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ようこそ、のぽねこミステリ館へ。
このブログは、本の紹介を中心にしています。ジャンルは小説(ミステリ中心)と西洋中世史(その他教養)の二本柱となっています。 <所有作品一覧:小説・漫画など> ・あ行の作家 ・か行の作家 ・さ行の作家 ・た行の作家 ・な行の作家 ・は行の作家 ・ま行の作家 ・や・ら・わ行の作家 ・海外の作家 ・マンガ ・読書記録(時系列) ・気になっている本 <所有文献一覧:教養・専門書> ・西洋史関連―邦語文献、シリーズ編 ・西洋史関連―邦訳書、洋書 ・西洋史関連―史料 ・その他教養 <研究整理索引> 記事を読んで、「私はこう思ったよ」とメッセージをくださったり、あるいは読んでみようかという気になったりしていただけると幸いです。 よろしくお願いします。 のぽねこの日記 [全1360件]
佐藤彰一/早川良弥編『西欧中世史〔上〕―継承と創造―』 ~ミネルヴァ書房、1995年~ 初期中世史に関する概説と、その他9つのテーマの小論を収録した一冊です。 編者の一人、佐藤彰一先生は、現在、名古屋大学大学院の特任教授で、日本の西洋中世史研究者の大御所の一人です。ポスト・ローマ期(初期中世)のフランク王国を専門とされています。 私が所有している先生の著作に、 ・佐藤彰一『中世世界とは何か(ヨーロッパの中世1)』岩波書店、2008年 があります。 また、もう一人の編者である早川良弥先生は、元梅花女子大学教授で、本書でも執筆されている「祈祷兄弟盟約」に関する研究を進めていらっしゃいます。 本書の構成は次のとおりです。 ーーー はしがき 概説 継承と創造(早川良弥) 1.聖人とキリスト教的心性の誕生(佐藤彰一) 2.ゲルマン部族王権の成立(岡地稔) 3.政治支配と人的紐帯(森義信) 4.キリスト教と俗人教化(小田内隆) 5.所領における生産・流通・支配(森本芳樹) 6.西欧中世初期社会の流通構造―パリ周辺地域を中心に―(丹下栄) 7.社会的結合(早川良弥) 8.識字文化・言語・コミュニケーション(佐藤彰一) 9.北欧の世界(熊野聰) 固有名詞索引 ーーー 本書の性格はまさに、はしがきで述べられている、「教科書、一般教養書、研究入門書という複合的な性格を持たせようとする」という一言でまとめられます。もうひとつ、はしがきから言葉を借りれば、それは「高校までの歴史教育を通じて得られる基礎知識と専門研究との間に橋渡しをする試み」です。 概説で、初期中世の概観を描いたのち、テーマごとの論文(註がないので、上では小論と書きました)をおくかたちで、その分野の研究状況や、現時点での見通しが得られます。 以下、各々の章について、簡単にメモしておきます。 1章で最も興味深かったのは、聖マルティヌスという人物が行った病気治癒などの奇跡について、医学的に合理的な説明がなされていることです。たとえば、周囲の人に噛みつきだした男を癒す話では、それは毒キノコの中毒症状に類似していて、未消化の毒キノコを体外に出させるべく、手を口に入れて吐き出させようとした、というのですね。 その他、同じ聖人でも、上述の聖マルティヌスのように、奇跡によって聖人とされた人と、地域共同体で政治・社会生活面で多大な貢献をした、いわば共同体の守護聖人としての聖人という2つの類型が指摘されていることが興味深いです。 2章は、東ゴート族のテオドリック大王を取り上げ、ゲルマン族のなかの王の性格や、彼が生涯に3度推戴されたことの意味を分析します。ここでは、世襲的な、いわば「神聖王」でも、実際に王になるためには、「軍隊王」としての資質が必要だったという点が興味深かったです。 3章は、法制史に関する概説的な論考といえるでしょう。人と人とのつながりのありかたは、7章のテーマでもありますが、本稿で印象的だったのは、「主君に対する紐帯は、血族に対する連帯感よりもはるかに強いことが」あるという指摘です。 4章は、特に異端史の研究を進めていらっしゃる小田内先生による、初期中世のキリスト教化に関する論考です。ここでは、中世キリスト教社会の特質は、聖職者文化と民俗文化がともにひとつの世界を構成していたことにあるという指摘が重要です。また、俗人教化にあたっては、俗人エリートである貴族と、一般俗人の2者には、異なる戦略がとられたという点も興味深いです。 5章は、初期中世農村史の大家である森本先生による、所領経済と支配に関する論考です。冒頭で丹念に研究史を整理したうえで、所領でも流通活動はさかんに行われていたということを明らかにしていきます。ここでは、所領の中心が、都市的性格をもっていたという指摘が興味深いです。 6章は、5章が農村所領を中心とした流通をみたのに対して、都市的環境での流通について論じています。本章の記述上の特質は、本文のなかに、参考文献とその該当ページを示していることで、そのため、より論文に近い形になっています。 メロヴィング期にはローマ時代のように地中海交易が続き、カロリング期は流通不在の時代であった、というピレンヌ説に対して、メロヴィング期にはむしろイングランドとの交易が盛んだったこと、カロリング期にも流通網が整備されていたことを指摘します。 7章は、3種類の、人的結合のかたちをみます。第一は、修道院で生者や死者のために執り成しの祈祷を行うために、他修道院や俗人たちと結んだ「祈祷兄弟盟約」。第二は、自然的集団としての親族。第三は、共同体的集団として、ギルドを中心に論じます。 ギルドとといえば、同職職人組合が浮かびますが、初期中世の時代には、地縁的な共同体だったということが興味深かったです。 8章は、特に興味深く読んだ一編です。 識字文化については、通説に対して、初期中世にも文字媒体が重要な役割を果たしていたことや、俗人も、文字媒体との関わりが密接であったということを指摘します。 言語・コミュニケーションについては、主にエリート層(聖職者)と俗人のあいだの、ラテン語でのコミュニケーションの変遷を論じます。 9章は、中世北欧史の概説です。農民が自立していたこと、いわゆる農業だけでなく、漁などにも従事していたことなど、西欧との対比が興味深いです。 それぞれの章には、関連する文献も示されていて、良い研究入門書だと思います。
北山猛邦『私たちが星座を盗んだ理由』 ~講談社ノベルス、2011年~ 講談社ノベルスから、「城」シリーズを刊行してきた北山猛邦さんによる短編集です。 個人的には、「城」シリーズよりも、こちらのテイストの方が好きかもしれません。 本書は、ミステリ的な解決もありつつ、不思議で怖い物語集、といった感じでしょうか。 それでは、収録されている5作それぞれについて、簡単に内容紹介と感想を。 ーーー 「恋煩い」 名も知らない先輩を思い続けているアキに、親友のトーコが、恋が成就するとい秘密の行動を教えてくれる。まさかと思いながら実践し、先輩と少しだけ近づけたアキは、その後、恋愛成就に関する都市伝説を聞いては、それにのめりこんでいってしまい…。 全くミステリとしては読んでいなかったのですが、背表紙のとおり、「ラストで覆る」物語の真相は鮮やかでした。 続く他4編も楽しみになり、この短編集を買って正解だったと思えた作品です。 「妖精の学校」 ある日起きたら、少年は記憶を失っていた。おぼろに、泣いていた少女と、自分が泣き虫だったことを思い出すだけで…。 ベッドに横たわる少年のもとに、白い服をきた子どもたちがやって来る。ウミネコと名乗るリーダーは、この島に連れてこられた子どもたちが妖精になるということ、自分たちが妖精の学校に通わなければならないこと、など、この島について教えてくれる。 ヒバリという名を与えられた少年は、きちんと授業を受けず、図書館で過ごすクイナと親しくなっていく。 クイナは、この島の謎を解くと、立ち入りを禁止されている「虚」に行こうと計画を練るが…。 読了後、すぐには真相が分からない物語でした。 ただ、それが分からなくても、読後の感慨は大きい物語でした。 ※その後ネットで調べて、真相(に関する一解釈)を知ると、ますます重たい気持ちになってきます。 「嘘つき紳士」 多額の借金を抱える俺は、ある日、傷みの激しい携帯電話を拾った。携帯の持ち主は、遠距離恋愛中の彼女と頻繁にメールをしているらしい。 そこで俺は、持ち主になりすまし、彼女に「振り込み詐欺」をしようと動き始める。 しかし、ニュースで、その持ち主が事故で死んでいることを知り、「キョーコ」という名の女性とメールをやりとりするうちに、次第に彼女とのメールに幸せを感じ始める。 このままではいけない、「キョーコ」に持ち主の死を知らせて傷つけないためにも、生きたまま別れるように見せかけようと動き始める俺だが…。 これは面白かったです。 主人公が詐欺をはたらこうと動き始めるあたりは「う~ん」と思いながらでしたが、主人公の心境が変化するあたりから、ぐいぐい物語に引き込まれていきました。 「終の童話」 平和だった村に訪れた悲劇。人や動物を石にして食べてしまう、「石喰い」が現れたのだ。 村で対策を練るも、被害者はどんどん増えていく。 父親が城に行き、家を留守にしているあいだに一緒に過ごしてくれたエリナも石にされてしまったウィミィは、怪物事件が一段落してからも、ずっとエリナの像を大切にし続けた。 それから10年の歳月が過ぎた後、村にふたたび異変が起こる。石にされた人間を、人間に戻してくれる能力者が現れた。村人は、家族や大切な人が戻ってくると喜ぶが、そんな中、石像が破壊されるという事件が起こったのだった…。 いわゆるファンタジーの世界ですが、謎の提示も魅力的ですし、解決も合理的です。 「城」シリーズも独特な世界観でしたし、こうした独自の世界を創りあげ、その中で論理的な謎解きを示すのが、北山作品の魅力のひとつだと思います。 「私たちが星座を盗んだ理由」 20年前に亡くなった姉は、星座が消えてしまったという言葉を遺していた。 そして、星座を盗むといっていた夕兄ちゃんが、たまたま私が勤める病院を訪れて…。 私は、夕兄ちゃんに、当時の真相を教えてもらい、そして、ある告白をする。 きれいな、そして悲しい物語でした。 タイトルがまず素敵で、作品集の表題としてもぴったりだと思います。 ーーー 以上、どの作品も楽しく読みました。 最近は西洋中世史の勉強のウェイトを増やしてきていますが、やはり物語は面白いと思わせてくれる作品集でした。 素敵な読書体験でした。
歌野晶午『魔王城殺人事件』 ~講談社、2004年~ シリーズ「かつて子どもだったあなたと少年少女のためのミステリーランド」のための書き下ろし作品です。 それでは、簡単に内容紹介と感想を。 ーーー 小学5年生のぼくは、同じ5年1組1班のKAZ、おっちゃんとともに、森の中の「デオドロス城」に向かっていた。 もちろん、城の名前はゲームから取ってきた名前。けれど、立ち入り禁止とされているその屋敷には、死体が埋められているとか、いろんな良くない噂があった。 kAZたちとは、探偵のようなことをしていた。実際にいくつかの謎を解いてきたぼくたちは、ついに城に挑むことになった。 屋敷では、まるでゾンビのような女と出会う。女が逃げ隠れた小屋の中を探すが、女はいなくなってきた。入り口は見張っていたのに…。 それから、1班の女子タキゾノキヨミと桂木さんもまじえてデオドロス城に向かったぼくたちは、もっと恐ろしい体験をする。小屋の秘密を探ろうと小屋に入ると、そこには乳母車に乗せられた男の死体があった。しばらくの休憩の後に、ふたたび小屋の中をみると、跡形もなく乳母車や死体は消えていたのだった…。 ーーー 子どもたちの冒険、人や物が消えてしまう小屋、不気味な殺人事件…と、ミステリーの醍醐味を堪能できる物語です。 物語のなかで、KAZくんとぼくが解決した謎のなかに、「ダンシング・クイーン」というのがあるのですが、結局それがどんな解決をみたのかはふれられないままでした。気になります…。 歌野さんの子どもの頃の思い出でしょうか、「日常の謎」が綴られたあとがきも素敵です。 歌野さんの作品は、どれも楽しく読んできていますが、本書も素敵な1冊でした。
堀越宏一『中世ヨーロッパの農村世界(世界史リブレット24)』 ~山川出版社、1997年~ 本書は、考古学研究の知見を取り入れた中世史研究をすすめている、堀越宏一先生による、農村史の簡潔な概説です。 私の手元にある堀越先生の業績は、本書のほかに、 ・甚野尚志・堀越宏一編『中世ヨーロッパを生きる』東京大学出版会、2004年 ・堀越宏一『ものと技術の弁証法(ヨーロッパの中世5)』岩波書店、2009年 があります。 ところで、私の勉強に偏りがあるせいもありますが、あまり農村に関する通史や概説はないように思います。 たとえば、岩波書店から刊行されたシリーズ「ヨーロッパの中世」全8巻でも、農村を対象にした巻はありません(都市はあります)。 『世界歴史大系 フランス史1』でも、農民や農村に関しては、第6章の渡辺節夫「中世の社会―封建制と領主制」の中で論じられますが、農民や農村それ自体に章が割り当てられてはいません。 そういう意味でも、本書は、簡潔ながらも農村史・農民史の概観が得られる好著だと思います。 本書の構成は次のとおりです。 ーーー ヨーロッパ中世のなかの農村と農民 1 中世農村を取り巻く自然 2 フランク時代の農村 3 中世農村の成立 4 黄昏の中世農村 ーーー 序章としての位置づけである「ヨーロッパ中世のなかの農村と農民」では、これまでの農村・農民史研究の概観と、近年の傾向を紹介します。中世考古学がこの領域の理解を広げている点などが指摘されます。 その後は、第1章で自然環境について見て、第2章から第4章は、通史的に農村の歴史を描きます。 特に本書のなかで面白かったのは、第3章のなかで論じられる、農民の日常生活と物質生活についてです。 1年間のなかで、彼らはそれぞれの月にどのような作業を行っていたのか。衣食住のありかたはどうだったのか。特に、考古学の知見を取り入れた本書は、発掘された村や住居の復元図や、長持や農民の服装の写真を掲載していて、興味深いです。 伝統的な研究のなかで特に着目されてきた領主との関係を論じるのはもちろん、自然環境や農民の日常生活にも目を配っており、バランスの良い著作だと思います。
いけがみしゅんいち(文)せきぐちよしみ(絵)『カエサルくんとカレンダー―2月はどうしてみじかいの?―』 ~福音館書店、2012年~ このブログでも何冊もその業績を紹介しています、日本の有名な西洋中世史研究者である池上俊一先生による絵本です。 2011年にはパスタに関する著作を岩波ジュニア新書から刊行するなど、幅広い活躍をされている先生ですが、ついに絵本も刊行されました。 研究者を対象にした専門書ばかりでなく、そうした業績を一般に分かりやすく伝えていくという仕事も、研究者にとっては重要だろうと思います。 さてこちらの絵本は、カレンダーについてとても分かりやすく紹介してくれます。 新しいおうちに引っ越しした主人公のゆうかちゃんは、自分のカレンダーをもらいます。家族の誕生日に印をつけようと思って眺めていると、いろいろ不思議に思えてきて…。 そんな不思議に、カレンダーの中から登場した、カエサルくんが答えてくれる。…そういう内容の話です。 説明の部分は、一日(昼と夜)の意味、一ヶ月の意味、1年の意味、太陽暦の誕生…などなど、見開きで1テーマずつ紹介されていきます。 特に面白かったのは、30日ある月と31日ある月がありますが、どうして31日ではない月は「2、4、6、9、11月」(にしむくさむらい)なのか、ということ。答えはここには書きませんが、なるほど!と思いました。 面白い1冊です。 ※本書のカテゴリは悩ましいのですが、著者が西洋中世史の研究者であることから、本ブログでは、西洋史関連に分類しておきます。
上智大学中世思想研究所編『聖ベネディクトゥスと修道院文化』 ~創文社、1998年~ 上智大学中世思想研究所が発行している『中世研究』第1号です。 もともと、1982年に『聖ベネディクトゥスとその修道院文化』というタイトルで刊行されていたのですが、 1998年に、改版されたようなかっこうですね。1982年版にはなかった数編の論考が追加されていたり、再録された論考も若干の加筆・修正がなされているという良い点がある半面、1982年版にあった論考がこの版では収録されていない(たとえば朝倉文市先生の「クリュニー=シトー論争について」)という残念な点もあります。 とまれ、本書の構成は次のとおりです。 ーーー 序言(K・リーゼンフーバー) 一 『聖ベネディクトゥス修道規則』におけるdiscretioの理念(坂口昴吉) 二 ベネディクトゥスの『戒律』とアレイオス主義(古田暁) 三 聖ベネディクトゥス修道霊性の歴史体験(鈴木宣明) 四 混淆戒律時代におけるベネディクトゥスの『戒律』―中世前期のガリアにおけるベネディクトゥス修道制の伝播についての一考察―(徳田直宏) 五 聖体拝領と埋葬をめぐって―グレゴリウス一世『対話』第二三・二四章の絵画化―(辻佐保子) 六 クリュニー修道院における救済の構図―ペトルス・ウェネラビリス『奇跡について』を中心に―(杉崎泰一郎) 七 サン=ティエリのギョーム小伝(国府田武) 八 中世の修道院霊性における自己認識の問題(K・リーゼンフーバー) 九 中世の写本処(スクリプトーリウム)(J・フィルハウス) 邦語文献表 執筆者紹介 索引 ーーー まず、本書の中心人物である聖ベネディクトゥス(480頃-547年頃)について、簡単にメモしておきます。 彼は、ヌルシアの上流貴族の家に生まれました(そのため、ヌルシアのベネディクトゥスと呼ばれます。後代に登場する、アニアヌのベネディクトゥスと混同しないように注意!)。 ローマで学んだ後、隠修士の生活を経て、529年、モンテ・カッシーノに共住修道院を建てます。 そこで、「祈り、働け」という言葉などで有名な『戒律』(本書では、この言葉や『修道規則』と訳されます)を著し、この『戒律』は、ほとんど西欧全域の修道院で採用されることになります。 (以上、第一章の叙述を参考に整理)。 修道院の歴史を考える上で、最も重要な人物の一人です。 さて、以下では、本書の諸論考の中で印象に残った点や感想を、簡単にメモしておきます。 まず第一章は、『聖ベネディクトゥス修道規則』のなかで、「分別」(discretio)という概念が非常に重要であるということを明らかにしています。 同時代にヌルシアのベネディクトゥスの唯一の伝記を記したグレゴリウス一世は、その『修道規則』について、「彼(ベネディクトゥス)は修道士たちのために分別において優れた規則を書いた」と述べているといいます。その指摘から始まり、『修道規則』を丹念に読み、その中の「分別」の重要性を指摘していく過程は、とても興味深いです。 また本稿では、discretioという概念の前史を四つの観点(古典的伝統、旧約聖書的伝統、新約聖書的伝統、教父的・修道院的伝統)から描いており、この部分も面白かったです。 第二章では、典礼の祈祷文、特に栄唱の分析を通じて、異端とされるにいたったアレイオス主義と、正統(そしてそれを受け継ぐ『修道規則』)との対立が示されており、興味深かったです。 第三章は、ベネディクトゥスの『修道規則』や、それを遵守する修道院を通史的に見ていく、概説的な論考です。この中で、カロリング時代に、『聖ベネディクトゥス修道規則』を「唯一の修道規則」とするのに尽力したアニアヌのベネディクトゥスについても割合詳しくふれられていたのが、個人的には特に勉強になりました。 第五章は、本書の中で唯一、図像史料の分析を行っています。読むには興味深いですが、図像の解釈の手続きは難しそうだなぁと、あらためて感じました。 第六章は、修道士たちの教化のために記されたクリュニー修道院第八代院長ペトルス・ウェネラビリスによる『奇跡について』の分析を通じて、クリュニーの修道士による祈祷が、死者の救済に重要な役割を果たすというプロパガンダがあったことを明らかにしています。 亡霊譚や「煉獄」の誕生との関連など、若い頃によく読んだテーマで、やはり面白いです。 ただ、限られた紙面という制約もありますが、社会的背景についての議論が駆け足なのが少し残念です。 第七章は、ベネディクト会修道士の改革派であるサン=ティエリのギョームが、伝統的ベネディクト会(クリュニー修道院など)への反発から生まれたシトー会の中でも非常に重要なクレルヴォーのベルナルドゥスと親交を持っていたこと、そしてベネディクト会の改革のために、ベルナルドゥスにベネディクト会批判を書かせたと考えられることを指摘しており、興味深いです。 第九章は、第六章とならび、私の関心の強いテーマです。 どんな種類の写本が作成されたのか。どのくらいの数量が作成されたのか。などなど、興味深い問いかけを冒頭におき、それらについて論じていきます。個別具体的な分析というよりは、やや概説的な印象の論文ですが、その分、写本制作の概要をつかむのには便利な一編だと思います。 哲学史を扱う第八章は私には難しくきちんと読めませんでしたが、全体的に興味深い論文ばかりで、勉強になりました。
神山四郎『歴史入門』 ~講談社現代新書、1965年~ 歴史学の問題とは何か、歴史学はどういった性格の学問か…そういった問題を考察する領域を著者は「歴史哲学」と呼びます。本書は、その歴史哲学の実践方法を示す一冊です。 本書の構成は次のとおりです。 ーーー まえがき 1.「歴史を考える」とは 1 「歴史を考える」ことの必要 2 古典的な二つの歴史哲学 3 歴史を科学にする哲学 4 歴史を書くことから理解することへ 2.歴史の事実とは何か 1 「歴史」ということばの意味 2 歴史の事実はどこにあるか 3 歴史は現在つくられる 4 歴史家の視座の問題 3.歴史は客観的に見られるか 1 歴史学と物理学のちがい 2 社会科学が発見したもの 3 歴史の記述は主観的か客観的か 4 客観的な歴史の見方 4.歴史はくりかえすか 一回かぎりか 1 歴史の形而上学の考え方 2 歴史学の方法論の問題として 3 くりかえすものと一回的なもの 5.歴史は科学的に説明できるか 1 歴史的説明と科学的説明 2 歴史家と法則 3 歴史の説明のルーズさ 4 法則から導く説明の困難 5 理由づけの意味と限界 終わりに 索引 ーーー いわゆる方法論についての本ということで目を通してみましたが、私の理解不足もあいまって、正直あまりぴんとこない感じでした。 たとえば、歴史は一回的なものかくりかえすものか、という議論のなかで、「○○が暗殺された」と、述語をつければ、それは繰り返すといえるし、「○○年にどこそこで○○が暗殺された」という風にいえば一回的である、という説明があります。 しかし、「歴史は繰り返す」という考え方はそういう意味ではなくて、たとえば、ある政治体制が腐敗し、それに対して暴動なりが起こり、新たな政治体制になるも、やはりまた腐敗し…ということが繰り返されるような様が、「歴史は繰り返す」という考え方につながっているのではないか、と思います。 先に挙げた著者の説明は、あくまで話を単純化するためで、そこだけをあげつらうのはフェアではないかもしれませんが、しかし、私があげた意味での「歴史は繰り返す」という問題への答えは、あげられていないように思います。 また、事実に関する議論について、著者は、たとえば「Aという事件があったという背景の中でBが起こった」というものを歴史学の事実といいます。A単体、B単体(たとえば、ある年にある国王が暗殺されたという事件)だけでは、昨日子供を連れて実家に帰ったという単体の事実となんの変わりもない、というのですね。 けれど個人的には(以前読んでまだ感想を書いていない、遅塚忠躬『史学概論』の議論をふまえて)、Aという事件とBという事件の関連を指摘するのは解釈であって、Bという事件の詳細(いつ、だれが、どこで、何を、どうした)は単体の事実ではなかろうか、と思ってしまいます。うまく書けないですが、このあたりの議論で、なかなかぴんとこない感じでした。 一方で、面白かったのは、歴史家の記述が、その歴史家が置かれている社会的状況、立場に規定されているという部分で、具体例が挙げられていることです。 たとえば、19世紀はロンドン、自由主義の風潮のなかでグロートという人物が著した『ギリシャ史』は、アテナイの民主主義を理想化する著述になっているために、ギリシャの奴隷制の問題が外されてしまっている、というのですね。 ぴんとこないと書きましたが、それでも歴史学の営みや問題について考えるきっかけになるという意味では、良い読書体験だったと思います。 それこそ、歴史は一回的なものか繰り返すものかという議論は、最近の歴史学の方法論の著作ではあまり見ないので、自分なりに考えていくのも面白いと思いました。 |一覧| |
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