カテゴリ:本の感想(や・ら・わ行の作家)
横溝正史『病院坂の首縊りの家(上・下)』 ~角川文庫、1978年~ 金田一耕助さんの最後の事件です。最初の事件が昭和28年(1953年)で、解決が昭和48年(1973年)と、解決まで19年を要する、金田一さん最大の事件でもあります。 それでは、内容紹介と感想を。 ーーー 昭和28年(1953年)9月。 金田一耕助のもとへ、本條写真館のせがれ、直吉が相談に訪れた。結婚式の記念写真をとってほしいという依頼で直吉が行ったのは、病院坂の首縊りの家と呼ばれる家。そこで、顔中ひげもじゃらな男と、目のうつろな花嫁が二人きりの写真を撮った。ところがその家はそれまでずっと空き家で、翌日以降も空き家のまま。その日だけ、電気がつくようになっていたのだという。 後日なにかあったら行けないので金田一のもとに相談にきた、また、この結婚式の意味を探ってほしい…というのが、その内容だった。 ところが金田一耕助は、その花嫁の女性を知っていた。少し前に、病院経営などで有名な有名な法眼家の弥生から、行方不明になった孫娘の由香利を探してほしいという依頼を受けていたのだった。ところが、由香利が戻ってきたため、その依頼自体は取り消されるのだが…。 怪しい予感を抱いていた金田一耕助だが、ついに事件が起こる。 病院坂の首縊りの家で、生首が風鈴のようにぶらさげられ、またその髭には短冊が飾られる、という猟奇的な事件が起こったのだった。被害者は、あの写真の男。ジャズ・コンボ「怒れる海賊たち」のリーダー、山内敏男だった。 * 昭和48年(1973年)4月。 警部を引退した等々力大志は、探偵事務所を構えていた。そこに、金田一耕助が訪れる。消化不良に終わった昭和28年の事件の関係者が死亡した。それにまつわり、また恐ろしい事件が起こるのではないか、と彼は心配していた。というのも、本條直吉が、何者かに狙われているらしいのだった。 何者かに集められた「怒れる海賊たち」のメンバーたち。法眼鉄也に届けられた恐ろしい密告状。なにかが起こりそうな気配が高まるなか、ついに事件が起こる…。 ーーー 傑作です。『悪霊島』の感想でも書きましたが、横溝さんはすごいです。 19年の歳月を経て、「病院坂の首縊りの家」にまつわる事件が再び起こり、最終的に全てが解明されるというそのスケールの大きさももちろんですが、もつれた法眼家の状況と、彼らの心理・思惑、吊された生首という恐ろしい事件現場に、偽装結婚式などなど、興味深い描写・設定が盛りだくさんです。 作中作「病院坂の首縊りの家」で描かれる蛆虫を噛みしめる美少女という情景は、本書をはじめて読んだのは中学生~高校生の頃くらいでしたが、当時もかなり衝撃的だったように覚えています。 終盤での、ある人物の告白は、金田一さんとともにそれを聞くある人物の心境を考えると、ぞくぞくしました。そして、それに続く結末も…。 本作は、はっきりと金田一耕助最後の事件と銘打たれています。戦前の「本陣殺人事件」ではじめて登場して以来の、いくつもの物語を思い起こしながら、本書のラストでは胸が打たれました。 どこで読んだかうろ覚えですが、横溝さんは、金田一さんの最後の事件をきちんと書いておきたかったと考えていらっしゃっていたそうです。実際、『悪霊島』は本作よりも後に発表されています。 なんというか、横溝さんが探偵小説にかけた情熱のすごさもありますし、そしてとても金田一さんを大切にしていらっしゃったんだなぁ、ということが、本作を読んであらためて強く感じられました。 本作は、横溝さんが73歳から75歳のあいだに書かれたそうですが、その年齢にしてここまで壮絶な物語を記されたことを思うと、本当にすごいと思います。また、発表は昭和50年(1975年頃)と、もう30年も前のことになりますが、内容もまったく古さを感じさせません(写真技術や科学捜査の方法など、時代背景は別として)。 素敵な読書体験でした。 ※表紙画像は、横溝正史エンサイクロペディアさまからいただきました。 (2009/11/22読了)
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