2024847 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

のぽねこミステリ館

のぽねこミステリ館

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Profile

のぽねこ

のぽねこ

Calendar

2007.07.09
XML
本陣殺人事件
横溝正史『本陣殺人事件(金田一耕助ファイル2)』
~角川文庫、1996年改版初版~

 金田一耕助さん初登場作品の中編「本陣殺人事件」の他、『獄門島』事件の直後にあたる「車井戸はなぜ軋る」、金田一さんの活躍を書き留めるY氏と金田一さんの出会いも語られる「黒猫亭事件」の二編が収録されています。
 それでは、それぞれの内容紹介と感想を。

「本陣殺人事件」昭和12年(1937年)11月。岡山県のとある農村に、怪しい風体の男がやって来た。男は、村で最も大きな家である、一柳家の場所を、村人に尋ねたという。
 その一柳家では、40歳になる当主・賢蔵の結婚が決まっていた。相手の女性は教師であるが、家柄はとても、もと本陣である一柳家とは釣り合わず、家族からは反対されていた。それでも、賢蔵が推し進めた縁談であった。
 結婚式の当日。一同は、賢蔵と妻の久保克子の住まいとなる、離れに集まっていた。結婚式の儀式である琴の演奏を、賢蔵の年の離れた妹である鈴子が行った。一同が夫婦を残して母屋に戻ったときは、まだしんしんと雪が降っていた。
 その夜。克子のおじにあたる久保銀三は、悲鳴が聞こえた気がして、はっと目を覚ました。そのとき、コロコロコロコロシャーン!と、やたらに琴をひっかくような音が聞こえていた―。
 起きてきた者たちと離れに向かう銀三は、降り積もった雪に足跡がないことを確認した。さらに、離れには内側から鍵がかけられていた。雨戸を斧で壊して中に入ると、寝室で、賢蔵も克子もずたずたに斬られていた。凶器と思われる日本刀は、庭の灯籠に刺さっていたのだった。そして、離れには、三本指の指紋が残されていた……。
 銀三は、アメリカで知り合い、岡山の自宅に遊びに来ていた青年・金田一耕助を呼び寄せる。

「車井戸はなぜ軋る」昭和21年(1946年)、本位田家に惨劇が襲いかかる。背景は、本位田家の前当主、大三郎の頃に遡る。当時、本位田家は村で一番の家となっていた。村で二番目くらいの位置にある秋月家の嫁・お柳とも彼は関係を持っていた。そのため、大正7年(1918年)には、本位田家と秋月家に、双子のようにそっくりの男の子が生まれることになる。それが、本位田大助と、秋月伍一だった。伍一は、同じ父親の子供でありながら、豊かに暮らす大助に憎しみを抱きながら育った。彼の姉・おりんもまた、本位田家を憎んでいた…。
 二人は一緒に戦争に召集された。そして、昭和21年7月。大助が本位田家に帰ってきた。しかし、彼は両目を失っており、義眼をはめていた。そっくりの大助と伍一を見分けるには、その目を見ればよいと言われていたほどであった目が失われていること、そして、戦争以前の優しさが欠けていることから、大助の妹の鶴代は、帰ってきたのが本当の大助なのか、疑いを持つ。
 神社に奉納されている絵馬の手形を比べればよいと、絵馬を取りに行った女中は、崖から落ちて死亡した。その後、大助の妻は無惨に殺され、大助の死体も、車井戸の中から発見された。おりんの父と、その妻のお柳が身を投げた車井戸の中から……。

「黒猫亭事件」昭和21年(1946年)秋。岡山県に逗留していた私―Yのもとへ、一人の男が訪れた。にこにことしているその男が、私が村人から話を聞いて書いた「本陣殺人事件」で探偵をつとめた、金田一耕助であった。意気投合した二人は、ミステリ談義に花を咲かせたが、そのとき私は、「顔のない屍体」のテーマで作品を書きたいと話していたのだった。
 昭和22年(1947年)春。私のもとへ、金田一耕助から手紙が届く。ちょうど、「顔のない屍体」の事件を扱ったというのだった。
「黒猫」という酒場の庭を、隣の寺の日兆が掘っているところを、巡査中の長谷川が声をかけた。日兆は、そこに女の屍体が埋まっているという。その屍体の顔は、とても見分けのできないほどに腐乱していたのだった。
数日前に家をあけたという、「黒猫」の主人夫妻に疑いが向けられるが…。

ーーー

 何度も書いているかもしれませんが、もう一度。私がミステリ、さらには小説を読み始めた原点は、この『本陣殺人事件』です(実はそれ以前に、内田康夫さんのを二冊読んでいましたが、そのときは読書習慣は定着しなかったので)。小学校で読書感想を書かなくてはいけないときなど、図書館で本を借りて読んでいたものの、その頃は読書好きではなかったのでした。ところが、『本陣殺人事件』を読んでから、どんどん本を買って読むようになり、今にいたります。
 表題作の「本陣殺人事件」は、もう何度も繰り返し読んでいると思いますが、やっぱり面白かったです。以前ある方にも言われましたが、ミステリをどんどん読むきっかけが、この「本陣殺人事件」であったことは、幸せなことかと思います。因習的な旧家。雪と内側からの鍵という、二重の密室。三本指の男に、深夜響き渡る琴の音。なんとも魅惑的な物語です。
 たしかこの「本陣殺人事件」、ある雑誌にある作家が連載する予定だったのがだめになり、急遽横溝さんが連載することになり、そのときの作品だったかと思います。当時横溝さんは、別の雑誌で『蝶々殺人事件』を連載していたとか。 …すごいですね。
「車井戸はなぜ軋る」は、鶴代が、病院で生活している兄に書き送った手紙の形で、その大部分が語られます。なんともどろどろした不気味な雰囲気の漂う作品です。はじめて読んだときは苦手だったのですが、何度か読むうちに、面白く感じるようになりました。この記事の冒頭にも書きましたが、金田一さんが『獄門島』の事件を解決して、岡山県に戻ってきたときにあった事件です。
「黒猫亭事件」は、事件も事件ですが(真相には、えっと驚きました)、Y氏と金田一さんの出会いが良いですね。さらに、東京での金田一さんの生活も語られます。事件の関係者でもある風間俊六さんが、二号さんだか三号さんだかをかこっている割烹旅館「松月」に、居候しているのでした。風間さんと金田一さんは、中学時代の同窓生らしいですね。

 金田一さんの初登場作品も収録されていることですので、金田一さんの初期の経歴をメモしておきましょう。
 金田一さんは、東北地方の出身です。
 19歳のとき、某私立大学に籍をおきますが、日本の大学はつまらなくなり、アメリカに渡ります。ところが、アメリカもつまらなくて、好奇心で覚えた麻薬にはまっていきます。
 ちょうどその頃、サンフランシスコの日本人の間で、奇妙な殺人事件が起こり、それを解決したのが金田一さんだったのでした。そこに居合わせた久保銀三さんは、自ら彼のパトロンとなることを申し出て、学費を提供します。
 アメリカから帰ってきた金田一さんは、岡山県の久保さんのもとを訪れると、探偵業を行うといいます。そこで久保さんは、事務所の設備費などを、ぽんと手渡したのでした。それから半年ほどして、金田一さんはとある大事件を解決して、一気に有名になるのでした。
 そして、「本陣殺人事件」、『獄門島』の事件など、瀬戸内で活躍して、東京に戻るとき、同窓生の風間俊六と再会し、松月に居候するようになる…こうした経歴のようです。
 なお、「本陣殺人事件」のとき―昭和12年(1937年)に、彼は二十五、六と描写されています。昭和21年(1946年)にY氏を訪ねたときの彼は、三十五、六とされています。1911年(明治44年)頃の生まれと考えてよいのでしょうね。

 なにはともあれ、『本陣殺人事件』、おすすめの一冊です。

*表紙画像は、横溝正史エンサイクロペディアさまからいただきました。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2007.07.09 09:32:15
コメント(2) | コメントを書く
[本の感想(や・ら・わ行の作家)] カテゴリの最新記事


Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

My favorites♪ torezuさん
姫君~家族 初月1467さん
偏った書評ブログ mnmn131313mnmnさん
海砂のつらつら日記 kaisa21さん

Comments

 のぽねこ@ シモンさんへ コメントありがとうございます。 久々の再…
 シモン@ Re:石田かおり『化粧せずには生きられない人間の歴史』(12/23) 年の瀬に、興味深い新書のご紹介有難うご…
 のぽねこ@ corpusさんへ ご丁寧にコメントありがとうございました…

© Rakuten Group, Inc.