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2006.07.10 楽天プロフィール Add to Google XML

漱石「門」を読む
[ 本 ]    

ここ数日、夏目漱石の『門』を読んでいる。いつか読もうと思って本棚に置いておいたのだが、ある日、ぼんやりと本棚を眺めていると、「おい、おい」と向こうから手招きして呼ばれたのである。しばしその意味を考えたのだが、なるほどと思い当たる節もあり、手にとって読むことにした。あと50頁ほどで読み終わるところだが、一言でいうと、すばらしい作品だと思う。なにより文章がみごとだ。漱石の文章はピストル型とでもいおうか、周囲の情景や登場人物の心情の核心を短銃で的確に次々と射抜いてゆくような感触がある。射的場の標的が端からぱたぱたと倒れていくような小気味良い爽快感を感じる。

もちろんその情景や心情は時に暗鬱で混迷を極め、暗闇や深淵がほの見えることも少なくないのだが、そういう部分でも文章が小気味よい呼吸やリズムを失うことはない。「韜晦」ということばとこれほど隔絶した文章もないだろう。表現は簡潔、的確でありながら、豊かな実質に満ち、文末には快い余韻がただよう。漢文の素養を失ってしまったわれわれにはもう身につけるべくもない文章であり、文体である。読み進むにつれて、無性に真似をしたくなる魅力と感染力をもった文章なのだが、物真似をすることすらかなわない自らの表現力の乏しさにため息が出る。彼我の差はそれほど大きいのである。こういう文章を読んでいると、背骨が鮭の中骨の缶詰のようにぐにゃぐにゃぼろぼろになった一部の現代作家の文章なんか読む気がしなくなる。この作品のテーマも現代的で切実だし、あらためて漱石をまとめて読もうかという気が起きてくる。

思えば漱石との出会いは不幸というか、「運」がなかった。中学校に入りたての頃、松本清張の「点と線」を読み、衝撃を受けたことがある。どんな衝撃だったかはあらかた忘れてしまったが、やはり文章の簡潔、的確、かつ雄渾というか強靱というか、その文体の力強さに魅了されたのだと思う。そして、彼の文学上のアイドルが森鴎外であることを知り、鴎外の作品をあれこれと読み囓ることになった。しかし、その時、漱石の門に入るきっかけというか、導きの糸を見つけることはついにできなかった。

もちろん「坊っちゃん」も「吾輩は猫である」も読むことは読んだ。しかし、前者は面白いとは思ったものの、感動したというほどではなかったし、後者はチューボーに理解しろというのが、土台無理な注文である。「細君」ってずいぶん出て来るけど変わった苗字だなと思っていたら、奥さんのことだと知ったという、中学生の頭は所詮、その程度のものである。

しかし、これではいかんと思って、高校の頃、「三四郎」を読んだことがある。これもセレクトがあまり良くなかったようだ。既にいっぱしの口をきくようになっていた小生意気な高校生は「なんだか浅いな、これ」と思って、それ以降の作品を読むのをやめてしまったのである。今考えると不幸なことだった。先年、思い立って「それから」を読んだが、実に面白かった。せめてここまででもたどりついていたら、そこから向こうの世界へ行けたものを、とも思うのだが、まあ、これも運命であり、定めである。高校生の頃、「それから」の何がわかったかと考えると、この年で漱石が初読できることをむしろよろこびと感じるべきなのかもしれない。

さらに今から10年ほど前には「さすがに『こころ』も読んでないのは、いくらなんでもひどいよなあ」と思って、会社の行き帰りの電車の中で読んだことがある。しかし、私ははっきりいってこの作品は買わない。私の目にはどうみても失敗作にしか見えないのだ。作者の作為や意図が表に出すぎてしまっている。「頭」の高さに比べて「手」のほうがちょっとね、という気もする。これなら私は断然「それから」の方を押す。(まだ読み終えていないが、「門」はさらにそれを凌駕している)面白さからいってもこちらの方がはるかに上だと思うのだが、なぜ「こころ」はあれほどに評価が高いのだろうか。いまだに高校の教科書にはほとんどすべてこの作品が掲載されている。そのために漱石を読み損ねてしまっている人も数多い(私もそのひとりだが)のではないだろうか。

『門』は大学時代の友人、安井の恋人御米(およね)を主人公である宗助が奪い、社会に背を向けてひっそりと二人で日々を過ごしているという話である。前半部は、その生活のさまが描写されるが、なぜ彼らがそのような生活を余儀なくされているかという説明はいっさいなされない。作品の半ばを過ぎてから、おもむろにその経緯が述べられるわけだが、その書きぶりはあくまでも簡潔で抑制が効いている。全体の構成としては、裾野から徐々に山の頂上を目指して歩いていき、その頂上近辺で御米の三度の出産の失敗と、過去の経緯が説明される。この構成がうまくいっているかどうかは微妙なところだが、その作品の頂上付近の漱石の筆は冴えわたっていると同時に、本人が自らの描写力に並々ならぬ自信を持っていることがうかがえる。

御米の三度目の出産の失敗、すなわち死産の描写はリアルであり、凄惨ですらある。

「胎児は出る間際まで健康であったのである。けれども臍帯纏絡(さいたいてんらく)と云って、俗に云う胞(えな)を頚へ捲き付けていた。こう云う異常の場合には、固より産婆の腕で切り抜けるより外に仕様のないもので、経験のある婆さんなら、取り上げる時に、旨く頚に掛かった胞を外して引き出す筈であった。」
「しかし、胎児の頚を絡んでいた臍帯は、時たまある如く一重ではなかった。二重に細い咽頭を巻いている胞を、あの細い所を通す時に外し損なったので、小児はぐっと気管を絞められて窒息してしまったのである。」

この描写は凄い。


さらに御米と宗助との出会いの場面。ここはこの作品の白眉でもあろうが、漱石の筆は惜しみに惜しまれており、これが果たして恋愛の描写であろうかというほど水のように清く淡い。しかし、その心情の絡みあいの核心を漱石ははずさない。

御米に関しては容姿の描写がまずほとんど見られない。目鼻立ちも表情も皆目わからない。ただひっそりと影のような女性とのみ書かれている。互いに思いを寄せ合うこころの内も直截的には描かれない。しかし、わずかに書かれたその部分には万感の思いがこもっている。

たとえば、二人が初めてことばを交わす場面。

「宗助はこの三、四分間に取り換わした互の言葉を、いまだに覚えていた。それは只の男が只の女に対して人間たる親しみを表わすために、遣り取りする簡略な言葉に過ぎなかった。形容すれば水の様に浅く淡いものであった。彼は今日まで路傍道上に於て、何かの折に触れて、知らない人を相手に、これ程の挨拶をどの位繰り返して来たか分らなかった。
 宗助は極めて短かいその時の談話を、一々思い浮べるたびに、その一々が、殆んど無着色と云っていい程に、平淡であったことを認めた。そうして、斯く透明な声が、二人の未来を、どうしてああ真赤に、塗り付けたかを不思議に思った。」

恋愛の始まりをこれほど鮮やかに描き出すということが、今日の作家のいったい何人にできるだろうか。激しい恋の多くは実は何気ない世間話から始まるのである。

さらに宗助が御米に心を惹かれていることを暗示する場面。宗助はこれ以前で京都の風流に既に倦んでいた。

「御米は着物の裾を捲くって、長襦袢だけを足袋の上まで牽いて、細い傘を杖にした。山の上から一町も下に見える流れに日が射して、水の底が明らかに遠くから透かされた時、御米は『京都は好い所ね』と云って二人を顧みた。それを一所に眺めた宗助にも、京都は全く好い所の様に思われた。」

御米への恋情の描写はこれだけである。心の内を表すのを極力押さえ、限った分だけ表現に心がこもっている。

しかし、御米の宗助への思いの描写はさらに抑制されたものである。私はこの部分を読んで、ひそかに絶句してしまった。御米の恋人安井は病を得て、転地療養する。御米も当然一緒である。何度誘われてもその地に赴かなかった宗助は病が癒えたという知らせを受け、ついに彼の地を訪れる。そこでの描写である。

「明るい燈火の下に三人が待設けた顔を合わした時、宗助は何よりも先ず病人の色沢(いろつや)の回復して来たことに気が付いた。立つ前よりも却って好い位に見えた。安井自身もそんな心持がすると云って、わざわざ襁衣(シャツ)の袖を捲り上げて、青筋の入った腕を独(ひとり)で撫でていた。御米も嬉しそうに眼を輝かした。宗助にはその活溌な眼遣いが殊に珍しく受取れた。今まで宗助の心に映じた御米は、色と音の撩乱する裏(なか)に立ってさえ、極めて落ち付いていた。そうしてその落ち付きの大部分はやたらに動かさない眼の働らきから来たとしか思われなかった。」

これだけである。しかし、御米の眼はなぜ輝き、なぜ活発に動いているのか。それが安井の回復のせいでないことだけはたしかである。この微細な観察眼と描写力には感服するほかない。


漱石の文章の妙。彼の臍の胡麻ほどでもいい。なんとかそれを身につけることはできないものか。

そうだ、今日は冷蔵庫に千円札をマグネットで貼って、こめかみを押さえながら寝ることにしよう。

官九郎くんのドラマも今週で終わることだし。





Last updated  2006.07.14 09:41:46
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