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2008.09.11
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福井憲彦『「新しい歴史学」とは何か―アナール学派から学ぶもの』
~講談社学術文庫、1995年~

 福井憲彦先生の論文集です。福井先生ご自身のご専門は近代フランス史で、私は直接そうした研究を読んだことはないのですが、いくつかの邦訳や方法論に関する論文を読んだことがありました。訳書では、たとえば、フィリップ・アリエスの『図説 死の文化史』があります。
本書も気になっていたのですが、ようやく通読ができて良かったです。
 さて、本書の標題から、竹岡敬温『「アナール」学派と社会史』のようにアナール学派の研究動向を紹介する形式かと想像していたのですが、違っていました。序章にかわる部分でいわゆるアナール学派の研究動向を概観してからは、氏の専門分野に関する論文となります。もちろん、それもアナール学派の成果を紹介しながらの叙述になります。
 本書の構成は次のとおりです(本書にはありませんが、便宜的に[第○章]と番号をふりました。)。

ーーー
「新しい歴史学を考える」―序にかえて

I.「日常性」と近代の権力秩序

[第1章] 近代における文化の諸相
[第2章] 「監獄の時代」としての近代

II.フォークロアのまなざし

[第3章] 歴史とフォークロア
[第4章] ミレーの「洗濯女」から

III.死と生の歴史学

[第5章] クリオとタナトス―死の歴史学
[第6章] 家族の多様性―フランスの家族史から

IV.都市空間と民衆行動

[第7章] ポリエードルとしての都市
[第8章] 十九世紀の都市と民衆
[第9章] 労働大衆と消費文化―世紀末からベル・エポック

あとがき
ーーー

 枕元に置いて、就寝前に少しずつ読み進めたのですが、どの章も興味深く読みました。ここでは、特に自分の興味関心に近いこともあり、II部とIII部について少し書いておきます。

 まず、第3章。いわゆる「新しい歴史学」の性格の一つとして、人類学ないし民族学、あるいは民俗学への接近ということがあります(ジャック・ルゴフほか『歴史・文化・表象』参照)。本稿の中で面白かったのは、民族学あるいは民俗学が誕生する際に、自文化とその研究の対象とする他文化に向けた視線や、民族学による民俗学批判です。
 民族学の方でいえば、自らの「文明化された」「合理的」世界と、研究対象の「文明化されていない」「非合理的な」世界を対置する態度があったといいます。背景としては、「地理上の発見」から、世界が大きな関連のもとにおかれていく中で、「未開人」がヨーロッパを反面的に映し出す「他者」として発見されたことがありました。
 とまれ、このように二項対立的に文明・非文明を対置する見方は、自らの社会に「内なる未開」を見いだすことになります。それは「近代性」と「伝統性」の対比として意識されることになります。そしてその「内なる未開」を、民俗学が分析していくことになります。
 …が、民族学あるいは民俗学に接近している歴史学はしばしば「歴史民族学」と呼ばれます。そこに、民族学が民俗学を批判する点が背景としてあるといいます。というのも、民俗学は主に、解釈からは距離を置き、個別的データの収集・分類という成果を上げていました。ですが、たとえば、村落社会のその他の日常生活の諸要素とそのデータがどういう関係をもっているのか、という部分が見過ごされてきたというのですね。これに対して、(フランス内部に向かった)民族学は、諸データを活かしながら生活慣行全体の構造を明らかにしようとした、といいます。
 民族学(エスノロジー)と民俗学(フォークロア)の違いは、漠然と対象とする地域の違いかと考えていたので、この章はずいぶん勉強になりました。

 第4章は、ミレーの絵「洗濯女」をとりあげ、19世紀から20世紀はじめに洗濯という行為がもっていた象徴的意味を論じます。たとえば、産婆さんが死に際して体を水で清める役目を担い、しかも洗濯女でもあるという事例が紹介されています。8ページという短い章ですが、具体的な話で興味深く読みました。

 第5章は、死の歴史学の研究動向を示しながら、その研究の重要性を説きます。
 もともとは死生観の歴史を勉強したいと思い、ここでも言及されているフィリップ・アリエスの本などを読んでいたこともあり、この章で研究動向が明解に整理されているのを興味深く読みました。簡単に、氏が挙げる3つのアプローチとその主要な研究者について整理しておきます。
1.現実態としての死(歴史人口学の次元)
 ・ジャン・ムーヴレ…教区簿冊などによる人口動態の数量的把握。
 ・フランソワ・ルブラン…人口動態の把握→死に対する人々の戦いとあきらめ→心性の追求へ
2.現実の死を前にしての人々の態度と行為、心性
 ・ミシェル・ヴォヴェル
  …a.「煉獄の霊魂図」の図像的分析から、人々の死に対する態度を分析
  …b.大量の遺書(遺言状)の分析から、死に対する人々の感性・態度を分析
3.死について明確に表現された次元(文学、宗教など…)
 ・フィリップ・アリエス…ヴォヴェルとは対照的に、史料の質的分析・長期の時間枠の中での研究
  →2の次元ともかかわり

 ちょっと2と3の区別が分かりにくかったです…。

 それから、あるいは的外れな指摘になるかもしれませんが、第4のアプローチとして、死後の世界のイメージや、死者(幽霊)に対する態度といった領域も考えられると思いました。ヴォヴェルも煉獄の図像表現について分析しているようですし、アリエスも煉獄について言及もあり、ただでさえ上にあげた3つの次元も関わり合っているのに、わざわざもう一つの次元を加えることもないかもしれないのですが…。
 ただ、死後に地獄か天国に行くしかない(と信じている)のか、煉獄という可能性もあり、そこで試練に耐えれば天国に行ける可能性がある(と信じている)のかでは、死を前にする態度も変わってくると思います。また、煉獄にいる死者のために祈れば天国に早く行けるという考えも広まってきて、説教でも教えられるようになるので、これもまた死(者)に対する態度に影響を与えるのではないかと考えます。
 要は、2のように現実の死を考えるために想像界を援用するのか、想像界の分析を通じて現実の態度についても理解がひらけるのか、そのウェイトの置き方の違いだとは思います。ただ、1として現実態としての死を掲げているので、それなら想像界の領域も立てられるのではないかと思ったのでした(現にル・ゴフやジャン=クロード・シュミットなども進めている部分ですし)。

 なお、この5章では、フィリップ・アリエスによる死への態度の変遷の図式が整理されていて便利です。2段組で600頁近くある『死を前にした人間』(みすず書房、1990年)の整理なのですが、同書は途中で挫折しているこもあり、いつかはがんばりたいと思いました…。
 なお、フィリップ・アリエスの『死と歴史』(みすず書房、1983年。最近新装版が出ました)は『死を前にした人間』のコンパクト版のような感じの本で、なかなか面白く読んだのを覚えています。
 なお、その図式とは、「飼い慣らされた死」→「己れの死」(→「遠くて近い死」)→「汝の死」→「倒立した死」というものです。()に入れた部分は、『死と歴史』には見られず、『死を前にした人間』で論じられる話です。

 長くなったので、第6章については簡単に。タイトル通り、家族の形態の多様性を論じた本章で興味深かったのは次の一節です。「家族史研究を下敷きにしていえることは、単一の家族モデルをさしだすイデオロギーと、それにもとづいて示される危機感に、むやみに踊らされることはない、ということである」(199頁)。
 5章6章ともに、現代を生きる上での問題にも関わってきますし、こうした領域の研究も興味深いとあらためて感じた次第です。

(参考文献)
・ピーター・バーク(大津真作訳)『フランス歴史学革命-アナール学派1929-89年-』岩波書店、1992年
・ジャック・ルゴフほか(二宮宏之編訳)『歴史・文化・表象 アナール派と歴史人類学』岩波書店、1999年

(2008/09/09読了)





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Last updated  2008.09.11 06:51:46
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