カテゴリ:西洋史関連(日本語書籍)
デュビー/コルバンほか『愛と結婚とセクシュアリテの歴史―増補・愛とセクシュアリテの歴史』
~新曜社、1993年~ 本書はもともと、フランスの雑誌『歴史(イストワール)』63号(1984年)「愛とセクシュアリテ」特集の全訳でした。その後、フランスで本書の増補版が刊行されたのを受け、邦訳でも、その増補版から3本の論文を選んで増補版を刊行しました。私の手元にあるのは、その増補版の方です。 先日紹介したジャン=クロード・シュミット『中世の身ぶり』に続いて、身体の歴史という観点から、あらためて読んでみようと思い、再読してみました。 同様の領域については、以前紹介した『世界で一番美しい愛の歴史』という本もあります。『世界で…』と本書では、何人かの執筆者が重なっていることもあり、両方を読むことでより深く理解することができると思います。 さて、本書の構成は次のとおりです(本書自体には章の連番は付されていませんが、記事では便宜的に連番を付しました)。 ーーー 増補版への序文(ジョルジュ・デュビー) 現代の愛は、もはやかつての愛ではない(ジョルジュ・デュビー) 第1部 自由な愛―ゲームの規則 第1章 すべてはバビロニアにはじまる(ジャン・ボッテロ) 第2章 レスボスのサッフォ(クロード・モセ) 第3章 トゥルバドゥールと情熱の愛(ジャック・ソレ) 第4章 避妊のはじまり(フランソワ・ルブラン) 第5章 姦通の魅惑(アラン・コルバン) 第2部 カップル―ひとりの男とひとりの女 第6章 最初のカップル、アダムとイヴ(ジャン・ボッテロ) 第7章 ローマ時代の結婚(ポール・ヴェーヌ) 第8章 快楽の拒否(ジャック・ル=ゴフ) 第9章 キリスト教的結婚の生成(ミシェル・ソ) 第10章 二人に一台のベッド(ダニエル・ロッシュ) 第11章 新婚夫婦の小聖書(アラン・コルバン) 第12章 離婚への長い歩み(アルレット・ルビグル) 第3部 快楽と苦痛―情熱の病 第13章 サドは存在したか(ギイ・ショシナン=ノガレ) 第14章 梅毒はアメリカの病気か(アンヌ・マリー・ムーラン/ロベール・ドゥロール) 第15章 懐胎の恐怖(フランソワーズ・テボー) 第16章 マスター.ベーション糺弾!(ロジェ=アンリ・ゲラン) 第17章 秘密の儀式(ミシェル・レ) 第18章 オスカー・ワイルド裁判(モーリス・ルヴェ) 第4部 増補 第19章 ローマにおける同性愛(ポール・ヴェーヌ) 第20章 女性、愛、そして騎士(ジョルジュ・デュビー) 第21章 かつての時代の避妊について(フィリップ・アリエス) 執筆者一覧 訳者あとがき ーーー どの章も興味深く読みましたが、すべて紹介するのは大変なので、特に興味深く読んだ論文や面白かった話題について、いくつかとりあげてみたいと思います。 初読のときから特に面白かったのが、第6章のボッテロ論文です。 アダムとエバの原罪には、性の禁忌があったというイメージがありますが、本来はそれは間違いだというのです。二人が犯した罪の本質とは、神の意志に侵犯し、より賢くなろうとしたことなのですね。より賢くなりたい=神のようになりたい、と思い、実際に知恵の美を食べたことにより、「人は神を低く評価し、くさしたことになる」。これが、原罪の本来の意味というのです。ちなみに、原罪が性的なたぐいの罪だと考えた最初の人物は、ユダヤ教神学者のアレクサンドリアのフィロン(紀元前後)であり、キリスト教学者でいえばアレクサンドリアのクレメンス(200年頃)が挙げられるそうです。 もう一つ、ボッテロ論文で興味深いのは、聖書(創世記)を、人間の現在の状況を説明するための神話としての機能をもつものとして分析している点です。男性は苦労して労働し、女性は出産の苦しみをもつ。また、人間には、「生来そなっているかにみえる悪」がある。そして人間に悪がそなわっている理由は、神に求めることはできない。創世記に描かれる原罪の物語は、こうした矛盾を解消するための神話であって、まさに人間は自分たち自身の罪によって、その後の苦しみをもつことになった、というのですね。 特に興味深い一節を引用しておきます。 「問題となっていることがらの状態を考慮し納得するために、まさにその状況へと結果する一連の話を考えだし、結びあわせるのである。ちょうど寓話作家が、そこから道徳的教えをひきだすために一連の小話を構成することと、それはいささか似ている。それこそ「神話」と呼ばれるものにほかならない」(108頁) さて、面白かった話題として、世界史や文学上の有名人たちについていくつか挙げてみたいと思います。 まず、第一部からはレスボス島の女流詩人サッフォー。彼女は、世界史の、古代ギリシア文学のところで名前が挙げられる人物です。彼女の言動(少女への愛を包み隠さず詩にうたうなど)から、その島の名は女性の同性愛を示すレズビアンの語源となっています。 ところが、同時代にあっては、彼女の同性愛自体はほとんど問題にならなかった、といいます。また、彼女は異性も愛した、とされています。そんな彼女が悪評を受けた理由は、その同性愛にあるのではなく、彼女の自立した態度に求められるのではないか、という著者の指摘が興味深いです。 続いて、第三部から作家のサドとオスカー・ワイルドを取り上げてみます。 読んでいて、二人の共通点が、二人の性癖自体は同時代にそう珍しいものではなかったのに、二人とも一種のスケープゴートして断罪された、という部分にあると思います。 ドナティアン=アルフォンス=フランソワ・ド・サド(1740-1814)はいうまでもなくサディズムの語源となった人物ですが、その嗜虐的性癖などのらんちき騒ぎは、同時代には割合よくあったとか。「サド自身足繁くかよったパリの売春宿やあらゆる種類の娼婦たち……この愛嬌をふりまく娼家には…… 催淫効果のあるカンタリス錠と、それからもちろん笞刑用の鞭も備えつけられていた。それでも、こうしたことはどれもこれも、ごく普通の乱痴気騒ぎにすぎない」と、著者は述べます。 また、著者はこうも言っています。「サドは、その小説のなかに出てくる残虐行為を、実際に行ったのではなく、ただたんに文学として構想しただけである」。ただし、そこにはモデルがあって、それが上に少し紹介したような同時代の背景なのですね。 サドは、しかしその過激な文章によって、社会に恐怖を与え、そのために投獄・精神病院生活を余儀なくされることになるのでした。 * オスカー・ワイルド(1854-1900)は、その同性愛がスキャンダルを巻き起こすことになります。彼が親しくしていたアルフレッド・ダグラスの父親が、まずは息子にワイルドとの交際を絶つよう迫り、ついにはワイルドを公然と非難するようになるのです。そして問題は裁判へと発展するのですが、ルヴェの論文はほとんど伝記のようにも読めるほどに、凝った文章と構成でその流れを語っています。 さて、ワイルドが生きた同時代にも、同性愛はあり、そしてそれが厳しく非難されたことはほとんどありませんでした。ところが、ワイルドはきわめて厳しい判決を受けることになります。その理由のひとつとして、同性愛のなかでは貴族社会と下層社会の人々が結びつくこともあるわけですが、ワイルドがそのような「階級混在状態」を肯定的に主張していたことが挙げられています。「イギリス世論は……おそらく彼の素行よりも、こうした主張の方により大きな衝撃を受けたのであろう」と、著者は指摘しています。 あらためて、本書に収録された論文はどれも面白く読めました。もともと、『歴史(イストワール)』という雑誌は一般読者向けの性格があり、読みやすく書かれているようなのですが、上でもふれたルヴェのような、論文というよりもノン・フィクション作品を思わせるような論考もあって、それも面白かったです。 また、一般向けといいながら一流の歴史家たちが寄稿しているので、その質も高度なのが嬉しいですね。 (2009/12/04読了)
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