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カテゴリ:その他
今を去ること遠い昔、飛び込みの営業をしていた経験があるせいか、路上でポケット・ティッシュを配っている若者を見ると、ついじっくりと観察してしまう。手を差し出す角度、位置、顔の角度、表情、声のトーン、見切りのつけかた。単純な仕事に見えて、そこにはさまざまな要因が複雑に絡まり合い、どんなに一生懸命配っても「ふんっ」と無視されてしまう人と、なぜかすいすいと受けとってもらえる人と、大きく二つに分かれるのである。
たとえば、今日、新宿の路上で配りものをしていた20代半ばのおねえさん。「幸」薄いのよね、わたし、という雰囲気を濃厚にたたえて、けなげに配り物をしておられました。こちらはあいかわらず鼻が破壊された状態なので、ティッシュ欲しいな、と思って、ひょいと受けとると、なんだか手にとった感触が妙に軽い。軽すぎる。おやっと思って手許を確認すると、かの「幸」薄そうな女性、かなりのてだれとお見受けしました。そこには一枚のチラシのビラがあっただけ。いまどき一枚チラシを通行人に受けとらせるのは至難の技。でも、彼女はその手のひらよりもわずかに大きなチラシを真ん中あたりからふんわりと二つ折りにして、通行人に「あ、ティッシュだ」と思わせて見事に手にとらせるという高度な技を修得されていたのであります。 こういうおねえさんを見ると、なぜか感動してしまう。騙されながらも、「がんばれよ」と声援を送りたくなる。どういう小さな場所でも、そういう形で、誰にいわれたわけでもないがんばりを発揮している人がいる。そしてなぜかそのほとんどは女性である。私は「がんばってね」と小さく呟きながら、そのチラシを捨てるゴミ箱を目で探す。 しかし、そういう時に限って手近なところにゴミ箱が見つからない。人生とはそういうものである。 しかたなくそのチラシにちらりと目をやる。なにか文字が書いてある。 うん?「性格診断?」いったいなんのチラシなんだろう。 えーと、なになに、 「ご自分の性格について、次の問いに答えてください。前者だと思う場合はA、後者だと思う場合はBとしてくださいね。」 いったい何のセールスなんだろう。 「1 あなたはすなおですか、それともひねくれているほうですか。」 うーん、考える余地なし。即答。Bです。 「2 あなたはがんこですか、それともがんこではありませんか。」 これも即答。Aに決まっているではないですか。 「3 あなたは行動的ですか、それとも行動をためらいがちなほうですか。」 うーん、これはBだな。一見潔く見えて、実のところは「ひよこ」さんか「りす」さんなみの小さな心臓の持ち主だから。 え、これで質問は終わりか。いったいなんなんだろう、これって。でも、とりあえず、私の場合は、「BAB」ということになったわけだな。でも、それがいったいどうしたというんだろう。 おや、その後はなにも書いてないぞ。真っ白なスペースだ。なんだかぜんぜん意味がわからないや。おっと最後の方に1、2行何か書いてある。なになに。 「○2、×1。おそらく理想型。相補性による。たぶん。」 なんなんだよ、これ。さっぱり意味わかんねーよ。「○2、×1」?「理想型」?「相補性」?ちんぷんかんぷんだよ、これじゃあ。いったい何のセールスしてるわけ? 私はしばし考えこむ。とにかくここには三つの質問が書いてあり、それぞれAかBかで答えるタイプだ。それに○×が出てくること自体がまずおかしい。たとえば、AAAが理想とか、ABAが理想とかいうのなら、まだわかる。でも○×っていったいなんなんだろう。 あー、そうか。これはAかBかが問題ではなくて、自分がAの時、相手がAかBか、それを問題にしているわけか。要するに相性の問題ってわけだな。とにかく自分がA、相手がAなら○、相手がBなら×、そういう意味じゃないだろうか。 でも、そう考えたとしてもなんで○2、×1が理想型なんだろう。やっぱりよくわからないや。 ちょっと自分の場合で考えてみよう。相性なんだから、自分とABパターンがまったく同じだと相性いいんじゃないだろうか。趣味が一緒、価値観の全き共有。なんだか結婚紹介所の宣伝文句だな、これじゃ。(変換ミスで「血痕紹介所」と出て、びっくり)。まあ、とにかくこれならたぶんうまくいきそうに思える。 えーと、1、ひねくれてる、2、がんこ、3、ひっこみじあん、か。え、ちょっとまってよ、いやだよ、オレ、こんな奴。「○○○」はだめだな。 そっか、自分のタイプとは逆の人間にむしろ引かれるということはありそうだな。自分とまったく同じじゃ、自己嫌悪の二乗になっちゃうわけだし。人間は自分にない部分に神秘を感じ、どうしようもなく惹かれてしまうと。それはありそうなことだ。 えーと、まったく正反対だとどうなるんだろう。1、すなおで、2、がんこではなく(従順で)、3、行動的。おい、おい、待ってくれよ。それって、めちゃめちゃストレートでなんの屈折も影もない奴じゃないか、そういうのはちょっと勘弁してほしいよな、正直いって。 そっかー、結局、「○○○」も「×××」もだめということか。自分そっくりでも、自分と正反対でもあまり魅力は感じない。すると、答えはこの中間にあるということか。 「1、 すなおで、2、がんこなんだけど、3、行動的。」 あ、これはちょっといいかもしれない。基本的にストレートに生きてるんだけど、ストレートすぎて時々まっつぐに壁に激突するタイプね。オレは直前で壁かわすほうだから、こういう人はちょっと気になるな、たしかに。 「1、すなおで、2、従順なんだけど、3、ひっこみじあん」 ああ、なんかわかる気がする。純情派ってことだよな。えーと、けっこうこのパターンにも好意的だな、オレ。 おや、だんだんわかってきたぞ。「○○2、×1」っていうのは、三つの質問に対するABパターンが一致すれば○、一致しなければ×っていうことだな。なるほどなー、全部一致しても、全部一致しなくてもあまりうまくいかないんだけど、二つ一致して、一つ食い違うくらいがちょうどいいということか。うーん、なんだかいわれてみればそういう気もしてきた。 でも、その次の「相補性」ってなんだろう。生物の教科書で見たことがあることばだな、たしか。ああ、そうか。DNAのアデニンとチミン、グアニンとシトシンは互いに相補性があるっていう、あれか。鍵と鍵穴の関係。他のものとは結びつかないけど、この二つは鍵とそれにピッタリ合った鍵穴みたいに相性がいいってことだよな。 そっかー、あの三つの質問のどれか二つが○で、一つが×だと、ちょうどいい感じで、二人の間に好ましい引力が働くということか。でも、これはあくまでも経験則であり、断定はできないから、「たぶん」って書いてあったんだろうな、たぶん。 二つの引力と一つの斥力。この組み合わせが人と人とを緊密に密接に結びつける。そういうことがいえるということか。いわれてみると意外と当たってるかもしれない。6割5分の共通点と、3割5分の相違点。それが人間と人間をぴったりとあった鍵と鍵穴のように結びつける引力を生じさせる。そういうわけか。ふーん。 考えてみると、1の質問はその人間の「思考」のパターン、2の質問はその人間の外界に対する「受容」のパターン、3の質問は「行動」のパターンということになりそうだ。この三つのフェイズにおける二つの共通点と一つの相違点、それが人と人とをしっかりとつなぐ絆を形成する。それがこのチラシに込められたメッセージというわけか。 でも、それを書いて、いったい何のセールスに結びつけようっていうんだろう。これがいったい何のお金儲けにつながるんだろう。不思議に思って、振り返ってさっきの「幸」薄いおねえさんを探したが、そこにはもう誰の姿も見つけることはできなかった。 以上、ここ数日、電車の中で「Sudden Fiction 超短篇小説70」を読みながら、睡眠不足でうたたねをした時に見た意味不明の夢の一部分でした。 これまで読んだ中では、「皮膚のない皇帝」、「欲望の分析」、「寓話」、「崖」、「犬の生活」、これらが印象に残りました。うーん、これってほとんど村上春樹的世界ではないですか。 ちなみに、 村上春樹=A・A・A 私 =B・A・B おや、あんまり相性よくないのかな。でも、なぜかこの両者の間にも強い引力が働いているのである。要するに、人生は理屈ではなく、無限の例外の集積である、というのが今日の結論ということである。(なんだかよくわかりませんね。へろへろに疲れて、泥酔して、意識が朦朧としていると、しばしば人生の真実を悟ったような錯覚に陥るのが凡人の哀しい常なのであります。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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