カテゴリ:本の感想(さ行の作家)
島田荘司『改訂完全版 異邦の騎士』 ~講談社文庫~ 俺は公園のベンチで眠ってしまっていたらしかった。車を探すが…ない。とめた場所が思い出せない。いや、自分が乗っていた車すら思い出せない。そして、自分の名前も。俺は誰なんだ?ここはどこだ? 夜。通りで、言い争っている男女に会う。俺には、それから起こることが分かった。女性が、自分の方に走ってくる。自分にすがる。男性は立ち去る。女性は言う。「一人にしないで」 喫茶店で、俺たちは休む。トイレに行き、鏡を見ると、そこに見えたのは赤いメロン。俺はパニックになる。女性-石川良子は、彼を支える。俺たちは良子の家に行き、それから、一緒に暮らすようになる。 お互いに仕事を見つけて。仕事が終わると、喫茶店によったり、一緒にケーキを食べたり。休みの日には遊びにいったり。とても幸せな日々が過ぎていった。 俺は、星座のことに多少詳しいということが分かった。そこで、かねてより気になっていた、「御手洗占星学教室」を訪れた。ぼろいアパートの一室。風変わりな占星術師、御手洗潔と、俺は友達になる。「異邦」の地でえた、良子以外の親しめる相手であった。 しかし。良子の様子がおかしくなる。酒におぼれ、男に抱かれ、ひどい言葉で俺をののしるようになる。 益子秀司-俺の本名と思われた-の免許証。そこにある住所へ、良子はずっと行かないように言っていた。とつぜん、そこへ行け、というようになる。もし、記憶を失う前の俺に妻子がいれば、良子との生活に影が差すのは目に見えていたのだが…。 意を決して、免許証の住所を訪れた俺は、衝撃的なノートに行き当たる。 少なくとも、三度目の再読です。なんとなく筋は覚えていましたが、細かい真相は忘れていました。 島田荘司さんの作品の中で、もっとも好きな作品です。初めて読んだ時にも大泣きしましたし、その後、何度読んでも泣いています。今回も泣きました。初めて読んだ時から、今にいたるあいだに、私にもいろいろありました。だから、あの頃覚えた感慨と、今回の再読で覚えた感慨は、また質の違ったものでしょう。 島田さんの、御手洗シリーズの作品です。ミステリ、のジャンルに区分されるのでしょう。たとえば、『ネジ式ザゼツキー』や『魔神の遊戯』など、他の御手洗シリーズは、非常に質の高いミステリだと思います。私は、『異邦の騎士』は、非常に質の高い、一つの物語だと思います。 良子の不可解な行動。ノートに書かれた衝撃的な内容。俺の前に現れた、「俺」。このように、ミステリ的な要素は存在し、御手洗さんが推理でその謎を解体します。ですが。ミステリとしての要素よりも、俺と良子をめぐる一つの、とても悲しい物語としての要素こそが、この物語の中心にあると思います。 記憶を失い、自分の名前すらも分からない状況で、料理は苦手だけれど、料理もがんばって、優しく支えてくれる女性と出会い、彼女も自分のことを愛してくれていて、自分も彼女のことを愛している。楽しく、幸せな時間を共有していたはずなのに。 この真相、この結末。悲しすぎます(自分の語彙のなさを痛感します)。御手洗さんの語る真相に対して、理論的でもなんでもない、感情の爆発をぶつける「私」。このシーンは、初めて読んだ時から忘れられません。こういうシーンがあるぞ、と分かっていて今回読んだのに、やっぱりそこでは泣きました。会話での一人称は「俺」が続きますが、地の文では「私」に変わります。ここで、「私」の何かが変わっているのでしょう。 「異邦の騎士」。もちろんそれは御手洗さんのことでもあるのでしょうが、私は、それは誰よりも、「俺」のことだと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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