テーマ:癌(3513)
カテゴリ:抗癌剤について
やっぱり抗がん剤で殺されたのですね。 「まず初めに『ご本人にはつらい話ですが、がんです』と言われました。早期のがんで、胃の4分の3を切除すれば97パーセント完治する。手術も傷跡が残らない腹腔鏡でできるという説明でしたが、やっぱり面と向かって言われるとショックは大きかったです」 その後、セカンドオピニオンを求めて訪れたがん研有明病院で信頼できる医師と出会い、手術を決意する。だが前向きに病気と闘う気持ちが湧き始めた時、新たな「事実」がわかった。 「がんが思っていた以上に進行していたんです。7月に患った胃潰瘍による腫れで、以前は胃カメラでも様子がよくわからなかったのですが、腫れが引いた後の画像を見てびっくりしました。素人の私でも、がんが胃に巣食うように広がっているのがわかった。開腹手術に変更し、胃は全摘出することになりました」 黒木さんは、かつて乳がんを患った経験がある母から「書くことでたまった気持ちを吐き出せるから」とアドバイスをもらい、日記をつけていた。その日記をもとに書かれた著書には、こう綴られている。 〈診察が終わって、受付へと向かう下りエスカレーターの途中で、こらえていた涙が溢れ出てきた。 「なんでこんなことに? 初期ではなかったの?」 母が抱きしめてくれたけれど涙は止まらない〉 「がんの進行が確認されたら、抗がん剤もやらなければいけないと言われて、本当に怖くなりました。『髪は抜けるの? 顔はむくむのかな?』。つたない知識ではこれくらいしか浮かばなかったけど、もうテレビの仕事は無理なのかなと思うと、涙が出てきました」 それでも友人や視聴者の励ましの声にも押されて、前を向いた。手術前日、ひそかな自慢だった“傷ひとつないお腹”に「今までありがとう」と別れを告げた。 「手術ではまず腹部に小さな穴を開け、がんの進行状態を見ることになっていました。がんが腹膜に飛び散っていたら、手術中止。抗がん剤でがんを小さくしてから後日再手術をする。飛び散ってなかったら、そのまま全摘手術をする予定でした。 麻酔が切れて目覚めた時、あまりに手術時間が短かったように感じられたんです。『手術できなかったんだ』と落ち込みました」 実際には無事成功。他の臓器への転移もなかった。 「でも、術後すぐは痛みがひどくて、睡眠導入剤がないと眠れないほどでした。胃が無いので食べ物が直接腸に落ちるために起きる、冷汗や悪寒などのダンピング症候群にも悩まされました」 体は傷と管だらけだった。 「お腹には胸の下まで続く開腹の傷と、審査腹腔鏡を通した傷。お腹の中にたまったリンパ液などを出すための管もあった。背中には痛み止め薬を入れる管。食事ができないときに、栄養剤をチューブで腸に届ける『腸ろう』もしていました」 ステージはIII。末期の手前 黒木さんはがんを完全に克服するため、抗がん剤治療も決意した。 「じつは手術の後、ステージ3の段階にあるという告知を受けていました。末期がんであるIVの一歩手前。しかも今後5年間に60~70パーセントの確率で再発する可能性があると。 抗がん剤にはいろいろ議論があることは知っていました。でも担当の先生に『自分の家族が同じ状況でも勧めますか』と聞いたら、『100パーセント勧める。医師としてやらなくていいと言うのは殺人行為に等しい』と仰った。私に使う抗がん剤には、髪が抜ける副作用がないとも聞きました」 飲み薬と点滴の抗がん剤を併用し、3回に分けて投与することになった。飲み薬の副作用――食欲不振、白血球の減少、下痢などにも悩まされたが、何よりつらかったのは点滴の強烈な副作用だったという。 「すごい吐き気や下痢、味覚障害に悩まされました。まず水がドロのように感じられて飲めないんです。今は抗がん剤の2クール目が終了したところですが、2回目の点滴投与の後には、水分が取れないのに加え、下痢も重なって脱水症状になり、病院の床で意識を失って倒れてしまいました。その後、腸炎も併発。体重は6キロほど落ち、顔がげっそりして、目がくぼんでいるのがわかりました」 過酷な闘病生活を支えたのは「仕事に復帰したい」という強い思いだったという。新年を迎えた1月4日には、NHK総合で放送された特番『国際報道2015』で限定復帰を果たした。 「久しぶりに局に入った時、スタッフが温かい拍手で迎えてくれ、いきなり泣いてしまいそうになりました。オンエアでは緊張して以前のようにはできませんでした。でも反省会で『また必ず皆さんとお仕事できるように頑張ります』と挨拶すると、『絶対に帰って来てね』とみんなが言ってくださった。幸せだった。頑張ろうと思えました。 がんになる前、年齢的に私にはいろいろな悩みがありました。30歳が賞味期限といわれるアナウンサー。来年度、番組は継続されるだろうか? 仕事が大事だけど結婚・出産はどうしよう? でも、がんになって吹っ飛びました。私のすべてを受け入れてくれる男性に出会えるだろうかと不安になるときはある。でも、今は一番良いように物事が進むと信じたい」 3月30日からは、限定的ではあるが番組復帰も果たした。闘病は続くが、がんに苦しむ自分だからこそできることを、黒木さんは模索している。 http://blogos.com/article/110228/ >セカンドオピニオンを求めて訪れたがん研有明病院で あ、これが間違いの始まりですね。 >信頼できる医師と出会い、 あの病院に、そんな医師はいないはずです。 医師の優しい対応に「信頼できる医師」と 判断してしまったのではないですか? >黒木さんはがんを完全に克服するため、 >抗がん剤治療も決意した。 これが二つ目の間違いですね。 >担当の先生に『自分の家族が同じ状況でも勧めますか』と聞いたら、 偉い!よくぞ聞きましたね。 >『100パーセント勧める。 嘘です。 がん研有明病院の医師だったら、 自分や家族が癌にかかったら、 標準治療は受けないことでしょう。 >医師としてやらなくていいと言うのは殺人行為に等しい』と仰った。 これが本心からの言葉なら、この医師は馬鹿です。 抗癌剤治療こそ殺人行為に等しい、というか殺人行為なのだよ! >『絶対に帰って来てね』とみんなが言ってくださった。 空虚な励ましの言葉ですね。 そうして黒木奈々さんはお亡くなりになりました。 ご冥福をお祈り申し上げます。 ★本日2つめの記事でした。前のも読んでくださいね★ 人気ブログランキングへ どちらか↑ ↓1つでもクリックしてくださると、とっても嬉しゅうございます。 にほんブログ村 医療情報 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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