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三連単は競艇さんのお買い物
思いつくままの事柄を気負わずに書き綴っております… [全328件] 【晴】 校門を出ると直ぐに、ヤッさんが何かにおびえたような顔で、こっちにやって来るのに出合った。 「ヤッさん忘れ物かい。それともお使いか」 「あっコーちゃん、悪りいんだけど一緒に来てくんねえかな。カーちゃんに言われて市役所に行くんだけど、俺ああいう所に行くの、すごく嫌なんだよ。だって色々聞かれても、何て答えたらいいか分かんねえし、市役所の人って、みんな意地悪べえだから、俺おっかなくって仕様がねえんだよ」 ヤッさんは半分泣きそうになって頼み込むのだった。 「いいよ、一緒に行ってやるよ。市役所のどこに行くんだい」 「戸籍係、戸籍抄本を一枚もらって来るん」 「分かった一階だな。大丈夫心配するなよ。あいつらがまた意地悪したら、俺がそいつをぶっとばしてやるから」 あの頃の私は全く怖い物知らずで、相手が人間の時は、親と先生以外だったら、理に合わない時には、たとえ大人にだって飛びかかって行った。 そんな私の事をヤッさんもよく知っていたので、心細い気持ちの時に都合良く出合ったのを好機とばかりに、私の腕を掴んで離さなかった。 小学校5年生の時に、私の身長は160cm近くまでになっていたから、たとえ子供とはいっても、それなりに押し出しが良かったので、こんな時には用心棒代わりになるのを、ヤッさんは知っていたのだ。 私も気の良いヤッさんが意地悪役人にいじめられるのが可哀想だったから、二つ返事で同行を引き受けた。 学校から役所までは、歩いて20分位のもので、逆さ川沿いの道を日赤病院まで進み、あとは川を離れて東に行けば直ぐだった。 《アトリエ白美:渡辺晃吉》 ![]()
【晴】《3日の続き》 母の歌は時々耳にする事はあったが、父が歌っているのを聞いた事は、子供の頃には一度もなかったと思う。 私が父の歌を初めて聴いたのは、もう20歳を過ぎていたろうか。 従業員の慰安旅行の車中で、請われるままに披露した「どどいつ」だった。 父が若い時には、同業者との付き合いから、結構旦那遊びもしたというから、きっとその頃に習いおぼえたのだろう。 子供の耳にも年期の入った節回しだったが、「旦那は本当は小唄の方が得意なんだけどな」と、隣に座った政どんが耳打ちしたのには、正直驚いてしまった。 家には古いマンドリンやヴァイオリンがホコリを被っていたが、聞けば父が習っていたのだそうだ。 両方とも結局は物にならず、二つとも他のガラクタと一緒に放り出されていたもののようであった。 本当は琵琶を習いたかったのだそうだが、最愛の弟弟子がその道の大家となってしまったので、気抜けして習わなかったのだそうだが、果たして本当だろうか。 父の直ぐ下の弟は綿古流尺八の名人だったし、知人の中には琵琶などの専門家も多くいたから、多分父にはその方面の才能がなかったのだろう。 その代わり父の歴史に関する知識は驚嘆に値した。 本人も勉強の中で歴史が一番好きだったそうで、特に日本史の知識は、古代から近代までをカバーしていたので、宿題の時には本当に助かった。 歴史の関連として万葉集、古今和歌集などにも相当精通していたし、俳句は蕪村を愛した。 間もなく、父の享年と同じ年を迎える。 《アトリエ白美:渡辺晃吉》 ![]()
【晴】《2日の続き》 母が子供の頃には、年に数回は瞽女さん達が巡って来て、何日か逗留して近在を騒がして歩いたそうだ。 瞽女さん達は、門付けの事を騒がすと言ったと聞いた。 今と違って娯楽などほとんど無い時代だったから、瞽女の到来は大人だけではなく、子供達にとっても楽しみだったに違いない。 きっと母も目を輝かせて瞽女さんの芸に魅入り、何曲かをおぼえたのだろう。 子供の頃におぼえたものは、決して忘れないから不思議だ。 母は瞽女歌だけでなく、のぞきカラクリもなかなかうまく歌えたが、私は何となく品を欠いた節回しがあまり好きではなく、興が乗って母が歌い始めると、私はさり気なくその場を離れて聴かないようにした。 歌そのものより、母の歌い方が嫌いだったといってもよい。 変なノド声と妙な調子で延々と歌い続けるのだが、聴いている人が「ハーどした」とか「アどっこい」とか合いの手を入れるのも気に入らなかった。 その頃の私は、毎日のように「コールユーブンゲン」やその類の発声練習、楽典の勉強などに追い回されていた事もあり、世俗的な音曲に対する小生意気な偏見を持ち始めた時期でもあった。 母はそんな私の変化に気付いたのか、事ある毎に「古いならわしや伝統を馬鹿にしてはいけない」と説教した。 私もやはり戦後の世代の一人であったのだろう、少しずつ親の価値観や考え方に反発するようになっていった。 《アトリエ白美:渡辺晃吉》 ![]()
【雨】 コーラスの練習で家に帰るのが少し遅くなり、母屋の玄関近くまで来ると、珍しく母の歌声が耳に入って来た。 母の歌など、子守歌以外めったに聞いた事はないが、何かの折に酒でも入ると、思いのほかの美声で、古い歌を切々と歌いあげるのだった。 子守歌以外に母が歌うのは、その頃でもめったに聞かなくなっていた瞽女歌といわれるもので、語られる歌の中身とは違って、早い調子の陽気な響きをもった不思議な歌だった。 玄関の戸を開けると、上り框には小林のオバさんがいて、見えぬ目を閉じ少しうつむき加減で、母の歌う瞽女歌に耳を傾けている。 オバさんも瞽女と同じように盲目で、按摩の腕はたいしたものだと、この辺では評判の人なのを私もよく知っていた。 どのような成り行きで母が歌う事になったのかは、相手が小林のオバさんだというところから、何となく察しがつくような気がして、私は思わず「オバさんも瞽女さんだったの」と変な質問をしてしまったのだった。 「あれまあ、とんでもない話ですよお。私にゃ、そんな才覚はありゃしませんよ。歌える歌といったら、わらべ歌くらいのもので、近頃のはやり歌だって、ろくに歌えやしませんのさ」 オバさんはそう言ってから、手で口をおさえてコロコロと笑った。 いつも顔をうつむいているためか、オバさんの背中は少し丸くなっていて、上り框に腰掛けて両手で茶碗を持つ姿は、まるで子供のように小さく見えた。 母は私が来た事で歌が中断したのをきっかけに、座を立って台所の方へ行くと、間もなく乾物の袋を持って戻って来た。 帰りにオバさんに持たせるのだろう。 見ると袋の中身は、少し前に千葉の網元の親戚が携えて来た沢山の土産のひとつ、干しワカメだった。 「オカミさん、どうぞ続きを聴かせて下さいましな」 オバさんの誘いに、母は火鉢の縁を手の平で叩きながら、また瞽女歌を歌い始めた。 《アトリエ白美:渡辺晃吉》 ![]()
【晴】《27日の続き》 「ボク、こんなものでも面白いかい」 おじさんは、愉快そうに笑いながら声を掛けて来た。 「ウン」 板橋と私は同時に返事をすると、またおじさんの手先に視線を戻した。 「ハハハッ、そうかいそうかい、そんなに面白いんなら、いつでも見においで。そうだ、学校下ったらおじさんの弟子になるか。いいぞ職人は。昔から手に職っていって、いったん身につけさえすれば、もう食いっぱぐれがないからな」 私はおじさんの話を聞きながら、(似たような話、どこかで聞いたな)と思った。 緑町界隈には沢山の職人さんがいたし、仕事の種類も相当に多かったから、きっと耳に慣れたセリフだったのだろう。 マキ引きと両刃は、結構早目に目立てが終わったが、銅付きにはそれまでの倍以上の時間がかかった。 ヤットコで刃並びを揃えたり、今度は逆に金床の上で刃を叩いたり、ヤスリの使い方も、それまでとは全く違って、ゆっくりと少しづつ、とても丁寧だった。 やっと納得がいったのか、おじさんは「ヨシッ」と大きくうなずくと、何かの油を湿した布で、ノコギリを一本一本丁寧に拭い、「危ないから包んであげるよ」と、新聞紙で包んで渡してくれた。 「勘定はつけといて下さいって」 「ハイヨッ、まいどどうもね。気をつけて帰るんだよ」 おじさんの声に送られて、板橋と私は店を出ると、表通りを横切って露地に入り、福田の辻に出て左に折れ、三井屋の脇から公園通りに出て帰宅した。 「板橋、家に帰るの遅くなって怒られないか?」 「大丈夫だよ。帰りに渡辺の家に寄ったって言えば平気」 「そうか、んじゃあ公園抜けて行こう。途中まで送るから」 「ウン」 父にノコギリを渡すと、私は板橋を送るために公園に入って行った。 《アトリエ白美:渡辺晃吉》 ![]()
【晴】《26日の続き》 板橋は嬉しそうに「ウン」と返事をした。 目立て屋のおじさんの店は、7丁目の切通しの手前を「三宝院の方へ入って行く道沿いにあり、少し行くと母が行き付けの周藤という髪結いの店もあった。 間口二間ほどのガラス戸を開けて中に入ると、幅半間ほどの三和土をはさんだ八畳ほどの板の間の仕事場で、おじさんが仕事をしていた。 「すみません、目立てをお願いします」 私は持って来たノコギリを上がり框に置くと、おじさんに声を掛けた。 「ハイハイ、渡辺さんだね、まいどどうも。今すぐやるから、そこに座って少しの間待っててね」 おじさんは愛想良く答えて上がり框近くに出て来ると、「いま茶をいれるからね」と、子供の私達にお茶をいれてくれた上に、木のくりぬき器に盛られたお煎餅を出してくれた。 おじさんはお茶をいれる時に、茶筒からほんの少しの茶葉を急須に足し入れた。 私は家とは違うお茶のいれ方が珍しくて、その記憶が妙にのちのちまで残った。 お茶をいれ終わったおじさんは、私が持って来たノコギリを手にすると、直ぐに仕事を始めた。 最初に手にしたのはマキ引きノコだったが、おじさんはノコを二枚の板で挟んで固定すると、刃を上にして両足の平でおさえ、ヤットコの先を使って刃並びを整えながら、小さな目立てヤスリを器用に使って、みるみる内に目立てして行くのだった。 私と板橋は、お煎餅を食うのも忘れて、おじさんの見事な手先の動きに魅入っていた。 《アトリエ白美:渡辺晃吉》 ![]()
【晴】 学校から帰ると、父が何本かのノコギリを用意して私を待っていた。 「このノコギリの目立てを頼んで来てくれ。多分その場でやってくれるから、出来るまで待って、待ち帰って来い」 ノコギリの目立てをしてくれる人の家には、今までに何度か行っているので、私は喜んで使いに出た。 大きなマキ引きノコが一本と両刃が一本、それに銅付きが一本だった。 ノコギリを抱えて表通りに出ると、学校帰りの板橋とバッタリ会った。 「どこに行くん?」 「ノコギリの目立て屋だよ」 「ウァー、俺も一緒に行っていい?」 私は連れが出来るのが嬉しくて、「ウン、一緒に行こう」と直ぐに返事をした。 「僕はまだノコギリの目立てをする所を見た事ないんだ」 板橋は自分の事を僕と呼ぶ、少数派の一人だった。 「けっこう面白れえぞ」 ノコギリの目立てに限らず、私は手仕事の現場を見るのが、なぜか大好きだったので、そんな折には時の経つのも忘れて見学した。 「あんな硬い物を、どうやって研くのかな?」 板橋にとっては、細かい刃がズラッと並んだノコギリを、砥石も使わずに仕立てるのが、物凄く不思議なのだと言う。 「目立てヤスリとヤットコでやるんだよ」 私は少し得意そうに板橋に教えてやった。 簡単な目立ては、父や職人達が、素人仕事でやっているのをよく見ていたので、私にも真似事くらいは出来たから、言葉で説明できなくはなかったが、「向こうに着いたら、おじさんが目立てする所を見られるぞ」と、板橋に言った。 《アトリエ白美:渡辺晃吉》 ![]() |一覧| |
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