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2006.04.09 楽天プロフィール Add to Google XML

増やす・分ける・愛する
[ その他 ]    

目の前にひとつのものがあるとする。それは目に見える物体でなくてもいい。目に見えない価値であってもかまわない。それを増やすためにはどうすればいいか。そう考えてみる。

おそらく今を遡る遠い原初の時代にもそれと同じ問題が存在していたことだろう。そこに「増やそう」という明確な「意志」があったかどうかはわからない。しかし、結果的にあるものが徐々にその数を増していく。そういう状況はたしかにあった。その時にどういうプロセスを経て、事物は増大していったのだろうか。

自然は(こころのなかに「神」をもっている人は「神は」といいかえてもいい)次のような方法を選択した。まずひとつのものが存在する。それを二つに「分ける」。ひとつのものの正中線のあたりを徐々にくぼませ、溝を作る。その溝を少しずつ深くしていき、最後にはふたつに分離する。そして、それぞれに分かれたものを大きくしていき、以前の「ひとつ」のものと同じ大きさにまで拡大する。このプロセスが終われば、一は二になる。これが自然が選んだ増殖の方法である。

細胞分裂がそうである。単細胞生物からの進化の過程と言い直してもいい。ひとつの細胞に割れ目が生じ、ふたつに分離し、それぞれが成長する。一は二になり、二はさらに四になる。四は八に、八は一六に、一六は三二に、そして六四へと増殖を続けていく。やがて、それぞれの細胞はいくつかの群を形成し、それぞれにある機能が特化され、分化が行われ、複雑な生命体が作られていく。

ここで注目したいのは、増殖の起点、その最初の一歩である。あるものを増やす時に、いちばん最初に行われたこと、それが「分ける」ことだったという事実である。増やすためにはまず分けることが必要だった。これは世界を創造していく上での原理のひとつだったと考えられる。現在の世界のさまざまな事象の中を通底している一本のラインがここには示されているはずである。そのことについて少し考えてみたい。

人間が少しでも増やしたいと望んだものにはどのようなものがあるか。まずは時間だろう。あくまでも自分にとっての時間、生の時間、それを少しでも延ばしたい。この気持ちは根強く存在していたことだろう。

しかし、時間の絶対量は変わらない。とすれば、残された方法は、時間を「分ける」ことである。日が昇り、やがて沈む。翌日にもう一度日が昇る。それまでの時間を分割する。まず一日を大きく二つに分け(原初の増殖の方法である)、それをさらに12等分し、さらに六〇に刻み、それぞれをまた六〇に刻んでいく。そうすることで時間に細かな刻みを作り、主観的な時間を増大させる。少なくとものっぺらぼうの時間の中を茫然と漂っているよりも、この刻み目の中を移動していくほうが時を過ごすことに関しては意識的になることができる。そのようにして人は時間の増大を図った。そういうことではないだろうか。

太陽の位置がある地点からある地点へと一巡するまでの時を一年とし、それを一二等分し、さらに日に分けていく。そういう一年の刻み目を自分の生の時間を計る基準とし、生をいくつかの時期に分け、それぞれにふさわしい生きる指針を見出す。これもまた「分ける」ことによる生きる時間の増殖を目指す営みだったのかもしれない。

時間以外に人間が「増やす」ことを願ったものは他にも考えられる。食糧がそうだろう。目の前の食糧が尽きてしまうと飢餓の恐怖が迫ってくる。この食糧を増やすためにはどうすればいいか。他人に奪われないように両手でしっかりと食い物を抱きかかえていればいいかというと、そういうものでもない。これでは保存はできるが、増殖はできない。増やすためには分けねばならない。そう、ここで行われたのは、一見矛盾するように見えるが、自分の食糧を他者に分け与えることだったのである。そうすることで他者から供与される可能性が増大する。さらに他者の分まで食糧を調達する必要が、食糧を獲得する意欲や技術を昂進させる。それは総体としての食糧の増産を可能にする。ここでも「増やすためには分ける」という原則は有効だったのである。

しかし、ここでこう問う人がいるかもしれない。「では、愛は?」と。私が自分自身に、そしてこの世界において、ひたすら増殖を願うのは「愛」である。この増殖にもやはり「分ける」ことが有効なのか、と。

自分の愛を分割する。何人もの人間に分かち与える。そうすることで愛の総量は増える。おそらく家族、友人、地域社会、および人類総体に対する愛についてはそういえそうな気もする。愛は分かち与えることによって増大する、と。でも、その人は再びこう問うだろう。「では、男女間の愛は?」と。

異性への愛を複数に分割すればするほど、愛の総量は増大するだろうか。愛の対象を一から二、二から四へと分けていけば、それに応じて愛は増えていくか。一人、二人、四人と愛人の数を等比級数的に増やしていけば、愛はそれにつれて倍増していくのか。そんな馬鹿な話はない。この場合、増殖するのは、愛ではなくてむしろ憎しみ、葛藤、混乱ではないですかと。

うーん、なるほど。いやお気持ちはよくわかりますよ、お気持ちは。もっともなご質問です。おっしゃることの意味は痛いほどわかります。ずいぶんご苦労されたんですねー。え、話をそらすな、時間稼ぎをするんじゃないって。わかりました。お答えしましょう。

愛にはこの原理は適用できない。愛だけには「増やすためには分ける」という法則は当てはまらない。なぜか。それは愛という感情そのものが分割されることの痛みから生じているからである。

「増やすためには分ければよい」という原理は、言い方を換えれば「増やすためには分けねばならない」ということにもなる。はるか昔、原初の世界のはじまりにおいて、細胞はたったひとつだった。その細胞の中にいわば世界が存在していた。しかし、その細胞が死滅すれば世界も終わってしまう。時間も消える。この事態を回避するために、細胞は増殖を始めたのである。しかし、それは単純な増殖ではない。石鹸の泡がぶくぶくとふくらんでいくようにわれわれは増殖してきたのではない。

その起点においてわれわれは自らの身を分断する痛みを味わわなければならなかった。自分の身を半分に引き裂いて、それぞれを分離させることによって、われわれは増えていったのである。その原初の分離の痛みや哀しみをわれわれは忘れることができない。いつの日か、あのひとつだった時代に戻りたい。そういう願望は人間の意識の底に眠り続けている。その潜在的な願望を満たそうとする感情を何と名づければよいだろうか。

いうまでもない。それが「愛」である。愛は引き裂かれた二つのものをひとつにしようという切実なこころの働きである。だから、愛は増殖しない。増殖のプロセスを逆向きに辿っていき、最後にひとつになろうとする欲求を愛というのだから。そうであればこそ、愛という感情の底には、いつも「ひとつになりたい」という欲求が存在するのである。

愛は増殖とは逆方向のこころの働きなのである。それはある意味では退行であり、回帰であり、帰還なのだ。だからそこには安らぎが宿る。慈しみの気持ちが宿る。同時に死に隣接した限りない哀切の感情も宿るのである。

え、わずかな引き延ばしの時間のなかでよくそれだけ思いついたな、ですって。失礼な。いいがかりもはなはだしいですな。愛する人とひとつになる幸福な時間の中にある人間にとってはこれは常識に類することですぞ。これをその場の思いつきと感ずるようでは、ずいぶんとさみしい人生をお過ごしですな、あなたは。

ああ、そう、ついでにいっておけば、さみしさを増殖させる方法はとても簡単ですよ。びしばしといろんなものと分かれちゃえばいいんです。え、そんなことはいわれなくてもわかってる?そうですか、失礼しました。あなたの人生が大きな愛とあたたかい充実感に包まれた輝かしいものとなりますように、ご多幸を陰ながら祈念しております。はい。





Last updated  2006.04.09 10:51:17
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