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2009年10月17日
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 ショートショートの面白さは何か、もちろんオチの面白さに尽きる。
 僕はショートショートの評価基準を、オチの斬新性5、構成力(演出力とでも言うか)3、文章力2としている。ただし、プロの作品の場合、構成力、文章力などあって当たり前だから、オチの斬新性8、文学性2とする。
 オチというのは、即ちアイデアの事であるが、最高点のオチを、とりあえず「文学的思想の創作であって、高度に独創的なもの」としておく。つまり、新しい、独創的(斬新)ということが大切であり、ショートショートの価値を決めると考える。
 これはオチこそすべて、という考え方だが、これだとプロはショートショートに手を出したくなくなるに決まっている。プロがプロ足りえるのは、構成力とか、文章力とかであって、素人との差はそういうところに確実に現れる。が、アイデア勝負となると、ほとんどプロもアマもない勝負といえなくもないからである。
 では、ショートショートのプロは存在できないのか?
 少なくとも、ショートショートの潜在的な需要はかなりあるのではないか?
 その中で、星新一以降、これはという作家は出ていないのが現状である。ショートショートの復興などと、素人の癖におこがましい事は言いにくいが、ここでは、そういったショートショート文学の難しさを少しずつ考えていきたいと思っている。

 さて、推理小説などで、トリックの体系化という試みはけっこう行われている。
 では、ショートショート小説のオチを、理論的に体系化した人はいるのだろうか。おそらく、僕自身が寡聞にして知らぬだけの事で、そういう先人の作業は実在するに違いない。
 ただし、その体系化を公表するかどうかは別の問題である。なぜなら、オチを体系化するという作業は、創作のための虎の巻を造るという事に他ならない。虎の巻は秘匿しておくのが望ましい。それは作家にとってはアイデアのソースとなるべきものだからである。

 これは想像に過ぎないが、ショートショートの開拓者、星新一などは、それをやっていた可能性が高い。いくら天才だとは言え、1000ものショートショートを生み出した実績は、ただアイデアのひらめきを待つだけで出来きる技ではないだろう。オチを生み出す思考の型押しのようなもの、均質の作品を生み出すためのガイド、そう言ったものがどのような形であれ存在していたはずである。

 今ネットの中では、多くのアマチュア作家が、ショートショートと自称する作品を生み出している。これを個別に見れば、コンスタントに良質のショートショートを生み出す作家は極めて少ないという事がわかる。例え目を見張る数作を発表できたとしても、ほとんどの作家が、それ以上は書けなくなってしまうか、駄作を量産するか、というところだろう。

 もっとも、アイデアという事について考えると、プロ、アマを問う必要もないのかもしれない。ひとりの作家の持っている独創的なアイデアは、わずかに数個に過ぎないと言い切る者もいる。推理小説のヴァン・ダインなどもそのうちのひとりで、作品数も少ないし、実際面白い作品は前期の数作にしかすぎず、それだけで名を残しているといっても言い過ぎではないだろう。逆に、アガサ・ククリスティ、エラリー・クイーン(もっとも彼は二人分の頭脳を持っているのだが)などのように多作の作家も一方では存在する。
 これは、アイデアの差というより、手法の差ではないだろうか。もちろん、その手法こそ作家にとっての企業秘密に他ならない。とすると、ショートショートにおいても、創作である以上、多作を可能にする手法が存在するのではないか。その試みが、あるいは自らの虎の巻としてオチの体系化を作り上げることなのかもしれないと考えるのである。

 さて、僕自身は、まだまだそのような虎の巻を自家薬籠にするまでに至っているとはいえない。しかし、例えば一週間に一本、一定レベルの作品を発表するためにどうするかを考えると、それなりの「手法」を持っている必要がある。体系化といかないまでもオチの定型をいくつか分類化しておき、アイデアのソースとする手法が必要となってくるのである。

 例えば、幽霊オチ、擬人化オチ、駄洒落オチ、性錯誤オチ、異文化比較オチ…内容に少しだけ入っていこうと思うが、これらの定型は何度も設定と構成を変えて繰り返されている。ネットのショートショートではもっとも多く読まされる類型でもある。

「幽霊オチ」(映画、シックスセンスはあまりにも有名(自作:幽霊女「鏡」)は、「実は幽霊でした」で終わるものだが、大きくは夢オチ(自作:帰宅)と同じ類型なのだろう。夢オチはショートショートではご法度とされているが、これもバリエーションはいくつかある。また、「実は多重人格でした」で落とす多重人格オチ(自作:兄弟の手)などは幽霊オチの類型に含まれるかもしれない。
 付け加えるなら、ハリウッドはこの類型をこれでもかこれでもかというぐらい多く映画化している。最近でも、「ダイアナの選択」「パッセンジャー」など、全部そうだ。アイデアの枯渇というべきか。

「擬人化オチ」は、僕はまだ書いたことがない。モノあるいは動物を擬人化してストーリーを語り、最後に「人間ではありませんでした」で落とすのだが、ネットではこれもかなり多くの作品を見る。一作や二作はいいが、何を擬人化しようが結局は同じネタである。

「駄洒落オチ」はどうか。厳密にショートショートと規定できるかという問題もあるかもしれない。が、ショートショートとは、現代文学の落語である。という考え方で見れば、充分許容される。事実、読んで面白い。だが、いくら傑作を生み出しても所詮日本語の遊びであるから、O・ヘンリーにはなりえないし、文学として世界を相手に出来ないという弱みがある。が、僕はこれをかなり書いていることを告白しておこう。安易に流れるのは良くないが、まあ楽しければいい、というところである。(尚、ネットではライボス氏の「ショートショートの楽園」が面白い。これを読むと自分も何かひとつ書きたくなってくる)

「性錯誤オチ」もネットではよく見かける類型のひとつだ。女だと思っていたものが男だった、あるいはその逆だった、というもの。このオチは実は叙述にトリックがある。犯人が作者でしたというオチ、あるいは多重人格でしたというオチと同じ、大きくは叙述のトリックに属するものだろう。つまり映像化することはできないオチだ。文章で表現する小説だからこそ、できるオチなのである。気をつけなければいけないのは、このオチは、ストーリーに何らかの意味を持たなければ、ただのミスディレクションの書き物に堕してしまうということである。現にそういう落とし穴に嵌った作品も少なくない。 
 
 以上はオチの類型化の例示に過ぎないが、これを体系化することは実に難しい。困難な問題は、大分類が何か、その細分化が何か、というところだろう。が、体系化に成功すれば、細分化された類型が他の類型と複合的に絡まる事で、また新たなネタを起こす事が出来るようになる。この細分化した類型の結合、置換、転用こそ、容易にイマジネーションの働くところであり、新しい作品を生み出すテクニックになりえると言えるのではないか。
 例えば、自作の「夫と妻の記念日」は性錯誤オチに食人オチを加えたもの(ちょっと捻りすぎてわかりにくくなってしまったかもしれないが)。細分化したオチの結合である。
 
 ただし、最近書いた、「命中」はありふれた未知との遭遇オチで、まったくオチとしての斬新性は劣る。実は同じような作品をこれまで何作も書いているのだが、これはいわば、創作の癖のようなものかもしれない。新しいのは、クレー射撃と円盤を結び付けているところだけだが、これなど苦し紛れの確信犯的な仕事である。
「命中」は、まったくバレバレだが、実際のところ、このような旧ネタを新しく見せるテクニックが身に付かなければ(かくして、作者は、老獪と言う評価を受けることになる)、週一本というノルマは達成できないのではないかと密かに思っている。





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最終更新日  2009年10月17日 05時36分37秒
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