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職の精神史

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2008.05.14
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大アジア主義


尾崎秀実「検事訊問調書」1941年
(筑摩書房『現代日本思想体系』第9巻「アジア主義」1963所収)



コミンテルンのスパイとして、近衛内閣の中枢で工作活動をしていた尾崎秀美は、1941年、真珠湾攻撃の直前に逮捕された。

戦果に日本中が沸き立っていた開戦2ヵ月後の1942年2月に、検事の訊問に答えた形式の「獄中供述書」は、その後の見通しをあまりにも正確に予測している。

日本がこの通りに敗戦するように、十年以上も身分を隠して工作してきたので、当然だろう。「大東亜戦争とスターリンの謀略」と同様、重要部分のみ抜粋した。



尾崎秀実2


一、コミンテルン並に日本共産党に対する認識について

◆コミンテルンは此の目的実現の為革命の戦術戦略を規定し常に其の支部たる各国共産党を指揮統制してゐるのでありまして現に其の日本支部たる日本共産党に対しても昭和二年の所謂二七年「テーゼ」、昭和七年の所謂三二年「テーゼ」等其の他を以て日本に到来すべき革命の性質を規定し日本に来るべき革命はブルジョア民主主義革命で其の革命は急速にプロレタリア革命に転化するものとし或は革命の性質は急速にプロレタリア革命に成長するブルジョア民主主義革命なりとして、天皇制の打倒をスローガンとすることを規定して居ります。

従つてコミンテルンは世界革命の一環として我国に於ても共産主義革命を遂行して我国体を変革し、私有財産制度を廃止しプロレタリア独裁を樹立し此の過程を通じて共産主義社会を実現せんとするものであることは勿論であります。


スターリン


三、ゾルゲ諜報団の本質及目的任務について

◆吾々のグループの目的任務はゾルゲから聞いた訳ではありませぬが私の理解する所では広義にコミンテルンの目指す世界共産主義革命遂行の為日本に於ける革命情勢の進展と之に対する反革命の勢力関係の現実を正確に把握し得る種類の情報並びに之に関する正確なる意見をモスコーに諜報する事にあり、狭義には世界共産主義革命遂行上最も重要にして其の支柱たるソ連を日本帝国主義より防衛する為日本の国内情勢殊に政治経済外交軍事等の諸情勢を正確且つ迅速に報道し且つ意見を申し送つて、ソ連防衛の資料たらしめるに在るのであります。

従て此の目的の為には凡ゆる国家の秘密をも探知しなければならないのでありまして、政治外交等に関する国家の重大な秘密を探り出す事は最も重要な任務として課せられて居るのであります。


リヒャルト・ゾルゲ


七、第二次世界戦争から世界共産主義革命への見通しについて

◆私はこの第二次世界戦争の過程を通じて、世界共産主義革命が完全に成就しない迄も決定的な段階に達することを確信するものであります。

その理由は、第一に世界帝国主義相互間の闘争は結局相互の極端なる破壊を惹起し、彼等自体の現存社会経済体制を崩壊せしめるに至るであろうと云ふことであります。

(中略)敗戦国家に於ては第一次世界大戦の場合と同様プロレタリア革命に移行する可能性が最も多く、又仮令一方が残つた場合でも戦勝国は内部的な疲弊と敵対国の社会変革の影響とに依つて社会革命勃発の可能性無しとしないのであります。


戦後の日本共産党デモ(徳田球一)


◆第二には、共産主義国家たる強大なソ連邦の存在してゐる事実であります。私はソ連は飽くまで帝国主義諸国家間の混戦に超然たるべきものであると考へ、その意味に於てソ連の平和政策は成功であると考へてゐたのであります。

対ソ連攻撃の危険性の最も多い日本及ドイツが前者は日支戦争により、後者は欧州戦争により、現実の攻撃可能性を失つたと見られた時、私は以上の見通が益々確実なものとなつたことを感じたのであります。


Adolf Hitler


◆然らば日本に於ける革命情勢の進展を如何に予想したかと云ふ点について述べると、由来日本は帝国主義国家として最も特徴ある強力なる国家の一つではありますが、その資本主義経済の体制は決して充実した強力なものとは云ひ得ず、寧ろ甚しく不均衡であり、全体としては脆弱性を持つてゐると云ふことが出来るのであります。(中略)

私の秘かに予想した所では、第二次世界戦争はその過程の裡に於て社会経済的に脆弱なる国家程最も早く社会的変革に遭遇すべきものであるから、日本も亦比較的速に斯る経過をとるであらうと考へたのであります。


B29


◆これを最近の段階の現実に照応せしめて説くならば、日本は結局に於て英米との全面的衝突に立到ることは不可避であらうことを夙に予想し得たのであります。

勿論日本はその際枢軸側の一員として立つことも既定の事実でありました。此の場合日本の勝敗は単に日本対英米の勝敗によつて決するのではなく枢軸全体として決せられることとなるであらうと思ひます。

日本は南方への進撃に於ては必ず英米の軍事勢力を一応打破し得るではありませうがその後の持久戦により消耗が軈(やが)て致命的なものとなつて現はれ来るであらうと想像したのであります。

而も斯る場合に於て日本社会を破局から救つて方向転換乃至原体制的再建を行ふ力は日本の支配階級には残されて居らないと確信してゐるのであります。


戦艦大和撃沈


◆ここに於て私の大雑把な対処方式を述べますと、日本はその破局によつて不必要な犠牲を払はされることなく立直るためにも、又英米から一時的に圧倒せられないためにも行くべき唯一の方向はソ連と提携し、これが援助を受けて、日本社会経済の根本的立て直しを行ひ、社会主義国家としての日本を確乎として築き上げることでなければならないのであります。日本自体のプロレタリアートの政治的力量も経験も残念ながら浅く、而も充分な自らの党的組織を持たないことのためにソ連の力に待つ点は極めて多いと考へられるのであります。


満州に侵攻してきたソ連軍


八、現下の世界情勢に対する見解について

◆しかしながら帝国主義国家の意図するところは正に以上の如きものであり、世界の再分割こそ一切の目的あつたとしても、この第二次世界大戦がそれらの主観的意図とはまったく別個の客観的な経過と結果を示すであらうことは、私たちのひそかに確信したところでありました。


◆以上の如き予想に基いた現実の形態と更にこれに対処する方式として私がしきりに描いたところは、次の如きものでありました。第一に、日本は独伊と提携するであらうこと。第二に、日本は結局英米と相戦ふに至るであらうこと。第三に、最後は我々はソ連の力を籍り、先づ支那の社会主義国家への転換を図り、これとの関連に於て日本自体の社会主義国家への転換を図ることでありました。


東条内閣の顔ぶれ


◆一応の南方進出体制を確立し得た六ヶ月以後には却つて日本に取つて不利な諸状勢が発展し始めるのではないか、その一は船舶の不足等に加重せられて戦時必需物資たる石油、鉄、その他食糧などの不足が問題となり来り、国内人心にもまた動揺が現はれるのではないかと考へ、更に、さなきだに脆弱なる日本の貨幣面に悪性インフレが見舞ふ可能性が軈て増大し繰るであらうと考へたのであります。

日本自身は私の以上の如き考へ方からすれば、頗る敗退の可能性を多く含んだ国といふことになるのであります。


玉音放送


◆私の立場から言へば、日本なり、ドイツなりが簡単に崩れ去つて英米の全勝に終るのでは甚だ好しくないのであります。万一かかる場合になつた時に英米の全勝に終らしめないためにも、日本は社会的体制の転換を以てソ連、支那と結び別の角度から英米に対抗する姿勢を採るべきであると考へました。

此の意味に於て、日本は戦争の始めから、米英に抑圧せられつつある南方諸民族の解放をスローガンとして進むことは大いに意味があると考へたのでありまして、私は従来とても南方諸民族の自己解放を「東亜新秩序」創建の絶対要件であるといふことをしきりに主張して居りましたのはかかる含みを籠めてのことであります。この点は日本の国粋的南進主義者の主張とも殆んど矛盾するところなく主張される点であります。


ソ連軍の戦車


十、今事件を中心とする現在の心境について

◆勿論、私の行つてゐる如きことが猛烈な反国家的な犯罪であることは云ふまでもありません。従つて理論的には、その行動を是認しつつも時に具体的行動の後ろめたさを感じたことも否定出来ません。

私は常に露見、逮捕と云ふ如き場合の結果を自分の一個の死と結びつけて考へて居りました。「要するに死ねばいいのだろう」と云ふ点に一つの覚悟の基礎を置いて居たわけであります。


~終わり~



尾崎秀実は、1944年11月7日、ロシア革命記念日に処刑された。








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Last updated  2008.05.15 00:47:26
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