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凶悪な少年犯罪や動機不明の重大犯罪が起きると、常套句のように「心の闇」ということばが使われ、新聞に心理学者、精神分析学者のコメントが掲載される。
実に不思議なことだと思う。まず「心の闇」ということばの用法だが、そのほとんどが他者の心に向かって使われている。「あんなわけのわからない犯罪を引き起こす人間のこころの中にはさぞやおぞましい闇が広がっているのであろう」という思い込みの下にこの表現は用いられている。少なくとも自分自身のこころの深部を覗き込もうとする内省や省察がこのことばから感じられることはない。「私のこころの中は一点の曇りもないクリアな世界なんだけど、とんでもない奴らのこころのなかにだけ精神の暗部が存在しており、それを『心の闇』と呼ぶことにしよう」「そうしましょ、そうしましょ」という合意が暗黙のうちにマスコミ各社の間でなされているように思える。 人間の精神や心の領域を考える時に、忘れてならないことは、それを「だれもがもっている」というきわめて単純な事実である。そして、原則としてそれがきわめてパーソナルなものであり、「ひざらし」に出来ない「なまもの」だということを忘れることがあってはならない。 精神の深部に降りていく階段は、そのこころをもつ人間の体の幅に見合うだけの広さしかそなえていない。それは細い縄ばしごのようなものなのである。縄ばしごを二人同時に降りることができないように、心の探索はその所有者が(所有者ということばにはかなり問題があるが、それはいまはおいておこう)自分自身で降りていくしかないものなのだ。 だから、過去の偉大な心理学者や精神分析家も、まずは自らの心の中に降りていき、そこで徹底的な分析作業を行い、個人的な要素を慎重にカウントに入れ、きわめて限定的な形で慎重に人間心理を一般化、普遍化する試みを行ってきた。そこではなによりも「安易な一般化」が避けられてきた(はずである)。それはこころがきわめて個人的な「なまもの」であるという性質が要求する慎重さなのだ。 そう考えると、新聞に簡単便利なコメントを寄せる心理学者や精神分析家がただの一人の例外もなく、信頼に値する人間ではないということは明らかなはずである。彼らは事件の詳細を知らず、当事者の性格、心理を知らず、過去の履歴を知らず、具体的な状況を知らない。これでいったい個別的であるべき心理の何がわかるというのだろう。心の奥に投げ入れられた縄ばしごがいかに細く、頼りなく、切れやすいものであるかを知っている人間が、こんなに明らかな「一般化の誤り」をおかすものだろうか。細々とした縄ばしごに「安易な一般論」という重りをぶらさげて、人を奈落の底へ突き落とすような無謀な行為をするものだろうか。 私にはそうは思えない。 私は以前、河合隼雄氏の公開講座に通っていたことがあるが、河合氏は「なんやわけわからん事件が起こると、それっいうてあちこちの新聞社から電話がぎょーさんかかってきて、コメント求められたりしますけど、そんなんいわんことにしてます。だって、よー、わかりませんもん、わたしには。そんなもんわかるわけありませんがな。そうおもいませんか。」と言われていた。そんなもんわかるわけありまへんがな。私もそう思う。 そもそも心理のことを心理学者に聞くことを自明と考えていること自体がおかしい。これは文学と比べてみるとよくわかる。文学もまたきわめて個人的なものであり、文学的感性や感受性(ことばが固すぎるけれども、要するに「おはなしを読んだり聞いたりしてこころが動かされること」というくらいの意味です)も万人に等しく与えられているものである。文学作品なんて読めばわかるし、そのわかり方は人それぞれ、千差万別である。そんなことは人にいわれるまでもないと多くの人は思うだろう。 芥川賞発表の日に、どこの新聞社が大学の文学部の教授にその作品の意味の説明を求めにいくだろうか。「そんな見当はずれのところにいくわけないじゃないか」と賢明なるマスコミ関係者の方は口をそろえていわれるだろう。「文学などという内的で個人的なものをアカデミックに分析、研究して、自己満足に浸っているような人間に文学の本質などわかるわけがない。その意味が知りたかったら、自分で作品を読んでみるさ」。そういわれることだろう。 では、ひるがえって心理に関してはどうなのだろう。 「心理などという内的で個人的なものをアカデミックに分析、研究して、自己満足に浸っているような人間に、貴重なコメントをいただかないと、事の真実が明らかにならない」と彼らが判断する根拠が私にはどうしてもわからない。 どなたかおわかりの方がおられたらご教示いただけないだろうか。
誰でもいいから「君は違うよ大丈夫だよ」って言って欲しいだけじゃないすかねー。ただのおっさんに言われるよりも、占い師という肩書きがあった方が信じ込めると思います。(2006.02.25 18:48:09)
KKKさん
>誰でもいいから「君は違うよ大丈夫だよ」って言って欲しいだけじゃないすかねー。 たしかにそうですね。安心感を得るためだと思います。しかし、安心感でしっかりガードしてしまうと、自分の無意識はまったく見えなくなる。マスコミは心理などというなまものに手を出さず、もっとあちこち走り回って事実を伝えるべきだと思います。自己顕示欲の肥大したマスコミ好きの心理学者は、分析対象としてしか意味をもたないのではないでしょうか。(2006.02.26 11:18:16)
いやあ、すっきりしましよォ~。
私もずっと不快感を抱いていたんですよ。 こんな…心理学者かなんか知らんけど…なーにが分かるっていうの…もっともらしいコトが書かれてるけど…と新聞を手にぶつぶつ言っておりまして。(2006.11.02 23:17:31)
ジュンさんへ
いやいやよく続きますね。心身に不調をきたしたりはしていらっしゃらないでしょうか。心配です。 ここで述べたことも日頃からよく思っていたことです。個別性に深く関わる事例について「専門家」と称する人々が、その事例について何も知らないにも関わらず、社会の公器を通じてコメントを述べる。彼らは極めて狭い限定のもとに成立している「心理学」という学問分野の専門家であることと、「こころ」の専門家であることとを混同しているとしか思えません。(マスコミも同様の誤りを犯しています)「こころ」の専門家なんてこの世に存在するとは私には思えません。少なくとも個別の事例を知らずに超越的な地点からものをいえる人間が存在するとは思えないのです。もしいたとしたら、それは「神」か、はたまた「狂人」だけでしょう。彼らがそのどちらに属するか、それはその面相から自明のことではありますが。(2006.11.04 11:22:58) │<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |
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