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昨日から内田樹先生の「先生はえらい」(ちくまプリマー新書)を読んでいる。あと20頁ほどで読み終わるのだが、その感想を一言でいうと「先生はえらい!」ということに尽きる。
さすがは私の「先生」である。この本は基本的には高校生にも読めるような文体でわかりやすいことばが使われ、漢字にはていねいにルビが振ってある。そして、いつもながらのリーダーフレンドリーな軽快な筆の運びで読み手をすいすいと本の中へ誘いこんでいく。そして、その内容は……。その内容は実はきわめて「難解」なのである。 そっとやさしく手をとられ、談笑の中、時間を忘れて踏み込んだ場所は、実はなんとも知れぬ迷宮、ラビリンスなのである。いや、この呼吸、この肺活量。どうすればこういう文章が書けるのか。私にはまったく理解することができない。大いなる謎である。だからして、先生は先生であり、先生はえらいのである。(この本、読んでない人にはなんのことだか意味不明でしょうね) まだ最後まで読み終わってない段階で、こういうのも何だが、私の予測では、この本には出口がない。ラビリンスにさまよいこんだ人間は「どこが出口なんだろう」という謎解きをひたすら求めるが、もしも出口を発見するのが目的ならば、そもそもラビリンスなど存在する理由はないのである。「急がば直線距離」でいきなり出口に突き抜ければそれで済む話だ。出口を見つけることが目的ならば、ラビリンスなどないほうがいい。 もしもラビリンスに存在理由があるとしたら、それは「迷うこと、それ自体が人間にとってよろこびだから」ということになるはずだ。そして、人生にとって、もっとも迷いの多い時期、すなわち青春は、その反面でもっとも楽しい時期でもある。人間はそもそも迷うこと、苦しむことを楽しむ生き物なのではないだろうか。 先生のこの本はそのあたりの機微を実に生き生きと描き出している。 いやあ、この本はなまなかな感想や書評をはねのける弾力をもっている。 読む者をしばし陶然と恍惚境へいざなう書物である。 面白くて、わかりやすくて、軽快で、時折にんまりできて、かつ、難解で、考え込ませて、時折途方に暮れさせる。そんな本が読みたいなという方がおられれば、私はこの本を強力に推薦する。 なんというか、私はこれ以上語ることばを失ってしまったようである。 牛のよだれもおもわず止まる。惰眠をむさぼる鈍牛のお尻に鋭く加えられた鞭の一閃。 これはそういう本なのである。
私も内田さんの愛読者ですが、よく「話している(書いている)本人もこれからどういう話をするのか(文章を書くのか)わからないのが一番面白い」とおっしゃっていますね。
私はできるだけ事前に準備するタイプなのでその面白さを感じたことはないのですが、なんか毎日わくわくできるだろうな、とうらやましく思います。材料だけは集めておいて、でも「落としどころ」は決めずに走り出してみる。ちょっとづつ試してみようかなと思ってます。 この「光と影」はだいたいのストーリーを決めてから書かれてますか?(2006.08.29 01:02:22)
ほんのしおりさんへ
もちろん事前に綿密なプロットを考えて……、というのは大嘘です。まあ、行き当たりばったりで書いてますね。とくに最後どうなるのかは、自分でも見当がつきません。人前で話す時にはやはりある程度のインプロバイゼーション(即興)がないと、ドライブがかかりません。文章も途中で勝手に指が動き出して、「おいおい、どこ行くんだよ」という感じになる時がたまにありますが、そういう時には微量の快楽物質が分泌されているような感触が味わえます。ぜひお試しください。ただし内田先生のように本一冊、つまり何万字というレベルで、その即興感を味わえる境地ははるか彼方です。当たり前のことですが、呼吸の深さと肺活量が全然違います。せめて一歩でも半歩でも近づければと思ってはいるのですが。(2006.08.29 19:52:11)
こんばんは。
内田先生の本は「街場の現代思想」しか読んだことのない初心者ですが、これはくだけているほうなんでしょうね。学生のかたの質問に答える形で口語で語られていたのですが、それでも内田先生の考え方の新鮮さがはっきりと残りました。先日、家族のものが読んでいる「こどもは判ってくれない」をちょっと拝借して読んだんですが、これもすごく面白そうでした。人はひとつ、志というか確固たるものがあれば、どんな幅広い話題についてもすらり、と書くことが出来るんですね。ユーモアもあって読んでいて楽しいです。女子大の先生なのでどんなに男性が慕っても学校には入れないのがまた面白いですね。(変なコメントですみません)(2006.08.30 21:59:15)
akikoさんへ
コメントありがとうございます。先生の読者が増えるのは不肖の弟子としてもうれしいかぎりです。「家族の者」とはだんなさんのことでしょうね。保育園の子どもさんが「子どもは判ってくれない」を寝ころがって読んでたらシュールで面白いのですが。あの本は「長~い序文」がいいですね。目からうろこが何枚も落ちます。 私は少し思うところもあって、内田先生の近刊本にはあまり目を通していないのですが、HPの日記はさかのぼってすべて読みました。本にはなっていないけれども、過去の日記の中にもすばらしい文章がたくさんあります。子育てをされているakikoさんには、先生の愛娘「るんちゃん」の旅立ちにあたって先生が書かれたすてきな文章をご紹介しましょうか。 http://www.tatsuru.com/diary/yogiri/yg0103.html というアドレスの3月26日(つづき)の文章がそれです。私の愛してやまない文章です。では。また。 (2006.08.31 21:00:45)
育児中、内田先生は「エンドレスの不快」を「エンドレスの愉悦」に読み替える、という技をお使いになっていたみたいですね。今日は夏休み最後の日で、外は雨。家のなかをぐるぐるばたばた走る小さい人達。風の音と思ってしのぎました。
るんちゃんのところ、明日読んでみます。ありがとうございました。残暑もキビシいかと思いますが、頑張ってください。 (2006.08.31 23:59:43)
私も読みました。 けど、けど、どうも何といったらいいものやら、私ごのみではなかったというか。 中高生向きに書かれたこの御著。 なるほど易しく一見読み易く書かれていますね。 そうであっても幾度と無く「ええっ?」 「何々?」 「どういう事?」と実のところ私には意味がよく分からず、ケムに巻かれたようで消化不良のままなんですよ。
私の読解力では無理だった、と降参してしまいました。 タツル先生、もっと易しく書いてよ~、も~と心の中でつぶやいたのであります。(2006.11.25 15:42:43)
ジュンさんへ
「先生はえらい」はとびきりの名著だと思います。私はそう断言します。やさしく書かれたむずかしい本ですね、おっしゃる通り。時折先生のブログを読んでいて、これなら自分でもなんとかと不遜なことを考えたこともあるのですが、この本を読んで、「こりゃあー、ぜんぜんレベルがちがうや」と思いました。「本を書く」というのはこういうことなんだな、と思い知った一冊です。もう一度読み直されたらいかがでしょう。私もいずれ再読するつもりでおります。(2006.11.25 21:43:50) │<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |
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