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2006.08.06
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Michel Pastoureau, "Quel est le Roi des Animaux?"
dans Michel Pastoureau, Figures et Couleurs : Etude sur la symbolique et la sensibilite medievales, Paris, 1986, pp. 159-175

 ミシェル・パストゥローの論文集『図柄と色彩―中世の象徴と感性に関する研究』所収の論文「動物の王は何か?」を読了。仏語のゼミで最初に読んだテキストで、思い入れがあります。数年ぶりに再読。
 ここでは、三つの動物―ライオン、熊、鷲が、歴史的にどういう位置にあったかが示されています。
 以下、小見出しに沿って紹介していきます。

 ライオンの前進

 ライオンは、中世の紋章の中でもっとも頻繁に現れる図像でした。紋章の中の15%を占めるそうです。その次の動物は鷲ですが、その割合は3%です。
 地理的には、フランドル地方、低地地方に多く、山がちの地域では少ないとのこと。
 年代的にはどうか。古代や初期中世にライオンの人気は見られますが、鷲やイノシシもまた人気でした。 6-11世紀には、ライオンは少し後退します。そして11世紀半ばから12世紀初頭、ライオンは図像や文学の中で急増することになります。これについては、十字軍の役割が指摘されています。十字軍によってスペインや東方から織物や美術品がもたらされることになりますが、そこにはしばしばライオンが描かれていたというのですね。ともあれ、このライオンの急増の時期が、紋章の誕生の時期にもあたります。ライオンが描かれた盾は、キリスト教騎士の典型的な盾となるのです。なお、ゲルマン地域ではライオンの急増への抵抗がみられ、ここではイノシシが英雄のアトリビュート[象徴的な持ち物、しるし]となるそうです。

 悪いライオンの存続:レオパール(豹)

 中世の象徴の中では、全ての動物は両義的である―ということで、ライオンにも二面性があります。たとえば聖書の中では、ライオンはキリストであると同時に反キリストでもあるというのです。
 11世紀から良いライオンが急増する一方、悪い側面を引き受けるライオンが作られます。これがレオパール(豹)ですが、現実の豹とは無関係だといいます。とまれ、ライオンの悪い面がレオパールに引き受けられることで、ライオンは決定的に動物の王となるのです。
 さて、面白いエピソードが紹介されているので、ここでも紹介します。イギリスの王に、リチャード獅子心王という人がいました。彼の盾には、三匹のレオパールが描かれていました(なお、紋章では、レオパールは顔は正面で体が横向き、ライオンは横顔でされます)。ところが紋章官は、「レオパール(豹)」という言葉を使うのを避け、「正面向きの頭を持つ歩行姿のライオン」という言葉を使うようにしました。百年戦争のときには、フランスの紋章官たちはイギリスの「レオパール(豹)」を、悪いライオン、私生児だ、といって軽蔑したとか。それでもイギリスでは、結局デザインを変えることなく、自分たちの紋章を呼ぶのにレオパールではなくライオンという言葉を使うようになり、今日まで続いているとのことです。

 熊の価値の低下

 古くから、熊は北半球で崇拝されていました。熊は、口頭伝承の動物であるとここでは言われています。熊は、野蛮な人間であると同時に、森の王、動物の王でした。ところが、キリスト教の影響により、熊は次第にその地位を低下させます。悪魔的な存在、暴力的で悪意をもち、淫乱で愚かな動物だとされるのです。
 熊は、紋章の中では非常に少なく、パストゥローによれば1000のうちの5つもないそうです。ところが、人名や地名など、固有名詞には多く認められるといいます。たとえば、アーサー王の名前は、熊を意味するケルト系の言葉がもとだそうですが、しかしアーサー王は決してその紋章として熊を持たないのだとか。
 紋章体系ができる時代に、熊は動物の王であるのをやめ、ライオンが動物の王になった、ということです。
 ここでも面白いエピソードが紹介されています。1140年頃から1170年の間に、ザクセンのハインリヒ獅子公(Henri le Lion)と、ブランデンブルク辺境伯アルベルト熊伯(Albert l'Ours)が対立していたのですが、前者が勝利します。これ以後、ドイツの王家は「熊」というあだ名を持たなくなったというのですね。時代的にも、紋章の上でライオンが熊に勝つ時期です。面白い話もあるものだと思いました。
 最後に紹介される(王立)動物園について話も興味深かったです。12-13世紀、動物園は熊の収容をやめて、ライオンを集めるようになるそうです。一方、熊は大道芸人やジョングルールの動物となり、見せ物、「サーカス」の動物となるといいます。
 ここで、ライオンと熊について整理すると、ライオンはローマ的、キリスト教的な動物。熊は、ゲルマン的な動物です。したがって、熊に対するライオンの勝利は、ゲルマン的感性に対するローマ的感性の勝利、「野蛮な」ヨーロッパに対する「キリスト教的な」ヨーロッパの勝利、だとパストゥローは述べています。

 鷲の問題

 ところで、12世紀から鷲がライオンと対立するようになります。カール大帝は、エックス・ラ・シャペルの宮殿の頂に鷲を置かせたそうですし、神聖ローマ帝国シュタウフェン朝のフリードリヒ・バルバロッサは、その軍旗や盾に鷲を用います。鷲は皇帝の動物、ライオンはその対立者の動物なのです。14世紀半ばまで、鷲が多く認められる地域には、ライオンが少なく、その逆も認められるとも指摘されています。
 15世紀の著述家は、鷲は鳥の王であるだけでなく、全ての動物の王であると書いているそうです。また、鷲は、ライオンに比べ、ゲルマン的な感性と衝突しませんでした。熊のかわりに鷲を用いることは、熊のかわりにライオンを用いるよりも受け入れられたというのです。
 こうして、パストゥローは次のように結論します。「熊は、動物の長にすぎなかった。ライオンは王となった。しかしライオンは、王の中の王である鷲の前で、その道を譲らなければならなかった」(p. 168)

ーーー
 面白く読みましたが、引っかかった部分があります。熊に対するライオンの勝利が、ゲルマン的感性に対するキリスト教的な感性の勝利と説明されていますが、ではなぜそれが11-12世紀、紋章体系ができてくる時期に起こったのか。短い論文ですから仕方ないかもしれませんが、いささか説明不足かと。
 なお、最後には、良い/悪い、知的な強さ/肉体的な強さ、という二つの軸による、動物チャートが作られていて、こちらも興味深かったです。

(参考文献)
ミシェル・パストゥロー(松村剛監修)『紋章の歴史-ヨーロッパの色とかたち』創元社、1997年
ミシェル・パストゥロー(松村恵理・松村剛訳)『王を殺した豚 王が愛した象-歴史に名高い動物たち-』筑摩書房、2003年
アラン・ブーロー(松村剛訳)『鷲の紋章学―カール大帝からヒトラーまで』平凡社、1994年





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Last updated  2008.07.12 20:55:47
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