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M17星雲の光と影

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M17星雲の活動記録

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2006.06.29 楽天プロフィール Add to Google XML

他者とはなにか
[ その他 ]    

岩田靖夫『よく生きる』(ちくま新書)に目を通す。仕事がらみの乱暴な斜め読みなので、感想を記すのは気がひけるのだが、部分的に印象に残る記述があったので、心覚えのために書きとどめる。

人間の理性はどこにあるか。そう聞かれれば、誰でも自分のこめかみのあたりを指さして「ここ」というだろう。脳は理性のすみかであり、その脳はひとりひとりの個人の頭部に内蔵されている。

世界を認識するのは理性である。その理性は個人に属する。だから、「オレ様ひとりの脳みそがこの世界を認識しているのだ」という考えに人は陥りやすい。これを「独我論」という。

以上は、私の勝手な前置きです。ここからが岩田先生の文章のリライトになります。

岩田氏はレヴィナスの思想を紹介しながらこう述べる。レヴィナスのいう「無神論」は、理性の哲学、認識の哲学の必然的な帰結である。ここでいう「無神論」とは、「自我が世界をすべて認識し、認識することによってそれを自分の中に取り込んで支配してしまう」、そういう哲学である。これを哲学用語で「ソリプリシズム」という。

「ソルス(solus)」とはラテン語で「自分一人」を意味する。だから「ソリプリシズム」とは、「自分一人主義」ということになる。すべては自分一人だけ、世界も自分の世界。何もかも全部自分が一人で支えている。

こういう考え方を理屈で打ち破るのは困難である。私がこういうふうに見ているから世界はこう見えるのであり、こういうふうに生きたいから、こう生きるんだ、なにか文句があるかといわれれば、反論がきわめてむずかしい。たしかに理性は脳の活動の所産であり、その脳の所有者は個人である。ここからは理性万能、個人万能の考え方が生まれてくる。それのどこがいけないんだといわれると、「えーと、とくにいけないというわけではないです、はい」といわざるをえない。

だが、この「ソリプリシズム」は成り立たない、と岩田氏はいう。なぜ成り立たないのか。それは「他者」が存在するからだ。「他者」がいなければ「自分一人主義」をどこまでも貫徹することは可能だ。ただ、他者が目の前に立ちはだかることで、私のソリプリシズムは挫折する。それにもかかわらず、「自分一人主義」を存続させようとすると、他者を抹殺するしか方法がなくなる。20世紀にさまざまな形で行われてきた大量虐殺はその論理の実践だ、というのである。

暴君が「俺のいうことを聞かないと財産を没収するぞ」という。
哲学者はこういう。「どうぞ没収してください」
「拷問にかけるぞ、手を切り落とすぞ」
「では、手を切り落としてください」
「おまえを殺すぞ」
「殺したければ殺しなさい」

たとえ暴君が哲学者を殺したとしても、彼は相手を屈服させたといえるのか。哲学者は死の直前にこういう。

「私の財産とか私の体とかそういうものは私ではない。私は私の心、私の意思なのだ。いくらあなたが脅迫して力で脅しても、私の意思は最後まで否と言う。私の体があなたに首を切られて死ぬだけだ」と。

つまり他者は絶対に征服されえないというわけである。個人のエゴイズムがどれほど強力であったとしても、他者はそれを否定する力をもっている。どうしても自己の中に取り込むことのできないもの、それが「他者」である。

他者とは認識できないもの、あるいは認識できると思ってはならないものである。――そう考えるべきだと彼はいう。

すると、そのような他者とどのようにつきあったらいいのか。ここでレヴィナスは他者との関わり方について、「デジール」という言葉を使う。「デジール」とは通常「欲望」と訳されてきたが、実は「憧れ」「希望」「欣求」「願望」あるいは「祈り」と訳すべきである。

理解するということはある意味では同化するということである。食べ物を口に入れ、咀嚼し、消化し、自らの肉体に同化させる。人間はそのようにして外界のものを次々と自らの肉体の一部に取り入れ、その結果として野放図に肥大化してきた。でも、「他者」に対しては理解も認識もできない以上、それを同化することはできない。ではどうするか。この問いに対してレヴィナスは、「他者に憧れの気持ちをもちなさい」、「他者のために祈りなさい」――そういうのである。

この部分はとても印象的である。ねじれをもうひとねじりした結果、不思議なことに、まっすぐなラインが生まれてきている。そういう感触がある。他者とは理解不可能なものだという定義がまずひとねじりしてあり、さらに理解できないものなら否定してしまえ、といいそうなところを、もうひとひねりして、理解できないなら憧れなさい、という。そこには意外にも素朴で敬虔な祈りの気持ちが生まれている。

他者が自分のなかに取り入れられないものならば、自分から他者のほうへ歩いていくしかない。しかし、定義上、どこまで近づいてもついに他者へたどりつくことはできない。だからこそ、他者への関係のあり方は、憧れであり、祈りであり、希望であるしかないというのである。

他者から奪いとることができないならば、自分のものを相手に捧げるしかないとレヴィナスはいう。

それが唯一の他者との関わり方である、と。

他者に対する私の態度が憧れでしかありえないとしたら、その時、私は他者に一方的に善意を捧げるしかない。そして、その善意を捧げるときには、決してお返しを要求してはいけない。なぜなら、お返しを要求することは、他者を自分の中に取り込もうという態度を意味するからだ。それもまたエゴイズムの一つの形態にすぎない。

そのお返しは結局、自分自身を肥大させようという欲求のあらわれであり、それは形を変えたエゴイズムにすぎないというのである。

もしも私の善意に他者が応答してくれたとしたら、それはとてもうれしいこと、いちばんうれしいことになる。どうしても自分が支配できないものが、向こうから手を差しのべ、好意を向けてくれる。これはほとんど「奇蹟」である。

自分が支配できるものが応答したとしても、それはロボットが操作に従って反応するのと同じで何もうれしくない。絶対に支配できないものが自分に好意を向けてくれたからこそ限りないよろこびがそこから生まれる。

他者から見返りをもとめない。だからこそ他者からの応答、好意は奇蹟と感じられる。

この部分が私のこころに深くしみとおる。私のこころを深く貫く。

ここでいう他者とは畏敬の対象であり、愛の対象である。もしもそれらから返答があり、応答があるとしたら、それは奇蹟である。

奇蹟に対する私たちの正しい反応は、驚きであり、賛嘆であり、歓喜であるべきだ。奇蹟が起こらないからといって不平や不満や恨みを抱くとすれば、それは相手を「他者」ではなく、自らの従属物ととらえていることになる。


このブログを始めた時に、こう思った。ここで文章を書き、それを発信したとして、この文章を読んでくれる人がはたしてこの世の中にいるのだろうか。どうやってそういう読み手をさぐりあてればいいのだろうかと。そして、途方に暮れた。

私は無名の存在である。その私がひそかに電子の網の目の中に放ったメッセージを、誰が、どうやって受信してくれるというのか。状況はほとんど絶望的である。

たしかに文章を発信すれば何人かが受信したという記録は残る。しかし、そこにどうしても作為を感じないわけにはいかなかった。自分のブログのアクセス数を稼ぐため、ブログに掲載した広告で金儲けをするため、あるいは管理者がブログをやめさせないため、そういう目的でなされる、あるいは記録されるアクセスがほとんどのように思えた。自分の文章が誰かにたしかに読まれているという感触を感じとることがどうしてもできなかった。

その時、私は他者の存在を意識することができていなかったことになる。私は自分の力で私の望む読み手を探すしかないと思った。そうしなければ永遠に私の期待する読者に出会うことはないだろう。

自分の愛読するブログにトラックバックを張るという方法しか私には思いつけなかった。でも自分で毎日チェックするブログはただひとつしかない。

これだけではどうにもたよりない。その時、自発的に文章を書いてみようと思い立ったきっかけが村上春樹作品に対する感想であったことを思い出した。私は彼に関連するブログを検索し、いちばん好感のもてる風通しのよいブログにトラックバックを張らせてもらった。

自分の文章の読み手を探すにはあまりにも頼りないかぼそくかよわい糸である。二つのトラックバックと自分の文章、それだけで私の望む読者に出会うことができるのだろうか。でも、現実的な可能性をあれこれと推測するよりも、その時の私にとってはともかく発信することが大事だった。自分の頭のなかから絞り出した文章をどこかのだれかに対して一方的に捧げることしかできることはなかった。それはある意味では「憧れ」であったかもしれない。「希望」であり、「願望」であったかもしれない。僭越な言い方ではあるけれども、「誰かに私を発見してほしい」――そういう願いがそこにはこめられていたように思う。私はその時、「他者」を探していたのだ。

そして、今、私は「他者からの応答」という奇蹟を経験している。奇蹟は待ち望んで起こるほど頻度の高いものではないが、それを信じない人間のもとに偶然に訪れることはけっしてない。

他者は私の認識を超えた存在であるということ、他者に見返りを要求してはならないということ、他者を支配しようと思ってはならないということ、他者からの応答という奇蹟を信じ、その奇蹟への大いなるよろこびの気持ちを忘れないこと。

それらをこれからの生の指針としたいと私はあらためて思うのである。











Last updated  2006.06.29 22:08:42
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待つこと   akikoさん


Re:待つこと(06/29)   M17星雲の光と影さん


静かに心打たれました。   yutaさん


Re:静かに心打たれました。(06/29)   M17星雲の光と影さん


「やれやれ」   freedomさん

村上春樹氏の作品に影響されてblogを始められたとのことですが、管理人さんの文章と彼の作品における単語の使い方や文章のタッチが似ているような気がしていました。彼の作品はSFファンタジーでこのblogではエッセイといったカテゴリーの違いこそありますが自己の感情を吐露していく過程を切々とつづっていくあたりが何となく似ているかなあと。

私は彼の作品の全てを読んだわけではないのであくまで個人的な感想としてですが、彼はデビュー作「風の歌を聴け」から既に村上ワールドを確立しておりその後一環してその手法を踏襲し、現在もそのままその路線を維持しているように思うのですが、これは凄いことだと思います。なぜこんなことが可能だったかを考えると、彼はジョンアービングの訳本を出しているあたりを察するとおそらく彼のファンだと思いますが、そのこともあってか作風が似ていますね。ジョンアービングの作品に接する時間が長くなるにつれ彼の作品への思い入れを深くし意識的か無意識的かはともかく作風に大きな影響をうけた。そのためためデビュー作から既に「既に確立されていたジョンアービング手法をベースにした」村上ワールドを確立していたのかなあと思ったりします。
「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。」(村上春樹風に)なんて言われそうですが・・・

ところで管理人さんは村上作品ではどれがお気に入りですか?
私は昔の作品はあまり覚えていないのですが一番印象に残っているのは「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」です。しかし世間ではあまりこの作品の評判はよくないようですが・・・。
「やれやれ」(村上春樹風に)
(2006.07.01 12:14:46)

Re:「やれやれ」(06/29)   M17星雲の光と影さん

freedomさんへ

尊敬する村上氏に文章が似ているなどといわれると顔から火が出ます。おそらくは月とすっぽんの足にできた「まめ」ぐらいちがっているのではないでしょうか。私が彼の作品を読むようになったのはわずかこの二年弱にすぎません。それ以前にも文章を読んだり、書いたりはしていますし、いい年ぶっこいてますので、彼の文章に影響を受けたかどうかは定かではないですね。私が彼から学んだことがあるとすれば、ずいぶん以前にブログにも書きましたが、「文章のタフネスさ」です。「下手くそならなんどでも書き直せばいいじゃないか」ということです。四の五の泣き言いう前に、いったん文章を書くと決めたなら、こりこり書いてなんどでも書き直せよ。そうすれば、そのうち少しはましになる(おそらく)。そういうメッセージを彼の文章から感じとりました。それだけはできるだけ実行するように心がけています。

好きな作品ですか。個人的に最初に読んだのが「ダンス・ダンス・ダンス」だったこともあり、これは大好きですね。ご本人はあまり気に入られていないようですが。この作品の冒頭の数行を読んだときには体に電流が走りました。すばらしい文章だと思います。短篇では「螢」、「午後の最後の芝生」、「沈黙」、「ファミリー・アフェア」、「蜂蜜パイ」、「5月の海岸線」、「八番目の男」などをとくに好みます。では。では。
(2006.07.01 18:44:41)

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