに戻ってきました。


昨日は、有り難いことに、学生さん数名から「何か書かないんですか」と聞かれました。


リクエストを頂くのは嬉しいので、ちょっと考えた結果、僕の好きな福田恒存さんの著書の中でも、毎年特に学生に人気の『私の幸福論』(筑摩文庫)をもじって、


『私の就活論』


と題して書いていこうと思います。


テーマや質問もどんどん募集していきたいと思っているので、ぜひ、コメント欄に書いていただければ幸いです。


さて、初回は時々聞かれる「僕の昔の就活」について。


僕は皆さんより2年早く働き始めたし、また、会社勤めは3年しか経験したことがなく、あとの10年は全部自分のアイデアだけで食べていて、他人から商品を卸してもらったことも作ってもらったこともなく、自由気ままに生きている人間です。


ですから、皆さんは、今後就活をしたり、また、社会人になったりしても、こんなに精神状態が自由な「年上の知り合い」には、あまり会えないと思います。


したがって、僕の意見は、偏っているかもしれないし、かなり特徴的だと思います。


以下は、就活コースや新人コースでお話している論理的、客観的事実ではなく、僕の「個人的意見」だと思って読んで下さい。


さて、僕が皆さんの頃に考えていた「就活」とは…。


はっきり言って、僕が「仕事の軸」を決めたのは皆さんの大半より早いと思います。


といっても、まだ幼稚な軸ですが、僕は15、16歳の頃には「社長になる」と考えていました。というより、「社長以外、ならない」と考えていました。


その頃、社長なるものが何なのか、具体的に知っていたわけではありませんが、とにかく、僕は「お金と時間の自由」というものに猛烈に憧れていました。


僕がこの世で「絶対に嫌だ」と思ったのは、通勤の満員電車やバスで、どんな待遇や幸福があろうが、朝からあんな状態で、あんな顔で通勤するような将来は絶対に嫌だと思っていました。


また、僕が嫌だったのは「他人に給料を決められること」です。


そして、「他人に勤務地や職種を決められること」です。


あるいは、「他人に将来性や選択肢を決められること」です。


わがままに思えるかもしれませんが、正直に、中学、高校の頃の僕は、先に「絶対になりたくないもの、やりたくないこと」を先に考えていました。


だから、必然的に選択肢から外れたのは、「サラリーマン」と「公務員」です。


僕は個人的には、安定が嫌いな人間です。正しくは、他人が作った安定は嫌いな人間です。


当時は安定と聞くと、自分が自分じゃなくなるような気がしていました。


こういう自己分析は昔から体験的にやっていて、例えば、僕は教室で、「もし間違っていたら」と他人の顔色を窺って「挙手しない」ということは絶対にしませんでした。


「分かった!」と思えば間違っても、誰も手を挙げなくても手を挙げるし、また、みんなが「分かった」と言っても、自分が分からなければ、馬鹿と言われようがアホと言われようが「分かりません」と言いました。

全員が無意識に賛成する議題でも、納得できなければ、たった一人でも絶対に手を挙げません。


「なんで、分かるのに手を挙げないのか」

「なんで、そう思わないのに手を挙げるのか」


僕にとって、クラスの群衆こそ、いつも興味深い観察対象で、こういうこともあって、僕は、全体の雰囲気に合わせて意見を変える人間が昔から不思議なのです。


僕は授業中、先生の出す問題は全く解けませんでしたが、一人でぼーっと、

「なんで、日本の中学生、高校生は、授業中に、答えが分かっているのに手を挙げないのか」

「なんで、日本の中高生は、何か意思表示を求められると、自分の心よりは他人の顔色を窺って迎合するのか」という問題ばかり考えていました。


正解がある問いじゃないし、解いても点数も偏差値も全く上がらない「無駄」な問いですが、まぁ、僕という人間は昔からこんな感じで、学校の中に考えるテーマを探しては、勝手に問題を作ってあれこれ考えるのが好きな子供でした。


ということで、自分の意見は絶対に曲げないし、周囲に合わせるのは苦手な上に嫌いなので、嫌われる時はすごく嫌われます。


しかも、嫌われることを嫌と思っていないので、平気で憎まれ口も叩きます。


とうてい、会社勤めに向くような性格ではありません。僕は「社長向き」な性格であるかどうかは別として、「勤めには向かない」という性格であったことは確実です。


こういうこともあって、通勤電車のサラリーマンの顔をじーっと眺めては、あんな人生だけは送りたくないと考えていたのです。



Last updated  2009.11.27 23:51:11
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