2013年1月23日ヒト行動学
イザナギ、イザナミノミコト様について、詳しいところまでお話がありました。 イザナギ、イザナミノミコト様の物語の中から、 「見るなの禁」 「食べるなの禁」という言葉があります。 見るなの禁は 夕鶴のお話にも通じているのですが 見るなと言われると見たくなる、そして見てびっくりしてしまうわけです。 そうすると、どんなに見られたほうが悪かったり、ひどかったり、びっくりするような様子だったとしても、 見るなと言われた約束を破った方が どちらがというと責められるのですよ。 心情的にも、見てしまった方が残るのですよね。見られたほうは開き直っちゃうのです。 ん、ん、、そうだそうだ、、、日常でもよくあるお話のもとが ここから始まっているのです。こんなお話が、神話の初めにあるわけですから、人間の根源的なものだとわかります。 そんな根源をもっているわけですから、こどもたちにも、それがよくあらわれていて、大変興味深いところです。 アダムとイブが、食べてはいけないと言われた 知恵の実を食べてしまったことで、見られて恥ずかしいという心が芽生えてというのも、とても通じるところがありますよね。 しかし、その食べてはいけないという実を、目立つところに生やしておくっていうのは、一体どういう意図なのでしょうね。 そんなことを考えてしまう お話をもとに、様々なおもしろいお話がありました。 知覚できる限界を超えて、知ろうとするからこそ 人であるということも、わたしたちの日常よく知っている言葉の中に記されているのです。 日本語はおもしろいです。 *はてな*