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カテゴリ:その他
愛国心とは下着のようなものではないかと思う。
下着を身につけるのは人間として当然のことである。下着をつけない人間がいるなどということは信じることすらできない。そういう人間がいるとしたら頭がおかしいのではないか。一方にはこう考える人々がいる。 しかし、もう一方には、いや下着というのは元来人間の自然に反するものである。アンダーウェアで強く縛りすぎると血行が悪くなり健康を害する。大事なところが少しすーすーするという問題点はあるものの、特に実害はない。下着をつけるかつけないかは個人の判断に任せるべきである。お仕着せの下着着用運動はごめんだ。こう主張する人々もいる。 これだけならば話は簡単だが、下着をつけるべきと唱える人々には、さらに「どのような下着をつけるべきか」という枝分かれした問題が待っている。日本古来のふんどしでいこうとか、世界標準のブリーフがいいとか、風通しのいいトランクスがよいのではないかとか意見が分かれる。「真に望ましい下着とはどのようなものか」という議論がここで持ち上がるわけである。これは容易に結論の出る問題ではない。 まあ、こういう問題は一般論で考えてもしかたがない。それぞれに個人的な見解があるだろうから、私も私見を述べることにする。 私は基本的には下着は身につけることにしている。これまであまり自覚的に考えたことはないが、つけるかつけないかと問われたら「つけることにしている」と答えるだろう。少なくとも積極的につけないことに意義があるとは思えない。だからこれまでの習慣に従って「つける」。ただそれだけである。 しかし、下着一枚で街中を歩こうとは思わない。他人に見せようとも考えない。なぜか。みっともないからである。下着は基本的には服の下に隠しておく。特に他人に見せる必要もないし、見せてどうなるものでもない。ごく親密な人に対してはそっと見せることはあるかもしれないが、それだって、下着を見せることそのものが目的というわけではない。それはあくまでもある行為に付随する従属的、周辺的な行いである。下着を他人に見せて喜ぶ趣味は私にはない。下着を手に持って振り回しながら街中を歩くこともない。なぜそんなことをする必要があるだろうか。 熱烈なる下着主義者のなかにはこういうことをいう人がいる。「人間として生まれて下着を身につけたいと思うのは、あらためて説明する必要もないほど自然な感情である。だから私は下着をつける」と。いわれてみればそうかなという気もするが、ちょっと待ってほしい。ことばは慎重にかつ正確に用いるべきものである。あいまいなことばはそれを使う人間をあいまいな場所へと導いてしまうからだ。この発言を少し検討してみよう。 はたして「下着を身につけるのは人間にとって自然な感情だ」と言い切ってしまっていいのだろうか。正確には、それは「自然な感情だと思われる」というべきだろう。たしかにわれわれは下着をつけることを自然だと感じる。でもそう感じるからといって、それが自然な感情だと言い切れるかというと、そこには少しだけ問題がある。納豆を食べ慣れている人にとってはその香りは「自然」なものだろう。しかし、生まれて始めて納豆に遭遇した人にとってその香りは「異様」なものと感じられる。そこには「慣れ」や「習慣」という要素が関与してくる。下着をつけることが自然だと感じる気持ちにもその「慣れ」や「習慣」がどれだけ関与しているかということを考えに入れる必要がある。 そもそもなぜ人は下着を身につけるのだろうか。そう考えてみる。この問いに対する私の答はこうである。「それは裸になるためだ」 下着を身につけない限り、人は「裸」にはなれない。裸でない状態が存在して始めて「裸」という状態が意味をもつ。全員がすっぽんぽんで生活しているとすると、それを「裸」と呼ぶ必要はどこにもなくなる。だから猫にも犬にも鼠にも「裸」ということばや概念は必要がない。下着をつけない彼らには「裸」という状態は存在しないのだ。 すると人間にとっての自然状態は「裸」というか、下着をつけていない状態を指すことになる。だから、「なぜ下着をつけるか、そうするのが自然な感情だから」という答は論理的におかしいのである。自然状態に下着は存在しない。問題はその自然状態に逆らって下着を身につけることをなぜわれわれが「自然」と感じるようになったかということである。 ここで話を「国」に戻す。国という存在は私たちにとってきわめて「自然」なものと感じられる。生まれた時から存在しており、今もまたその中で生活しており、将来にわたっても存在しつづけると感じられるもの、そういう自明の存在がわれわれにとっての「国」だろう。 「じゃあ、国ってなんですか。あなたの属する国ってなんですか」と誰かがあなたに訊ねたとする。 「きまってるじゃないか、日本だよ、ニッポン」 「そのニッポンってなんですか」 「しょうがねーな、それも知らないのかよ。」とあなたは言って、その人の手を引っぱって国境線付近まで連れて行き、 「この線のこっから内側がニッポン。わかった?」そういうかもしれない。 あるいはパスポートを取り出して 「これを発行したのがニッポン」。そういうかもしれない。 六法全書を示して、憲法を示して、お札を示して、戸籍を示して、住民票を示して、同じことをいうかもしれない。 すると相手はこう言う。 「ずいぶん、いっぱい証拠品が出てくるんですね」 「あたぼうよ、俺たちはニッポンに住んでるんだから、こんなもん、いくらでも出てくるにきまってるじゃねーか」 相手は少し考え込む。 「私はこう思うんです。あまりにもたくさんの証拠品が示されると、なんだかかえって不自然な気がしてくる。もしそれが自然な存在であるのなら、たくさんの証拠は必要ない。木や石や川や山や空がそうであるように、『それがそこにあるからあるんだ』としか言えないもの。それが自然な存在ということではないでしょうか。それなのにあまりにも次々と証拠品が出てくると、私はかえってあやしいんじゃないかと思えてしまうんです。あなたがさっき私に示したニッポンの証拠品はすべて人間が作ったものですよね。徹底的に人為的なもの、それがニッポンという国のあり方だとしたら、それはずいぶん『不自然なつくりもの』ということにはなりませんか。」 「ずいぶんへんてこりんな理屈をこねるやつだなー。でもまあいいや、国は人間が作ったものにはちがいねー。それは認めてもいいぜ。でもそれがどうしたっていうんだい」 「あなたはさっき、日本人が日本という国を愛するのは自然な感情だ、といいましたよね」 「おお、いったよ。小泉さんもそういってるじゃねーかよ。それに何か問題でもあるのかよ」 「それまちがってますよ」 「へっ、いったいどこがまちがってるんだ、どこが」 「その考え方はまず日本という国が存在する。しかるのちにその国を愛する感情が湧いてくる。そういうことですよね。」 「おお、そうだよ。」 「それって順序が逆じゃないですか。最初に国を愛することにしようという取り決めがあり、その気持ちをみんながもつことが出来たとき、そこに始めて『国』というものが生まれるんじゃないんですか」 「…………」 「国というものは徹底的に人間が作り上げたものだ。さっきそういいましたよね。あなたもそれは認めてくれました。でも誰かが作ったものだとわかっていたら、俺はそんなものには入らないよという人が必ず出てくるんじゃないですか。それだと困ることになると思うんですよ。だからいちばん最初に国というものは問答無用で愛すべきものなんだという感情を作る。その感情が生まれればみんなは安心して国というものに属することができる。順番はこうなんじゃないですか。だから、国が愛国心を作るんじゃなくて、愛国心が国を作るんですよ。さっき下着の話をしましたよね。この国と愛国心の関係は、裸と下着の関係と同じなんです。下着以前にはじつは「裸」は存在しなかった。裸を作るために人は下着を作り、それを着るんです。だから、さきほどのあなたの発言はこう言い直すべきだと私は思います。『国という存在を自然なものと感じさせるために愛国心という感情が作り出されたのだ』と。それはちょうど私たちが下着をつけることではじめて裸を意識するようになったということと同じなんですよ。」 話が長くなってきたので、再び私見に戻ることにしよう。私は基本的に下着を身につける。しかし、下着姿で街を歩こうとは思わない。そして、その下着は高価だったり贅沢だったりする必要はない。ただ毎日脱いで、清潔に洗って、風通しの良いところで乾燥させる。その洗い立てを翌日身につける。そしてそれを人目にさらさず、そっと服の下に隠しておく。私は下着とそういう付き合い方をしていきたいと思う。 赤や青や黄色の原色のパンツを履いて大声で喚きながら街中を走ろうとは思わないし、そういうことをする人を私は好まない。むしろ軽蔑する。でもだからといって下着の存在を否定しようとも思わない。下着はあっていいと思う。つけてもいいと思う。でもそれを誇示する必要はない。そして同じ下着をつけっぱなしでそれを脱がない人にはそばにいてほしくない。その人間の放つ異臭からも遠ざかりたい。そのカビ臭い匂いを私は嫌悪する。 リモコンの内蔵されたパンツを履いて、それに引きずられているような人間もいる。そういう人に私は言いたい。自分の下着くらい人目につかないところでそっと洗って、汚れたところがないかどうか自分の目でちゃんとチェックして、毎日清潔なものを身につけろよ、と。それが人間の基本ではないか。そう思う。 人目につかないものだからこそ、ひそかに心を配り、清潔に、上品に保つ。愛国心とはそういうものではないだろうか。自尊と高慢の区別もつかない人間に、このことばを軽々しく使う資格はないのだ。私はそう思うのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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