人物・ヌードを描く「人物画・ヌードを描く」 クロッキーとデッサン。 若いころ京都で染色を10年間学んだ。着物の染めや彩色、デザインに明け暮れたが、週末になると先輩後輩、男女数人でクロッキー教室に通った。 着物の模様には人物を描くことは少ないが、クロッキーで短時間に的確な線描をする訓練は、花の形や構成を一瞬のうちに把握するのに役立った。・・・が、当時の目的は、それだったか極めた怪しい(^^ゞ
これらはボールペンで描いたもので、線の強弱がつけられない。10分くらいの時間だったか。クロッキーというよりデッサンに近い影をつけているが、無駄な線や不適格な線を描けば描くほど立体が崩れてくる。 そして、鉛筆一本の線で的確な表現を求めていく。 同じモデルだと思う。初めて描いた裸婦のデッサンとクロッキー。 面を意識した補助線を引いて描いていた。一筆では描けなかったわけだ(^^ゞ 下は29歳のころ。余分な線や強弱ををなくして描いていたが、単調になりやすいので難しく、どこまで省略できるかを課題にしていた。 男でも女でも、難しいのは同じだった(^^ゞ おまけ・・・休憩時間で向かい側に座っている人も描いた(^^ その後、帰省してから裸婦を描く機会はないが、単純化して描く課題は今の仕事でも続いているような気がする(^^ゞ 若いころ、背負うもののないときに学んだものは大きいと今も思う。 花でも人でも描けるものは何でも描き、自画像でも描いた(笑 眠る同僚。下は19歳の頃の油彩F50号 と スケッチ 染色技術の一つを身につけようと先輩の仕事を盗み(観て盗み)、三日三晩やれば何とかなる!などということを繰り返した。アドバイスを請えば教えてもらえる師や先輩が居た。 そうした環境に居たことの記憶は一枚の写真や絵で切り取られて残っているが、目に見えない太い糸であるかのように繋がって、私の今の活動の元になっているのだと、30数年を経て、つくづく思う。 これは2004年?くらいの水彩画。実際のところ、あまり人物画を描いていない(^^ゞ 口癖のように将来は仙人の世界で絵を描くと言い続けているが、若いときにしか出来ないこと、今の年齢で今の環境でしかできないこともある。この暮らしの中で精一杯行なうしかないのだと思う。 それが、その時々の『能登の手の記録』なのだから。 あれれ(^^; ・・・・・・きれいにまとめ過ぎた感じがする~(笑
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