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新型インフルエンザ2008の日記 [全8件]
日曜日にNHKスペシャルで「未知の脅威 新型ウイルス 日本は耐えられるか」を放映していました。 http://www.nhk.or.jp/special/onair/090913.html 内容は新型インフルが発生する以前から、すでに予想されていたことばかりでした。 その中でも注目すべきは、発症後「ウイルス性肺炎」によって数日で死亡した基礎疾患のない患者についてです。 これは以前から最も恐れられていた事態です。 弱毒性といわれていた今回の新型インフルが、事実上、強毒性に変異したということではないでしょうか。それが出始めているということです。 この情報に機敏に対処してどう備えるか。 繰り返しお伝えしている通り、サバイバルは初動態勢と行動力が何よりも大切です。この秋冬の品不足はマスクだけでは済まなくなる可能性があります。 以下の記事は昨年7月にブログに記したものです。 備蓄をするならマスコミが強毒性を大々的に報道し始める前、つまり今のうちです。 http://plaza.rakuten.co.jp/noah2008/diary/200807040000/
鳥から発生すると予想されていた新型インフルエンザが豚から発生しました。 そして、アジアから広がるといわれていたのが、メキシコを発生源としました。 今回の豚からの新型インフルエンザは、やがてくる毒性の強い、鳥による新型インフルエンザに比べて被害が少ないため、日本国内もまだ混乱していません。 もし死者が強毒性なみに多く発生していたら、日本国内でも一般市民の緊張は、現時点ですでにもっと高まっていたことでしょう。 マスコミで報道されていることは、すでに昨年より皆様にお伝えしてきた内容が、現実になっただけのことです。しかし、いざこのような事態になると、現実であるはずなのに、まるでドラマを見ているような不思議な感じがします。 食料・水・日用品の確保・備蓄でも記したように、メキシコでは食料品の買い占めが始まっています。また、日本国内でも都市部の薬局では、すでにマスクが品切れ状態のところが出始めています。 今回はいずれくる毒性の強い、鳥による新型インフルエンザの防災訓練だと思って、社会で起こっていることを注視して、私たちが何をすべきかを真剣に考えて対処すべきでしょう。 ![]()
GWに実家へ帰省した折、母に新型インフルエンザに備えて、備蓄するようにと話しました。 すると昭和一桁生まれで戦中派の母は、新型インフルエンザに関わらず、既に日頃から備蓄をしていたのです。 そういえば阪神大震災の時にも、さすが戦中派と感心したことがありました。 地震が起こった直後に、普通ならまだ何が起こったか状況が把握できない頃に、母は反射的に「まだ水道は止まらないだろう」と思い風呂の水を張ったのです。 そのお陰でその後数週間、水道が断水したにも関わらず、年老いた母はポリタンクを持って、給水車まで水を汲みに行かなくて済みました。 本で読んだ知識とは違い、実体験で身につけたサバイバル感覚は、とっさの時に本能的に発動するようです。やはり経験に勝るものはありません。 だから、今回の新型インフルエンザの話をした時にも、「1~2ヶ月生きていくだけの備蓄は十分にある」というのです。 あの阪神大震災の経験から、サバイバル意識にさらに磨きがかかったようです。 私たちはいつの間にかこの生活が普通だと思ってしまいがちですが、これまでの人類の暮らしぶりと比べてみれば、今の時代の方が特殊です。 食糧をはじめ生活必需品なら何でも手に入るスーパーマーケットが登場したのも戦後ですし、24時間開いているコンビニが登場したのも、この数十年のことです。 そして、今では備蓄しなくても、たとえ夜中でも、いつでも近くの店に買いに行けるような時代です。 戦時中、あの毎日のように空襲のあった時代には、政府が一般市民を守ってくれるようなことはありませんでした。 大本営発表のマスコミ情報も当てになりませんでした。 だから、自分の身は自分で守らなければなりませんでした。 スーパーどころか店自体が空襲で焼失してしまったような時代、爆弾を落とされて交通手段が寸断されて、物流がストップしてしまったような時代です。 食糧も物品も受け身や依存ではなくて、サバイバル意識を持って、自分で手に入れなければなりませんでした。 だから、備蓄も当たり前のようにされていたのです。 いえ、戦時下でなくても、今日のように物流も産業も発達していない昔は、備蓄をするのが普通だったのです。 今、あのサバイバルの時代から半世紀以上が過ぎました。 しかし、日本の食糧自給率は非常に低く、戦争に限らず、新型インフルエンザのパンデミックのようなことがひとたび起これば、当たり前のようなこの生活は一変します。 だから、政府はこの自給率を何とか上げようと対策を練っています。 しかし、国の対応がいつだって遅いことは、私たちもよく知っていることです。 ところが私たち自身の意識も、やはり国とあまり大差のないことも知っておくべきでしょう。 スーパーで簡単に出来合いのものが買える時代です。 家庭で裁縫をすることも、アイロンがけをすることも、漬け物を作ることも、大工仕事をすることも、野菜を栽培をすることも、時代と共にめっきりなくなりました。 国だけではなく各家庭や個人のレベルまでもが、昔に比べて全てが外に依存するような仕組みになってしまったのです。 気候から経済から、これだけ世界が混沌としてくると、いつバランスを崩して世の中がひっくり返るような、想像を絶する事態が起こらないとも限りません。 だから、「今のうち」にサバイバル意識を少しでも養っておくことが必要なのです。 「その時になってから考えよう」などと思っていたのでは、間に合わないかもしれません。 なぜならサバイバルは初動態勢が何よりも重要だからです。 このように考えたとき、これからの世の中を生き抜いていくためには、これまでの依存型から再び自立型の時代へと、頭を切り換えていかなければならないのではないでしょうか。
備蓄のための食糧を少しずつ買い足している時に、スーパーでふと思ったことがありました。 大型スーパーの食料棚に並んでいる商品も、実際に数を数えてみると、大型スーパーのイメージとは異なり、案外少ないものです。 ということは、私が備蓄のために普段よりも多めに購入している、たとえばこのレトルトも、私のような備蓄目的で買い物に来る人がたった10人いるだけで、この種類のレトルトは大型スーパーであるにも関わらず、一瞬で無くなってしまうことが予想されるのです。 裏にある在庫にいっても、品数はしれていることでしょう。 ということは、備蓄目的に食糧や日用品の買い出しをする人が、その地域に100人現れたらどうでしょうか。 以前にお昼の健康ワイドショーで、納豆の効能を取り上げたところ、一瞬でスーパーから納豆が消えてしまった出来事は、まだ記憶に新しいことです。 新型インフルエンザに備えなければならないと感じている人でさえ、それを行動に移して備蓄をしている人は、まだまだ多くいません。 それはどこかに「本格的に世間でも言われ始めてからでも遅くない」という、安易な日和見意識が働いているからです。 しかし、前号でもお伝えしたように、これはサバイバルです。 サバイバルは初動体勢と行動力が何よりも大切です。 マスコミで本格的に新型インフルエンザについて報じられれば、あの納豆が一瞬のうちに店頭から消えてしまったような状況が起こることも、十分に考えられるのです。 マスコミの情報によって人々が過剰に反応して、パニックが起きてしまうと、新型インフルエンザが発生する前であっても、需要と供給のバランスが崩れてしまい、備蓄に必要なものが手に入りづらくなる可能性があるのです。 特にマスクなどは花粉症対応マスクと違い、ウイルス対応マスクは元々需要がない分、生産量も少ないことから供給が追いつかずに、すぐに店頭から消えて無くなってしまいます。 するとあの「たまごっち」の大流行の時のように、買い求めようにも、数ヶ月の入荷待ちという状況にすらなりかねません。 だから、一番影響力の強いテレビのようなマスメディアでは、いたずらに人々がそのようなパニックに陥り、社会混乱を招かないように、より慎重に情報を控えているのかもしれません。 しかし、新型インフルエンザ発生の時は、着実に近づいているのです。 そして、いざ新型インフルエンザが発生してしまうと、それに加えて間もなく今度は物流や生産に携わる人々が病に倒れてしまい、人手不足からいよいよモノが滞ってしまうのです。 だから、自由に、そして安価に手に入る今のうちに、備蓄を進めておくことが大切なのです。
政府や厚生労働省が呼びかけているとはいえ、いつ起こるとも知れない新型インフルエンザの脅威に備えて、食糧や日用品の備蓄をすることは勇気のいることです。 世間にまだほとんど浸透していない今の段階で、新型インフルエンザの情報を真に受けて備蓄することは、愚かなことと受け取られかねません。 それは自分がまるで「ノストラダムスの大予言」のような末法思想に振り回されて、狼狽え右往左往しているように映るからです。 しかし、理由は後ほどお話するとして、世間の意識が高まるような状況になってからでは遅すぎるのです。 これは一種のサバイバルです。 そして、サバイバルである以上は、ああでもないこうでもないと考えている場合ではなく、初動体勢と行動力が大切です。 しかし、何一つ変わらぬ日常生活の中で暮らす私たちにとって、現実味を欠いた脅威に備えることは容易なことではありません。 そのために克服しなければならない敵がいるからです。 ジャングルでのサバイバルと違って、その敵は外にいるのでも、直接危害を加えるものでもありません。 私たちの疑心と打算、世間体が敵となって、私たちの初動体勢と行動力を鈍らせてしまうのです。 「もし備蓄をしても、何も起こらなかったら、自分は馬鹿に見えるのではないか」 「もし何も起こらなかったら、備蓄した努力がすべて無駄になるのではないか」 と。 そこで自動車保険やその他諸々の保険と、食糧や日用品の備蓄とを比べて、考えてみたらどうでしょうか。 多くの人たちが自動車事故やその他諸々の災難に備えて保険を掛けています。 「もし事故をしたら、もし盗難にあったら、もし火災にあったら、もし入院したら」と。 しかし、それらの災難に遭う確率は、遭わない確率よりもかなり低いはずです。 そうでなければ普通はこうした保険には入れないものです。 それなのに私たちは「たぶん起こらないだろう」と思いながらも、万一の時のためにと、当たり前のように保険を掛けます。 では起こる確率の元々低い災難が、実際に起こらなかったからといって、「掛けた保険が無駄に終わった」とか、「掛けた自分が愚かだった」と悔やむ人はどれだけいるでしょうか。普通はほとんどいません。 事故、盗難、大病、火災。 私たちが人生でこれらの災難に遭わずに済む可能性は十分にあります。 しかし、新型インフルエンザが発生する可能性は、確率の問題ではありません。 いつ発生するかという、時間の問題なのです。 だから、災難に掛けた保険こそ無駄になることはあっても、備蓄した食糧や日用品が無駄になることはないのです。 期限内に発生しなければ、食糧なら賞味期限までに食すれば良いのだし、消耗品もそれまでに使用すれば良いのです。 そう考えたら、食糧や日用品の備蓄はちょっと多めの「買い置き」だと思えば良いだけのことです。 起こらないかも知れない災難に保険をかけている自分でありながら、確実に発生する新型インフルエンザに備えない自分を客観視することが出来たなら、何をすることが本当に賢明なことなのかが自ずと見えてくるはずです。 サバイバルは初動体勢と行動力が何よりも大切なのです。
私が本格的に新型インフルエンザについて調べ始めたのは、つい1ヶ月ほど前からのことでした。 そして、私の性分は自分が知って良いと思ったものは、人に伝えずにはいられないことです。だから、私が知った内容を、そのまま周りにどんどん伝えていきました。 ところがその時の周りの反応は、私が初めて新型インフルエンザの恐ろしさを知ったときと同じでした。 「まさか~」というものです。 そして、私がその脅威を語れば語るほど、その時の相手の反応から、まるで私が何かのカルト宗教に取り憑かれてしまったように映っていることに、自分自身も感じました。 毎日のようにテロや病気、飢餓で、人が何十人も亡くなっている国で暮らしている人々と違い、日本で暮らしている私たちにとっては、新型インフルエンザの脅威を本当のこととして受けとめるには、それはあまりに非現実的です。 事実を受け入れようとしている私でさえ、まだまだ現実味がありません。 だから、周りに伝えることによって、自分自身にも言い聞かせているようでもありました。そして、客観的な情報から、これが事実であると知ったもう一人の自分が、現実のこととして考えられない自分の重い腰をあげさせるために、自らを鼓舞して、意識的に食糧や日用品の備蓄を始めたのです。 そして、気づいたのです。 これは「愛する」ことの実践の一つなのだと。 客観的な信頼のおける情報から、迫り来る命の危険が紛れもない事実であると知った以上、知っていながら行動しなければ、「愛」がないと言われても仕方ありません。自分を愛してもいないし、周りを愛してもいないのです。 それが事実であり、本当に自分や周りを愛しているというなら、自分や周りを「活かす」ためにも、たとえそれが現実のこととしてピンとこなくても、自らを奮い立たせて、行動に移さなければならないはずです。 それが「机上の空論」ではない愛の実践です。 ※以下の映像は今年1月27日に放映された新型インフルエンザを特集したものです。 【映像】近未来×予測テレビ ジギル&ハイド 「東京都は都立公園を死体置き場にする計画を立てている」 http://www.tatsu.ne.jp/noah/kinmirai.html |一覧|Recommend Item
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