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「○○さーん、今年の生徒が大学の志望動機書いたから見てくれってロンドンからメールが届いたんですけど、お願いできますか」
「ああ、いいよ。でも便利な世の中になったもんだね。以前は航空便で小論のやりとりしてたわけだから」 「ええ、最近じゃワードの添付ファイルに小論が書かれてて、それに添削を上書きして返送すれば、その日のうちに見れるんですものね」 「でもね、だからといって添削という作業が楽になったわけじゃない。添削ってほんとうはすごくむずかしいんだよ」 「でも○○さん、いっつもすごいスピードで添削してるじゃないですか。みんな感心してますよ。」 「たしかに文章を一読して、AとかBとか印をつけて傍線を引き、そこに感想を書きこむ。最後の概評欄に5行でアドバイスの文章を書く。その間、ペンが止まることは一度もないね。指が自動筆記機械のように勝手に動いて添削が終わるようでなきゃ、プロとはいえないからね」 「でしょ。ぜんぜん楽勝じゃないですか」 「でも、たとえばさっきのメール添削、あれは本当の添削とはいえないんだ」 「え、なぜですか。不自然なところとか意味の通りにくいところを指摘してあげて、どう書き直したらいいか具体的な方法を教えてあげて、立派な添削じゃないですか。実は私、この間のメールちょっと見ちゃったんですけど、アドバイスが簡潔で的確で感心しちゃったんですよ」 「じゃあさ、そのメールの書き直し前と書き直し後の文章、見比べてごらん。ここにあるから。どう。」 「うーん、部分的には悪かったとこが修正されてるから、少し読みやすくなってるけど、全体として見ると、あんまり変わりばえしないような」 「でしょ。これじゃだめなんだよ」 「でも、生徒が目の前にいても基本的には同じような添削してあげるわけですよね」 「そうだよ」 「同じ添削してあげて、実際に生徒が目の前にいるのといないのとじゃあ、効果が違うということですか」 「うん」 「どうしてそんなことがおこるんだろう」 「だって、こちらのアドバイスを相手がどう受けとめているか、確認できるかできないかって大きなちがいじゃない。メールで文章を送ってきたこの子はアドバイスのほんとうの意味が実は十分に理解できていないんだよ。もし、目の前でそんな表情してたら、オレは即座にアドバイスの方法変えるから、こうはならないよ。」 「相手の受けとめ方を観察しないと、ほんとうのアドバイスはできないってことですか」 「そういうこと。こちらのアドバイスを1、積極的に受容するか、2、消極的に受け入れるか、3、否定的に受けとるか、4、あまり関心を示さないか、5、無理してほめてるんじゃないかと猜疑心をもつか、受け止め方ってさまざまでしょう。それに応じて、次のアドバイスを考え、それに対しても何通りもの反応が考えられるわけ。その組み合わせを考えるとほとんど無限のバリエーションが生まれるわけよ。その中から最適の選択肢をさぐっていくわけだね。でも大部分の生徒は、添削って悪いところを直してもらうことだから、メールでも平気だと思ってる。悪いとこだけ直したって、文章はよくならないのに」 「どうしてですか」 「だってさー、もしも人間の欠点が即座に矯正できる機械があったとして、みんながその機械で欠点を矯正したらどんな社会になると思う。すばらしい人間が世界中にあふれることになるだろうか。おそらくは無味乾燥で無個性な能面みたいな顔した人間が、そこら中歩きまわることになるとオレは思うんだけどね」 「欠点を直しちゃいけないってことですか」 「もちろんあらためるべき箇所はあらためるわけだけど、欠点そのものを根こそぎ取り除こうと思うのは危険だ。欠点のない人間くらい退屈な人間はいない。それに往々にして当人が欠点だと思ってることは、傍目にはその人間の魅力であり、長所であることが多いしね。第一、17、8にもなれば、自分の欠点くらい自分でだいたいわかってるもんだよ」 「欠点を取り除くんじゃないとしたら、どうやって文章をよくするんですか」 「長所を伸ばすしかないじゃない。人間というものは自分の欠点は即座にいえるんだけど、長所って意外といえないものなんだ。いえないどころか、自分で把握できてないことが多い。だから、第三者の目が必要になるんだよ」 「それが添削だということですか」 「そういうこと。その人間の欠点を受容し、可能性を信じるってことは、要するに、その人間を愛するってことでしょう。欠点が魅力に見え、まだ表れていないその人の可能性を愛することができたとしたら、それが理想の添削になると思う。そういう状態が作れたら、勝手にどんどん文章よくなってくるよ」 「ふーん」 「オレは最近の若い女の子の化粧見てて思うんだけどね。なんだかあるひとつの鋳型にはめこもうとして、ほとんど力づくで顔に上書きするように化粧してる子って多くない?」 「はやりのモデル顔に強引に近づけようとしているってことですか」 「うん、あれも欠点塗りつぶそうとして、自分自身を塗りつぶしてしまっている。みじめなピエロみたいな顔になっちゃっているよね」 「お、けっこう辛口」 「なんだかね、添削って化粧に似ているかもしれないと思うんだ。たとえばね、お化粧のプロっているでしょう。メイクアップ・アーティストっていうのかな。その人が女性の化粧を見て、えっとこのアイラインはこうして、鼻の脇はこうして、唇はこうやってとお化粧してあげるのが、欠点を直す添削だよね」 「ええ」 「それ見て、みちがえるようにきれいになったとする。どう、うれしいかな」 「そりゃあ、うれしいですよー。ちょーうれしい」 「うん、小論の添削でもそういう人いるんだ。欠点びしびし指摘されて、修正プランを示されて、感激しちゃって「ありがとうございましたー」って感激しながら帰っていく人」 「私も絶対そうですね。」 「次の日大事なデートがあったりしたら、なおさらだよね」 「えー、そりゃー、もう」 「でもさ」 「なんですか」 「その日うちに帰って顔は洗わないのかな」 「……」 「当然、顔洗ってメイク落とすんでしょ。そして、すっぴんで寝て、次の日の朝起きて、化粧するわけだ、自分で。」 「ええ」 「同じようにやれるかな」 「たぶんむりですね。でも少しは参考にしてうまく化粧できるかもしれない」 「部分的にはね。でも全体のバランスまで復元できるだろうか。おそらくむりじゃないかな」 「そーですね。できたら人にやってもらうよりも、自分でなんとかやってみて、それをそばからアドバイスしてもらったほうが、次の日には役立つかもしれませんね」 「うん、代わりにやってあげるよりは、まだ当人に直させて、それに対してアドバイスしたほうがましだね。でもね、オレはそういうやり方でもまだ不満なんだ」 「じゃあ、どういう添削をするんですか」 「指導するときにね、その人の可能性をかなり深いところまで見きわめるわけ。そして、ここをこういう感じで伸ばすと、こんな文章になるけど、それってどうかな、って聞く。ああ、それっていいですねって答える。じゃあ、ここどうするって聞いてみる。ああ、そこはこんな感じにするといいんじゃないかな。どうでしょう。うん、それいいね、という感じで対話が続く。指導が終わって帰りながら、その生徒は今まで自分で気づかなかったけど、私ってけっこういけてるかもしれないなーって思う。」 「ええ」 「少なくとも自分のアピールすべき部分だけは具体的にイメージできるようになる。それさえわかれば、そこを中心にメークすればいいわけでしょ。それにそういうアピールする部分って、メークしなくてももともときれいなところだから、化粧は全体的に薄くなるんじゃないかと思うんだ。そして、うきうきしながら寝床につく。明くる朝、起きる。鏡を見ると、少しだけ顔が輝いている。自分に少し自信がでてきたんだね。あれ、私って化粧しなくてもけっこういけるんじゃん、という気がしてくる。そして、長所をアピールするように少しだけ化粧して外へ出る。昨日の私のアドバイスなんかすっかり忘れている。残っているのは自分の可能性への自信だけ。昨日、添削受けにいったけど、なにいわれちゃったか、ほとんど忘れちゃった。あいつ、あんまりたいしたこといわなかった気がするな。でも、なんだか今日は気分がいいやって思う。待ち合わせの場所に行く。彼氏『あれ、今日なんかきれいじゃない』。やったー。これでいいんじゃないかな。」 「後は勝手にきれいになるわけですね」 「もうオレは必要なくなる。彼氏がかわりに添削者になってくれるからね」 「なるほど。なんだか添削の話からずいぶん広がってきますね」 添削の本質は、「矯正」ではなく、「共生」にあるというお話でした。 添削、それは私にとって、ささやかだけれど役に立つ、大切な仕事の一部分なのです。 [文章論]カテゴリの最新記事
「論文の書き方」という本は山のようにありますが、「添削のやりかた」という概念は初めてでした。添削にも、人それぞれの個性があるのでしょうね。
「校正」のように機械的なものではないので、ひとつの論文を、数人の人がどのように添削するか。実現したら面白いでしょうね。(2006.06.29 19:08:27)
ごめんなさい。受験生の子を二人も持つ母としては大いに気になるテーマでしたが、長すぎて読めませんでした。今度ポイントだけまとめて書いてくださいな。私は学費の助けになるかとパートに出たので、なおのこと長いものは読めなくなりました。よろしくね!!!(2006.06.29 20:29:53)
ももさんへ
私は添削をかれこれ20年近くやっていますが、いまだにまったく飽きるということがありません。性格的には人一倍飽き性なんですけどね。それだけ奥が深いということはいえると思います。その喜びを喩えれば、おそらくは種から発芽した双葉にそっと水を注ぐ愉しみだといえるでしょうか。わかってもらえるといいのですが。(2006.06.29 22:19:32)
つっこみの母さんへ
あちゃー、そろそろ来る頃だと思ってたら、やっぱり来ましたか。昔、フランスの詩人ルナールはいいました。「蛇 長すぎる」と。パートでお疲れのお母様のためにあえて蛮勇をふるうことにしましょう。「受験生の可能性を伸ばすためには、欠点を取り除くのではなく、長所を的確に見きわめ、そこをことばにして伝えましょう」ーー要点はそういうことです。これは実は我が子にはとてもむずかしいことだとは思いますが、欠点を指摘するのは誰にもできるんですが、長所を的確に指摘するってむずかしいんですよね。そして、その難しいことにチャレンジすると、なぜか子供はそれに応えて自分の可能性をぐっと伸ばしてくれるものなんです。これが私の長年の受験生指導から学んだことです。子供さんにもよろしくお伝え下さい。お母さん、がんばれー。(2006.06.29 22:26:44)
息子の長所も短所もみんな好きなのです。ただ大人になるのに四苦八苦してるのを見てると辛いなあと思っているだけです。高校もいけなかったのに一人で大学に行くと決めて力もないのに、力んでるのが痛々しいけど、黙ってみてるのが親として出来ることだと思ってじっと待っているのが我が家の現状です。でも私の大好きな息子ですから世間さまにもそのうち受け入れてもらえると思っています。人より大人になるのに時間がかかるだけで、どうしてこんなに心が落ち着かなく生きていくことになるのでしょうね。添削は見ぬ人との愛情の交換でしょう。すべての生徒を信じてその力を引き出すべく頑張ってくださいませ。
29日付のブログとも関連しますがあなたが書きたくて書いていらっしゃるのなら、それでもう充分ではありませんか。あなたのブログで「あ、やっぱり!」と思ったり、「いい事聞いた」と思う人間もいるのですから、やりたいように書きたいように。これからも楽しみに見ています。長くなってごめんなさい。(2006.06.29 23:15:23)
つっこみの母さんへ
そうですか。実は私が初めて受け持った授業は大検を受験するクラスで、生徒のほとんどが高校を中退した後、大検を取得して大学進学を志していました。そこで15年近く現代文や小論文を教えました。そして、私の「添削の思想」を育んでくれたのは、まさに彼ら彼女らだったのです。私にとって彼ら彼女らこそ最良の教師でした。自分なりに彼らの気持ちはわかるつもりですし、ずいぶん話もしてきました。何かお役に立てることがあったら声をかけてくださいね。息子さんはお母さんの愛情をたっぷりと注がれていますから、きっと大きな人間に成長されることでしょう。陰ながら応援しております。(2006.06.29 23:33:37)
ああ、いい感じですね、M17星雲さん。
こういう風に考えられるっていいなぁ、好きですよ。 あなたは若いのに(いや、年齢は関係ないか)実に物事が分かっている。 こんな事はM17星雲さんに向かって言うセリフじゃないのですが ホント、私は感心させられることが多いいんですよ。 お化粧は以前は興味がありましたよ、これでも。 「ちょっとしたコツ」なんていう番組があれば即スイッチオンで。 でも、あれこれ補正して仕上がった顔は確かに垢抜けて見えるんですが、 何だかその人らしい素朴さが失われるようで、段々と「いじるのやーめた」となりました。 パッとしないような物足りないようなお化粧、それが今の私の好みです。 ちょっと関係ない話になってしまいましたね。(2006.11.19 09:00:10)
ジュンさんへ
これは本職の話なので、すこしわかりづらかったかもしれません。でもここに書いた考えは基本的には今でも変わっていません。相手の悪いところを矯正しようという発想と、相手を一人の人間として尊重しようとする姿勢は共存することがむずかしいのではないかというのが私個人の実感です。(2006.11.20 20:22:43) │<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |
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