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浮世絵の美と、それに魅入られたコレクターのバカな姿を御覧下さい。 私のもう一つの顔は、曲庵という少しボケがきた老相場師です。 画像をクリックすると大きな画像を御覧いただけます。 (画面には極力買値を表示したいと思います、意外と身近な物です) 東海道五十三次12点UP! 木曾街道六十九次3点UP! 骨董・焼物のギャラリー 興味のある方は覗いてみてください |
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[全47件] (買値25万円個人より) 何時の間にか、外は冬の気配がして、もう11月、 今日も散歩には寒い日であった。 さて浮世絵は浜松、遠くに家康居城の浜松城がそびえる。 冬枯れの寒々しい街道筋に一本の大杉があり、 その根っこのもとで、焚き火に暖をとる様々な人々。 のどかな、人情味あふれる光景である。
(買値25万円個人より) 現在の静岡県新居町である。 県西にあるこの町に私はまだ行った事はない。 舞阪の今切から荒井(新居)までは今切の渡しという渡船で行く。 地名は荒井だが、湖面の波は穏やかそのもので、 二艘の舟が荒井をめざして漕いで行く。 行く手の対岸(新居の関所)は、もうすぐである。
![]() (買値25万円個人より) デフレ真っ最中の中、一寸仕事とヨアソビに精出したので 更新をサボってしまいました。 藤川は今の愛知県岡崎市藤川町である。 江戸から三十七宿目の藤川宿は鎌倉街道時代からの古い宿場。 明治に入り、鉄道の発達とともに宿駅の機能は失われ、紡績工場が発展した。 しかし旅人を日照りや寒風から守る松並木は、開発の波に押されながらも、大切に保存されている。 棒鼻とは宿場の出入り口の事である。
(買値25万円個人より) 先日初めて岡崎を訪ねてみた。 私のように青年期に山岡荘八の「徳川家康」に心酔した者にとって、岡崎は将に聖地”である。 矢矧川岸をのんびりと歩き、ひと時を少年期の淡いロマンに浸った。 突然、北上夜曲等を口ずさんだりして、お城に向かった。 休日のせいか庭園には詩吟が流れ、茶会が開かれていた。 岡崎城は幼名は竹千代といった家康が生まれた所である。 名橋矢矧之橋は、放浪の秀吉(幼名を日吉丸)が野武士蜂須賀小六に拾われた所だ。 数奇の運命を経て天下を取ったライバル2人の 将に因縁の地でもあった。 図は東海道最長の大橋と言われた矢矧橋を 江戸に向かう大名行列が行く。 行く先には家康公ゆかりの岡崎城の楼閣が幾重にもそびえる。 中央の黒い山は、松平家の祈願所、甲山寺のある甲山。 遠くに青く霞むのは村積山である。
(買値25万円個人より) 池鯉鮒の地名は、近くの神社に鯉や鮒が多くいたという由来から名付けられた。 現在の愛知県知立市、人口6万人の住宅都市である。 馬頭観音で知られた福衆山慈眼寺の東に草原があって、 毎年4月から5月にかけての10日間馬市が開かれていた。
(買値25万円個人より) ここのところ、商品相場が激しく動いたので、 暫く風流を忘れていたようだ。 今日は戻って、愛知県の鳴海の図で 近くに名物、有松絞りで知られた有松の集落がある。 図に登場の旅人は、そのほとんどが女人である。 歩きの2人に、駕籠の人、馬の背に揺られる人。 さまざまなスタイルで旅の女人が登場する。 名古屋近郊の旧街道筋には、 今も昔の面影をのこす商家が立ち並び 昔の繁栄ぶりをしのばせている。 話は変るが、、、、 若い頃、傷心の旅に出て、 ひと夏を小豆相場を張りながら、 名古屋の栄辺りで過ごした事があったが、 そこで見た結婚式で、花嫁の荷物の豪華さに、驚いた。 名古屋では、娘を3人嫁にやったら、家が傾いてしまうらしい。 私達は駆け落ち同然に同棲を始めたから、何の道具も無かったが それよりも、子供5人を独りで育ててくれた健康な体が 何よりもありがたい嫁入り道具だったと、今になって感謝している。
(買値13万円原書房より) 「原さん、これ何で安いの?」 色が焼けている訳でもなく、中折れもないこの図がこんな値段で出ていたので、 怪訝に思ってそう訊いた。 「付けマージンなんですよ」 そういえば、初めて原書房に行った時にも、 広重の刷のいい版画が安かったので同じ事を訊いた覚えがある。 焼物のコレクションでは、 全てキズモノを買わない主義を通してきたので、 カンピン”でないその広重は買わなかったのだが 浮世絵を多く見るようになってから 焼物のようなカンピンなど、そうは残っていないと言う事に気が付いた。 紙は痛むし、色は褪せていくものだ。 だから、初刷で色が綺麗に残っていて マージン(浮世絵の周りの余白)もたっぷりというものは、 驚くほど値が高い。 そんなもので五十三次を全部揃えたら、ゆうに1億円を越してしまい、 貧乏相場師には、死ぬまでたっても揃わない。 色が綺麗なら、付けマージンでも構わない。 それはさておき、 ここ薬師寺の宿は江戸日本橋から始まり45番目の宿場町で、 現在の三重県鈴鹿市石薬師町です。 東海道は三重県では、七里の渡から鈴鹿峠までの約45㎞が通り 桑名、四日市、石薬師、庄野、亀山、関、坂下の7つの宿場が整備され、 参勤交代や参宮の旅人などで賑わい、 多くの物資や情報・文化が行き交いました。 四日市宿と亀山宿の間が長かった為に元和二年(1616年)に設けられた。 もともと田園地帯に囲まれ休息地の役割が強い宿で 静かな東海道で最も小さな宿場のひとつと言われていた。 空は黄色に照り映える夕暮れ前のひととき、 田を打つ百姓、帰路を急ぐ荷を担ぐ二人組、 石薬師寺の晩鐘の音が低く重く響く。 故郷を見るような、のどかな田園の風景である。 |一覧| |
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