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M17星雲の光と影

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M17星雲の活動記録

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2006.04.10 楽天プロフィール Add to Google XML

「おばちゃん」のこと
[ その他 ]    

私には「おばちゃん」が一人いた。おばにあたる人はもちろんもっとたくさんいたけれど、ほとんどの場合、名前で呼んでいたので、私と兄にとって「おばちゃん」という呼称はただ一人の人を指していた。それは私のうちの隣に住んでいた叔父の奥さんである。

彼女は小学校の先生だった。人事異動で私の通っていた小学校に赴任してきたこともある。隣のうちに住む「おばちゃん」が学校の職員室にいるというのは、なにか不思議な気分のするものだった。幸い直接教わる機会はほとんどなかったが、当時の私の担任が「おばちゃん」とは仲が良く、朝礼の時など私のほうを向いて二人で世間話をしているのを見るとなんとも落ち着かない気分になった。

担任の先生からは、「○○くんは△△さんのおいごさんなんだから、国語はできるんでしょうね」といわれたことがある。「いやー」といってごまかしたが、内心では「できいでか(なぜか関西弁)」と思っていた。どうも当時からすなおさに欠ける子どもだったようである。

おばちゃんはおだやかで微笑みを絶やさない、いい先生だった。不思議に生活臭を感じさせなかった。隣に住んでいて生活臭を感じさせないというのは考えてみればなかなかすごいことである。だって、こちらはおばちゃんの掃除したり、洗濯したりする姿を目にしているわけだから。でもおっとりとしてほんわかとした空気が、リアルな生活感を覆い隠していたような印象がある。

私の母親が外向的で明るく、しゃきしゃきした女性だったので、二人はちょうど好一対をなしていた。太陽と月という感じだろうか。朝日とおぼろ月といったほうが適切かもしれない。母親がてきぱきと家事をこなし、様々な行事の段取りなども次々に決めていくのに対して、おばちゃんはにこやかにその決定事項に従うというパターンが多かった。

母親に言わせると、おばちゃんは「ちょっと人が良すぎる」ということになる。飛び込みのセールスマンからかなり高額の商品を買わされたりしたことも多かったようだ。新聞も三ヶ月ごとに変わっていた。「あの人は、いいえっていえんとよ」と母親は言っていた。善意の人がみすみすだまされることに割り切れない思いを抱いていたようである。「はっきりいらんっていえばよかとに、人のよかけん何でも買わされるとよ」ともいっていた。そういえば、隣家の屋根には何十万もする温水ヒーターが燦然と輝いていたりしたものである。

おばちゃんは積極的に人に話しかけるタイプではなかった。二人目の子どもの出産を機に先生を辞めてからは、その傾向はさらに強まったように思えた。でもいつも穏やかで大きな声を出さず、微笑みを絶やさないことに変わりはなかった。私の兄は積極的で外向的な優等生だったので、親戚の話題などにもよく上っていたのだが、おばちゃんはいつも少なからず問題を抱えた私のことを遠くから見守ってくれているように感じていた。なんとなく私の味方をしてくれているようにも思っていた。「月」同士の連帯感というものがそこには働いていたのかもしれない。

思春期の頃、部屋に閉じこもりがちだった私のこともしばしば気遣ってくれた。「○○ちゃん、どげんしよんしゃーと」とよく母親に尋ねたりしていたようだ。私が留守番をしている時に、突然雨が降り出したりすると、何も言わずに、我が家の洗濯物を取り込んで、縁側にそっと畳んで置いてくれるような人だった。微塵も押しつけがましさがなく、自己主張などというものとは無縁な人のように思えた。

大学時代、年末に私が帰省すると、おばちゃんは必ず近所のケーキ屋でクリスマス・ケーキを買ってうちに持ってきてくれた。「部屋に電気のついとうけん、帰ってきとんしゃあかなと思って」と言って。「もうよか年で酒も飲みようとやけん、ケーキはあんまり似合わんよ」と私がいっても、にこっと笑って頭を下げて帰っていく。白い四角の箱を開けると砂糖菓子の小さな家が載った可愛いケーキが出てきた。いつも同じ店の、同じケーキだった。

会社に勤めるようになってもこの習慣は続いた。「おばちゃん、こっちはもう三十過ぎとうとよ。そげん気ばつかわんといて」と言っても、同じせりふと同じ笑顔を返された。母親は年末になるとおばちゃんが「いつ帰ってきんしゃあと」と尋ねられるといっていた。

ある年、帰省すると、おばちゃんが倒れたという。道を歩いていて、突然意識がなくなり、後ろ向きに倒れて怪我をしたそうだ。原因はよくわからない。一週間程度入院して、怪我は治ったが、原因は不明だった。それから何度か同じようなことが起こった。一度などは家のそばの畑で倒れて、ちょうど物陰に体が隠れてしまったせいで4~5時間そのままだったと聞いたこともある。たしか冬だったと思う。すぐに回復してふつうの生活に戻ったのだが、そうこうするうちに弱々しさが目立つようになった。でも、やはりおだやかでおっとりとした雰囲気に変わりはなかった。クリスマスケーキとそれをもってくる時のせりふが毎年まったく変わらなかったように。

数年前おばちゃんはなくなった。入院して具合が悪いということは聞いていたが、それからまもなくなくなったという電話が母親からかかってきた。仕事の都合で葬儀にはいけなかった。それから数年後、後を追うようにしておばちゃんのだんなさんもなくなった。子どもはそれぞれ独立していたから、隣は空き家になってしまった。

昨日兄からメールが来た。この間、帰省して父母といろいろ話をしたと書いてあった。兄は外国生活が長かったので、いい機会だと思って、じっくりといろんな話を聞いたそうだ。多くは親戚に関するたわいもない思い出話である。その中にこんな一節があった。

東京で私が結婚式を挙げる時、母親は親戚は各家庭一名ということにしよう、行く方も、迎える方もいろいろたいへんだから、そういう決めごとをきちんとして、お互いに負担がかからないようにしよう、ということにしたそうである。いかにも母親らしい考え方だ。例外は認めない。たとえ年上であろうと長男であろうと同じ条件を適用し、互いの負担を軽減する。明快で公平なやり方は母親の流儀である。

でも私はそんな決めごとの存在は知らなかった。兄のメールで初めて知った。でもいかにも母親らしいやり方だなとあらためて思った。

母親は隣のうちに行き、そのことをおばちゃんに説明したそうである。この場合、暗黙のうちに叔父が一人で出席することになる。そういう土地柄なのである。それまでおばちゃんはうちの母親に口答えをしたことは一度もない、いつも「はい、はい」とすなおに言うことを聞く人だった。

でもその時のおばちゃんは違った。「○○ちゃんの式には行かせてください。費用は自分で出しますけん、ぜひ行かせてください。おねがいします」

おばちゃんは強い口調でそういったそうである。「私はびっくりしたとよ」と母親はしみじみといったそうだ。「あげんおとなしか人があげなことばいうとはゆめにも思わんかったけんね」。母親はその気迫に押されたという。

そんなことは全然知らなかった。おばちゃんのところだけ二人で出席していたのは知っていたが、そのことを気にもとめなかった。私は上京したおばちゃんとろくにことばも交わさなかったのではないかと思う。

人間というのはなんと想像力に欠けた生き物だろう。いや、そうではない。ことばは正確に使わなければならない。想像力に欠けていたのは「私」である。私はなんと想像力に欠ける生き物だろう。そう思って、私はそのメールからしばらく目を離すことができなくなってしまった。

私はおばちゃんのために何かひとつでも役に立つことをしただろうか。おばちゃんの思いに応えることをひとつでもしたことがあっただろうか。何も思いつけない。亡くなる直前の正月にもう歩けない状態で息子に負われてうちに挨拶に来た帰り、酔った息子の代わりに私が玄関までおばちゃんをおぶっていったことがある。その時のおばちゃんの体は拍子抜けするくらいに軽かった。そんなことしか今の私には思い出すことができない。

私はおばちゃんのことを思った。パソコンの前を離れ、うろうろと部屋の中をしばらく歩き回った。そして、おばちゃんと母親の会話を想像してみた。なんともいえない気持ちがおなかの下の方からこみあげてきた。

今年の花粉症はしつこい。目にくる。涙腺までこわれてしまったみたいだ。


文子さん、この拙い文章をやさしかった文子さんに捧げます。どうもありがとうございました。





Last updated  2006.04.10 20:35:29
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