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中田英寿選手の引退メッセージを読む。
彼のHPを見るのはこれが初めてである。一読して、これほど整った文章の書き手だったのかということに少なからぬ驚きを覚えた。 この文章の書き手は「音」や「響き」を意識しながら文章を書いている。文字や単語の数、文章のバランス、センテンスとセンテンスの間の間合いや呼吸に無神経な人間はこのような文章を書くことができない。 きわめて強い意志力とある種の強固な美意識の持ち主であることが文章の端々からうかがえる。 もちろんこの文章にまったく問題がないわけではない。「思わず使いたくなる便利なことば」に対してもう少し自制心を働かせることができれば、彼は自分の内面にさらに一歩近づくことばを手にすることができただろう。 ほんの少しだけヒロイックな言い回しを好み、その言い回しに時に耽溺する傾向があるようにも思える(「おい、おい、それをお前に言われたくないよな」って声がどこからかかすかに聞こえてくるな。空耳かな。) ただ、この文章を読んで一番印象に残るのは、彼が何十回となく推敲を重ねた末に、本文をアップロードしているということだ。ほとんど疵が見あたらず、リズムの崩れや言い回しのほつれがない。これは何十回と推敲に推敲を重ねない限り、実現することのできないものである。 もちろん文章を書く経験を積めば、ほとんど「一発録り」で疵のない文章を書くことはできる。しかし、そのようにして書かれた文章には、もっと躍動感というか、ライブのノリに近い臨場感が伴うものである。 この文章からはそういう「ナマな」息づかいや鼓動を感じとることができない。いろいろな箇所を慎重に、かつ丁寧にハサミで切りそろえたような細かな細工・手入れの跡を私は感じる。 少し意地悪な言い方をすれば、彼は完成度を優先して、文章の「のびやかさ」を犠牲にしている。そういってもいいかもしれない。 しかし、文章のプロでもない人間が、自ら書いた文章を何十回も読み返して推敲できるかというと、これは至難の技である。 おそらくそれは私のようなサッカーのど素人が何百回もリフティングをするよりもはるかにむずかしい作業だと思う。 この一事をもってしても、彼が並はずれた集中力と、自らの文章表現に対する熱意の持ち主であるということは十分に推測できる。 そういえば、去年の今頃、ある国立大学を目指す海外からの帰国生に小論文を教えたことがある。毎年恒例の授業で、三日間の集中講義である。生徒は例年15名ほどだったが、その年はやや人数が少なく、9名だった。生徒の志望学部を見ると、その年には顕著な傾向があった。とにかく体育学部志望が多かったのである。その大学は国立でありながら、スポーツ医学その他の研究でも有名であり、トップクラスのアスリートが入学することでも知られている。 当然のことながら、彼らは体育的実践に日々いそしんでおり、「小論文」などという辛気くさい作業に時間を割く余裕はほとんどない。 小論文を書くのははじめてという生徒が大半である。だから、なるべく人間性をストレートに嫌味なく示す素朴な文章を書くようにと指導する。三日間ではそれくらいが限度である。 最初の時間、そのクラスに入る。9名だから、すぐに顔も名前も覚えられる。私は型通りの小論文入門講座を始める。話し始めてしばらくすると、いつもとは少し違う感触を感じる。こちらの調子はいつも通りなのだが、何か生徒の反応のなかに例年とは違う微妙な違和感を感じる。いったいこれはなんだろう。 しばらく授業を続けているうちにその原因がわかる。一番うしろの席に座っている色の浅黒いいかにもスポーツマンという感じの凛々しい青年がその違和感の発信源だ。しかし、彼がことさら変わった反応をしているわけではない。彼はきちんと背を伸ばしてこちらに正対し、私の話をワンフレーズごとにしっかりと聞き取り、理解しようと努めている。まったく模範的な生徒というべき態度である。しかし、その聞き取りの集中力とすなおさがはんぱではない。 まるでアメリカ製の強力な吸引力をもった大型の電気掃除機で、私のアドバイスが口から出された途端に、あっという間に吸い取られているような気がする。彼はときおり手を挙げて、簡潔な質問をする。私はその問いに簡潔、的確に答える。その答えはまた彼の脳髄に瞬時のうちに吸い込まれる。ちょうど乾ききった地面の上にそそがれたコップの水のように、それはあっという間に吸収されてしまう。 私は緊張した。もしここで誤ったアドバイスをすれば、彼はその誤りまで完璧に吸い取ってしまう。こういう緊張感を強いる生徒はめったにいるものではない。私は慎重に、慎重に、と自分に言い聞かせながら授業を続ける。 この授業では都合三枚の小論文を書かせる。そして、すべて私が自分で添削を行う。一枚目、彼の小論文はまるで作文だった。私は小論文と作文の原理的な違いを彼に教える。彼は瞬時にしてその意味を理解する。二日目に彼が書いた文章は、紛れもなく小論文になっていた。しかし、全体の構成に難があった。一枚目はC評価、二枚目はB評価。私は彼に構成の要諦を教えた。彼はそのことばを例の高性能の吸引ホースでしっかり吸い取った。三日目、彼の書いた文章はA評価。ほとんど完璧な文章になっていた。 「あのねー、こんなに短期間に文章が変わるってことはふつうありえないんだよ。いったいどうなってるの」と私は思い、「君は体育学部志望らしいけど、運動は何やってたの」と聞いてみた。 「サッカーっす」 「でも、ふつうの選手じゃないよね、たぶん。これはオレの勘なんだけど」 「はあ、一応全日本のユースのレギュラーっす」 なるほどね。トップアスリートというのはこういう能力をもっているのか。自分にプラスになるアドバイスのできる人間を瞬時に見きわめ、おそろしい集中力でそのアドバイスを貪欲に吸収し、即座に実行する。しかし、たいへんなものである。 「先生、あと何か気をつけたほうがいいことってありますか?」 「ああ、とりあえず毎日ちゃんと食べて、よく寝ること。それさえ実行すれば、まちがいなく合格するから」 「ありがとうございますっ」 彼は5月の空のような笑顔を見せてぺこりと頭を下げた。 当然のように彼はその大学に合格した。例年2~3名の合格者しか出ないその授業では、出席者9名のうち、なんと6名が合格してしまった。彼の貪欲な吸収力が私の潜在的な能力まで通常レベル以上に発揮させてしまったようである。しかし、すさまじい男だったな、あいつ。 中田選手の文章を読んで、去年のその生徒のことを思いだした。あのレベルの人間にとっては、もはや「あたま」とか「からだ」とかいう区別すらたいした意味をもたなくなってしまう。自分にプラスになるものを吸い取る力の強さにおいて、常人をはるかに凌駕する人間というものがこの世にはたしかに存在するのである。 しかし、僭越ながら、中田選手に一言だけアドバイスをするとしたら、私はこう言いたい。 「あなたは実にすばらしい文章を書く。すみずみまでよく考え抜き、自分のこころの核心を把握し、それを伝えるという強い意志をもって、文章を書いている。それは実にすばらしいことだ。しかも、いったん書き終わっても、けっして自分の文章に溺れることなく、全体のリズム、トーン、ボイス、バランスに考慮して、徹底的な推敲を行っている。もちろんこの文章がある意味では「歴史的な文書」になるという自覚もあってのことではあると思うけれども、ここまでの完成度の高い文章を綴ることができるということはまぎれもなくすばらしいことであると私は思う。」 「でもね、中田さん。この文章をプロの添削屋が読むと、少しだけ息がつまる。少しだけ息苦しくなる。素朴な感想としてそれだけはいっておきたい。おそらくあなたは何か行動を起こそうとするとき、まず息を「すっ」と吸ってから始動する癖があるのではないだろうか。走り始めるとき、言葉を紡ごうとするとき、重大な決意をするとき、大事なメッセージをチームメイトに伝えようとするとき、あなたはその直前に息を吸う癖をもってはいないだろうか。」 「おそらくはその癖が、あなたのことばを聞く人間を少しだけ息苦しくしてしまうのだ。それがおそらくはあなたのいうコミュニケーションの問題につながるのだと思う。息を吸うことは緊張を強いることであり、その緊張のもとにことばを発することは、そのことばの担うメッセージ以前に、相手に緊張を強いる結果になってしまうのだ。だから、中田さん、あなたに対する私の唯一のアドバイスは、何かを始める直前にいったん肺の中にある空気をゆっくりと吐ききって、吐きおわった後、自然に息を吸い込んでから、行動を開始すること。それだけです。息を吐いて、いったん体をゆるめて自然体で次の行動を開始すること。おそらく、いままでのあなたはそういう余裕をもつことすら許されないほど過酷な環境で生きてきたのでしょう。それがあなたの文章の端々から痛いほど感じとれます。でも、もうそんなに無理に息を詰めてがんばる必要はないのですよ。ゆったりと息を吐いて、次に何をしようかをのんびりと考えればいいのです。あなたの文章を読んで、私のできるアドバイスはただそれだけです。」 中田選手、おつかれさまでした。ゆっくりやすんで息を吐き切り、体の緊張をゆるめてください。そこから自然に次のメッセージがあなたの口から出てくるはずです。そして、そのことばはいまよりももっとしなやかでのびのある輝かしい文章になっていると私は思います。 周囲の雑音など気にせず、ゆっくりと息を吐ききること。 私のアドバイスは以上です。
こんにちは、プロの方は中田選手の文章をそう読むんですね。文はひとなりってこういうことなんでしょうか。
内田樹先生のブログにトラック・バックされていたのは中田選手に足りないのは『乙女心』だよ、というメッセージですか、ちょっと気になります。(2006.07.05 22:55:25)
鋭い見解、興味深く拝読いたしました。
そして、彼のある意味での緊張度について 私も同じ事を考えていたので、感慨深い思いがします。 彼の美意識と繊細さがよりよい方向に進んで、 仰る様にゆっくりと息を吐ききることを覚えられたら、更に素敵な人になる事でしょうね** (2006.07.06 05:18:43)
バカヤマびとさんへ
なかなか鋭い勘ですね。でも残念ながら平山選手ではありません。彼の顔ならば私でも知っていますから。内田先生のブログへのトラックバックの意味は「世界観も宗教も感受性も身体感覚も、まるで違う人のものを読んで」感想を述べたというあたりで、あんまり関係ないですね。私見では中田選手は十分「乙女心」の持ち主だと思います。むしろそれがわからない人のこころがよく「わからない」ことがひょっとしたら問題だったのかもしれないですね。(2006.07.06 06:22:03)
ロミオMさんへ
ありがとうございます。生まれてはじめてブログにサッカー選手のことを書いたので、見当はずれのことを書いてるんじゃないかと少し不安だったんです。一人でも共感してくださる方がいて、ほっとしました。でも私は思うのですが、彼の感じている緊張感は、彼自身の問題というよりも、むしろ日本社会の問題なんですよね。彼の表情や行動やことばに映し出されている日本社会の問題をこそ、われわれは考えるべきなのではないかという気がしています。(2006.07.06 06:29:47)
中田が尊敬に値するサッカー選手であることは、あまりというかまったくサッカーに興味のない私でもなんとなくわかるのですが、M17さんと同様に初めてアクセスした彼のHPの引退メッセージは、M17さんとは違ってあまりピンときませんでした。
もっと刺激的で挑発的な文章(しかも下品でない)を書くと勝手に思っていたのです。なんだか、結構まともなことばかり書いている感じで、「つまらんっ」と大滝秀治の口調で言いたくなってしまう印象でした。 おっしゃるように、息を吐ききって少しリラックスした後はもっといい文章を書ける人なのだろうと思います。頭のいい人であることは間違いないのですから。 むしろ、M17さんのこの文章のほうがうまいな-人の心を騒がす-と思いました。 (2006.07.06 18:03:15)
arrさん
どうも。人の心を騒がす、ですか。ほめてもらってるんですよね。すなおによろこぶことにします。 たしかに中田選手の文章には、arrさんのおっしゃるような側面もあるとは思います。ただそれは彼があまりにも見当はずれの誤解と批判の中に長い間身を置いていたためにやむをえず身についてしまった「構え」のようなものではないかとも思うんです。 おそらくは取材している記者よりも文章の感覚は上だったでしょうね。それが彼の不幸の始まりだったのかもしれませんが。(2006.07.06 18:45:53)
体よくまとまっているだけの、人の心を騒がすところのない文章など読みたくはないですから、もちろん、ほめ言葉です。
ただ、疲れ気味の日に味わって読むにはちと長いかなという気が、個人的にはすることがあります(^^)。楽しませてもらっているくせに、勝手なことを言ってすみません。(2006.07.06 23:09:00)
どんな名文を書いても、人はいろいろ言うものですね。ここで大切なのは「中田は書きつつ、サッカーと決別した」ということでしょうね。未練も傷も全部、ふっ切った。
文章とは、自分のために書くもの、という見本だと思いました。(2006.07.07 08:58:51)
単にトラフィックがほしかっただけだって正直に言えばいいのに。別にアフィリエイトやってるわけじゃなし、そんなところで格好つけるなよ。文章そのものは素人にしてはレベル高いし、たくさんの人に読んでもらいたくなる気持ちもわかる。
だから有名ブログにとりあえずトラックバックしてるんですって堂々と言えばいい。(2006.07.07 17:35:47)
ももさんへ
中田選手の引退コメントの受けとめ方がさまざまなんだなということをあらためて感じます。「自分の思いを率直に述べてるんだから、そっとしておけよ」という意見もあると思います。私には彼のコメントが自分の本当の理解者、自分の支えとなってくれた人々に対するメッセージに思えたんです。むしろ「自分のため」ではなく「彼らのために」書いているのではないかと。その使命感や責任感の強さは尊いものだと思いますが、それにあんまり縛られなくてもいいんじゃないかな、と少し感じました。それが私の率直な感想です。ありがとうございます。(2006.07.07 18:56:38)
arrさんへ
しかし、考えてみると私の文章に対する「心を騒がす」という評言はなかなか的確かもしれませんね。少なくとも安定とか自足とか成熟などというものとは無縁ですし、書いてる当人のこころの中もざわざわとかなり騒がしいので、いいところを突かれたかもしれません。おそらくはご指摘の「文章の長さ」と「心騒がす」ということも不可分に結びついているように思います。私は読み手に無用な負担を強いる「わかりにくさ」は極力排除しようとは思いますが、読んでいただく方に「快適な読みやすさ」を提供しようとは思っておりません。自分でもよくわかっていない領域に触手を伸ばすために文章を書いていますので、これからもいままでのようなスタイルで(当分は)書いていくと思います。内田樹先生が以前ブログに「私が難解な書き方をするのは、読者を信用しているからだ」という意味のことを書かれたことがありますが、私が長く書くのも「読み手を信用しているから」だと考えていただけるとありがたく思います。(2006.07.07 18:59:57)
それもありだけどなさんへ
なるほど、意外なところを気になさる方がいるんですね。意表をつかれました。「格好つけている」、たしかにおっしゃるとおりかもしれません。「格好をつけない率直さ」と「格好をつけた偽善」のどちらを選ぶかといわれたら、私は後者を選びますので。 (2006.07.07 19:22:36)
いつもご丁寧にお返事いただき、ありがとうごさいます。
この中田のコメントに関しては、誤解があると思うのです。あれは真のファンにたいする心の打ち明け話だと思います。 公式見解、プレスリリースなら、もっと簡潔になるでしょう。 彼はあの文章を書きつつ、涙を流したでしょう。さまざまな人の顔が浮かんだことでしょう。それでも 「冷静で論理的である」のが、人情や機微の好きな日本人に理解されない不幸でしょうね。 というのは、あくまで私の考えです。 ともかくひとつの文章で、これだけいろんなことが考えられること事態が、名文の証拠ですね。 もし、失礼があったら、お許しください。(2006.07.07 21:43:10)
ももさんへ
いやいや失礼なんてとんでもない。私のほうこそコメントの読みが甘かったですね。反省しております。 >「冷静で論理的である」のが、人情や機微の好きな日本人に理解されない不幸でしょうね。 この部分、私もまったく同感です。だからこそ、彼のコメントを読んで身につまされたんです。 >ともかくひとつの文章で、これだけいろんなことが考えられること自体が、名文の証拠ですね。 ほんとうにそうです。と同時に私はこんなに鋭くて表現力の豊かな読み手に恵まれているんだな、ということにも気づかされました。(2006.07.07 21:53:32)
>私見では中田選手は十分「乙女心」の持ち主だと思います。
>むしろそれがわからない人のこころがよく「わからない」ことがひょっとしたら問題だったのかもしれないですね。 なるほど、わたしは中田さんのあのコワモテをみて知らず知らずのうちに偏見をもっていたのかもしれません。 いわれてみれば確かに、そんな気がしてきました。(2006.07.08 21:11:21)
バカヤマびとさんへ
私は彼の個人的なことはよく知らないのでたしかなことはいえないんですが、一般的にコワモテのマスクをべりべりと引き剥がしてみると、その中からはセンシティブな「乙女心」が観察される場合が多いように思います。ハードなマスクは柔らかい中味を守るためにこそ必要なのではないでしょうか。(2006.07.08 21:31:32)
小論文の先生なのですね。 ああ!そうでしたか…、ああ!
中田選手へのアドバイス、すごいですね。 なんか恐いですね。 ビビッてしまいますね、こういうのを拝見すると。 先日は「…良い文章ですね」なんて書いてしまって、なんか馬鹿みたいでした。 恥ずかしかぁ~であります。(2006.10.26 20:54:38)
ジュンさんへ
いえいえ、教師なんてものは、いうことはえらそうですが、往々にして実力が伴わないものなので、おそるるに足らずですよ。まあ、やっと自分の無力さと向き合えるようになったので、こういうブログをやっているというのが、正直なところです。(2006.10.27 08:35:21)
たまたまですが、こちらで中田の引退声明手紙の評論を見ました。完璧な分析です。ほぼ同じ意見ではありましたが、自身における中田の引退問題のけじめが出来ました。娘が帰国子女枠で2年後に大学受験します。私が小論文の指導を担当していますが、指導者として精進に努めます。(2007.11.21 14:45:09)
まことさんへ
ずいぶん以前の文章ですが、読んでいただいてありがとうございます。ひさしぶりに再読しましたが、しかしずいぶん長いですね、文章が。 娘さんの小論指導ですか。実は「身内」に教えるのってとてもむずかしいんですよね。正直、自分では自信がありません。文章を読んで、必ずひとつはほめる、問題点の指摘は1~2箇所にとどめる。「身内」の場合には、とくにこのふたつが大事かもしれません。がんばってくださいね。(2007.11.22 06:22:29)
筆者さんは、はたして中田英寿さんの過去のblogをどの程度の分量読まれたのでしょうか。彼の人柄を少しでも理解しての文章でしょうか。全く、理解が出来ず、筆者さんの文章を読んで怒りが込み上げ書き込みした次第です。
彼が緻密に文章を書くのには理由があります。そのひとつには、彼がプロサッカー選手時代10年もの間、絶えず背負っていた重圧、マスコミから受けつづけた攻撃があると思われます。ゆえに鉄壁のガードで身を守らねば、油断したら家族も巻き添えであっという間に餌食になる、そんな立場の人だったはずです。 引退表明は、彼の人生の中心とまで書いているサッカーを、自らの意志で引退を決意したた、それをきちんとファンに伝えたい、マスコミに婉曲されずに伝えなければ、という想いがあったはず。ピッチて仰向けに涙する男が、ちゃらちゃらと、躍動感!?を持った文章がかけますか。 小論文の教師だか知りませんが、答えのある回答を回答だと見抜けない、書き手の気持ちを理解できといらっしゃらないと思います。モノを書く仕事をする人として、自らの軽薄な文章に恥を知るべきです。(2010.06.29 05:56:11)
ウィリーさんへ
このエントリーの最初の一行に書いているように、この文章を書いた以前に彼のブログはまったく読んでおりません。 彼の置かれた状況については、私もまったく同感です。そういう気持ちでこの文章を書きました。 私はこの文章を通して、中田氏がとにかく自分の文章を徹底的に推敲する姿勢をもっていること、そのことに深い感銘を受けました。文章を書く上で、推敲することがどれほど大事なことであるか、そのことを痛切に感じているからです。失礼ですが、あなたはご自分の文章を何回推敲されましたか。推敲とは最低十回以上、自分の文章をチェックすることを意味します。 私はこの文章を書いた時、中田氏の文章に対して、深い感銘と、わずかながらの危惧を感じました。彼の緊張感に満ちた文章と、徹底的な推敲能力。それは彼のおかれた状況と高い知的能力を示しています。 でも、その時、感じた一抹の不安。それは、この徹底した推敲能力は、何を意味するかということです。 私はそこでテレビのコマーシャルを思い浮かべます。そして、ミュージックビデオを思います。どちらも徹底したマーケティングにもとづき、どうしてそこまでとも思えるほどの細かい編集作業が行われています。 彼が、彼以外の何ものかの広告塔にならないこと、そのことを切に願います。 文章を通して、その人を知ること。そこで必要なことは、徹底的に文章そのものを読むことです。 そこでは、その人の職業や肩書きはまったく意味をもちません。 人を否定する時には、職業や肩書きではなく、その人自身を、借り物ではない、自分自身のことばで、世間的なイメージに力を借りず、百%自分自身の責任において、ノーというべきです。 もちろんその時には徹底的な推敲を行うべきです。 もっと推敲を。そう申し上げます。 (2010.07.04 22:03:41) │<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |
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