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M17星雲の光と影

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2006.10.21
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テーマ:感じたこと(2892)
カテゴリ:その他
教壇に立っていると、時折不思議な敵意のようなものを感じることがある。

最初の出会いの時からそれはなんとなく感じとれる。そういう信号を発している生徒は例外なく後の方、ほとんど最後列のあたりに座っている。そして、授業中によく身体を動かす。それは遠目に見ると「オマエの話なんか聞いてられないよ」というボディ・ランゲージのように感じられる。机に突っ伏したり、ぷいっと横を向いたり、隣と話しはじめたり。まあ、ふつうの教師なら「なんか態度の悪いやつだなー」と思って終わりというところである。

しかし、幸か不幸か私はふつうの教師ではない。週に二コマしか授業しないニセモノ教師ということもあるが、生徒のメッセージを受信する能力はそれほど低くないと自分では思っている。

私が「不思議な」というのは、彼らのその「態度の悪さ」と、私の話の内容との間にまったく関連がないように見えるからである。「ああ、つまらないんだな」とか、「そろそろ退屈してきたな」というのはきわめて重要なメッセージであり、それによってこちらはギアチェンジを試みなければならない。しかし、彼らはこちらの話の内容とはまったく無関係に突然、反抗的に見える態度をとるのである。だから「不思議」なのだ。

しかもほとんど初対面である。敵意を感じるためにはもう少し相手を観察する時間が必要なはずだ。のべつまくなしに生徒の敵意を感じていたら区別はつかないだろうが、幸いほとんどの生徒はきわめてフレンドリーで礼儀正しい。自分なりに相手のいうことをひととおり聞いてから、ちゃんとこいつの話を聞くべきか、そうでないかを判断している。しかも授業中に寝る生徒はまずいない。生徒を安眠させるような授業をする趣味を私はもたない。

だからこそ、時折感じる「不思議な敵意」のようなものが、周囲から浮かび上がって感じられるのである。

以前、高校を中退した生徒ばかりを教えていた時にも、それに近い反応を感じたことはある。

「オレは、そもそもあんたたちの話に期待してないから」
「どうせまたあいつらと同じ話するんだろ」
「ムリしなくていいよ、てきとーにやってくれてればいいよ」

こういうメッセージを全身から発している生徒というのはけっして珍しくなかった。しかし、その対処は決してむずかしくはない。

「おまえはオレに期待してないかもしれないけど、オレはおまえに期待してるよ」というメッセージを発信しつづけ、自分自身で面白いと思うことを話し、面白いと思うことを実行すればいいだけの話である。そのうちに両者の関係は変わってくる。否定的なメッセージに同調しないということが、この場合には最も大切である。

しかし、「不思議な敵意」はそれともやや異なる。ためしにそういう生徒に小論文を書かせてみる。日頃の態度からいって、問題そのもの、小論文そのものを否定するような反抗的な内容が書いてあるかと思いきや、意外にもすなおそのものの文章である。表現力も低くないし、内容はやや凡庸ながらも穏当なものだし、筋道も明確で論旨も明快である。驚いたことには私のアドバイスもしっかりとその文章の中に取り入れられている。彼らはちゃんと私の話を聞いていたのだ。そして聞くだけでなく、それを自分自身で実行すらしている。だとしたら、あの反抗的に見える態度はいったいなんだったのだろう。

今年もそういう生徒が二人いた。どちらも女性。教室の最後列に座っている。隣には一人の男子生徒を従えている。(いかにも「従えている」という感じなのである)顔立ちは二人とも美しい部類といえるだろう。こちらは生徒をそういう眼では見ていないけれども、男子生徒の反応を見ていると女性として魅力にあふれていることはよくわかる。お供を従えているのも当然という感じである。

二人はそれぞれ別々のクラスだった。そのうちの一人は最初の一週間で敵意を完全に消滅させることになる。比較的自由なテーマで文章を書かせた時、フランスに5年ほど滞在していたその女性は、「日本では性的な話題は、「いやらしい」こととして男性の独占物になっている。これはおかしい。性的なもの、官能的なものは人間の根源に触れる奥の深いものである。女性もこういう話題について大いに語るべきである」というような内容をいくぶん刺激的な文体で書いていた。私は読んで素直にいい文章だと思ったので、優秀作の一つとして名前入りでコピーしてクラスに配布した。その文章の背後に「あんたはこれを選べるか」という挑戦的な視線を少し感じたことは事実である。私は「選べるよ」と返信したわけである。そして、クラスでその生徒に「これ、みんなの前で声を出して読んでくれるかな」と聞いてみた。こんどはこちらが挑戦する番である。その生徒は大きな声で朗々とその文章を読み上げた。大した度胸である。私は感服した。それからその生徒は「官能の女王」と呼ばれていたようである。その授業が終わり、彼女が男性と二人で教室を出るとき、こちらをむいて「ありがとうございました。」と挨拶をしていった。男性も同じことをいった。「不思議な敵意」のようなものはその時、跡形もなく消えていた。

もう一人の女生徒の敵意は、しかしなかなか消えなかった。こちらの女性はおとなしい感じの髪の長いエキゾチックな顔立ちの子である。授業中の発言はほとんどなく、文章の内容はきわめて穏当で常識的である。しかし、時折授業中に不思議な態度をとる。でも、ただそれだけである。

ある日、彼女の敵意を示す視線を私は感じた。この光線をきちんと受けとめようと、私は自分の受信装置の感度を最大限にまで上げた。すると、不思議な感触を感じた。何と言えばいいだろう。その敵意を示す視線は私の身体を貫通して黒板にまで達しているのである。確かにこちらに敵意は向けられているのだが、その敵意は私の身体を通過している。それが何を意味しているのかはわからないけれども、事実として私はその時そのことを体感した。

今週は授業のひとつの区切りだった。半分ほどの生徒がこれで授業を終え、学校を去っていく。そういう切れ目の回だった。通常の授業を行い、25分ほど時間が余った。文章を書かせるには短すぎ、雑談でつぶすにはやや長すぎる。「どうしようか」と生徒に聞いてみると、ディスカッションをしようという声が出た。最近話題になっているニュースについてということで、福岡で起きた中2生のいじめによる自殺事件をとりあげることになった。

私の生徒は全員、海外からの帰国生である。アメリカ、フランス、中国、オランダ、チェコ、台湾、インドネシア、バーレーンなどなど、さまざまな国から半年ばかり前に帰国して大学受験の勉強をしている。

彼らにいじめを身近で経験したことがあるか、と聞くと、半数近くの人間が手を挙げる。そして、アメリカのいじめはみんなの目の前で弱い者を見せしめのようにいじめる、ひどい話だが、ある意味ではわかりやすい。陰湿なシカトのようなものは見たことがない、というような体験談をしてくれる。

今回のいじめの事件や報道についてどう思う、と水を向けてみる。自分がいじめられた経験を紹介してくれる人はいないか、とも聞いてみる。

すると、最後列から手がぱっと上がった。例のあの女子生徒である。授業中、手を上げる姿をはじめて見た。私はその子を指さす。

「私はいじめに会いました。中学校一年の時、それも先生に。気分が悪くて体育を休ませてくださいと言いにいったら、その先生は「嘘だ、仮病だ」と決めつけるんです。私はほんとに気分が悪くて、背中が痛かったんです。それでうずくまったら、先生は私の背中を蹴ったんです。それから先生によるいじめが延々と続けられました。」

クラスの生徒が息を呑む。話の内容もそうだが、その話をする女生徒の口調や顔つきに圧倒されているのだ。まるで昨日の出来事のように彼女はその出来事を語る。顔が紅潮し、声が高揚してくる。日頃はほとんど感情を示さない生徒だけに、その感情表現の激しさには私も驚いた。

そして、その瞬間、彼女のあの敵意の正体を見たように思った。彼女の敵意は「教師という存在」そのものへ向けられたものだったのである。教壇の前でこちらに正対して語りかける者、そのような存在への憎しみが、彼女にあのような態度をとらせていたのだ。だから、あの敵意は私の身体を貫通して黒板にぶつかっていたのか。

「そして、結局、どうなったの」
「他の先生もみんなうやむやにしようとして、自分の味方になってはくれなかった。私は孤立し、学校をやめる決意をした。そしてアメリカに個人留学しようと思った。それが私が帰国生になった理由です。」

彼女はそういって話を終えた。

自分を友人から隔離し、学習する機会を奪い、国外へまで追いやったもの、そういう「教師」という種族を彼女は強く深く憎んでいたのだろう。いくらニセモノで風変わりだとはいっても、今この場所においては私もれっきとした「教師族」の一員である。

ちょうど日本兵に虐殺された親族をもつ中国の人々が、日本人一般に向けるような敵意のこもった視線がこちらに向かってきたのも不思議なことではない。

6年前の憎しみをあたかも昨日のことのように感じさせる、そういう敵意を植えつける力を教師はもっている。そして、皮肉なことに無神経で鈍感な教師ほど、そういう力を強くもっているのだ。

現在のマスコミ報道が担任の教師を非難罵倒することに集中し、それによって視聴率を、部数を伸ばしている構図を見ていると、これはひょっとするといじめの構図に似てはいないだろうか。今、考えるべきは、現にいじめを受け、追いつめられている人間の次の「自死」を阻止することなのに、今の報道姿勢は「死にさえすれば、今の自分の気持ちは世間に伝わる」、そういう誤ったメッセージを子どもたちに伝えてはいないだろうか。私が最後にそのような問題提起をし、生徒が深くそのことを考えている時に、私の頭は、しかし、それとは別のことを考えていた。

どれほど優秀な教師であっても生徒の力を伸ばすことはきわめてむずかしい。しかし、どれほど無能な教師であっても生徒のこころを深く傷つけ、立ち直ることの困難なほどの苦境に追いこむことはきわめて容易である。

自分がそういう「危険な場所」にいることを片時も忘れてはならない。その時、私はこころの奥で強くそう思っていたのである。





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Last updated  2006.10.21 12:39:04
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和久希世@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) >「彼はこう言いました。「それもそうだ…
kuro@ Re:「チャンドラーのある」人生(08/18) 新しいお話をお待ちしております。
あああ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 非常に面白かったです。 背筋がぞわぞわし…
クロキ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 良いお話しをありがとうございます。 泣き…
М17星雲の光と影@ Re[1]:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) まずしい感想をありがとうございました。 …
映画見直してみると@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 伊集院がトイレでは拳銃を腰にさして準備…
いい話ですね@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 最近たまたま伊丹作品の「マルタイの女」…
山下陽光@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) ブログを読んで、 ワクワクがたまらなくな…
ににに@ Re:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) 文句を言うだけの人っているもんですね ま…
tanabotaturisan@ Re:WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW(07/01) キャロルキングの訳詩ありがとうございま…

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