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アメリカ人女性2人が夏休みをバルセロナで過ごす。
そして、帰る。 スペインの男性と女性とのまじわりがある。 大枠はシンプルだ。 といって、ストーリーはけっして一筋縄ではいかない。 誰かと誰かがくっついたりはなれたりする。 その背景にバルセロナの風景があり、 ガウディがミロがあり、ギターの音がある。 冒頭に訪れるのはガウディのサグラダ・ファミリア。 つづいてミロ美術館の戸外に展示してあるハイヒール姿の女体とガラクタ風の顔のオブジェ(これは実際にバルセロナで見て、大好きになった作品だ。 ウディ・アレンも気に入ったんだろうな、と思うと、ちょっとおかしい。) 何度もながれる調子のいい曲はジウリア・イ・ロス・テラリーニ。 これは耳にのこる(少しだけ、クルト・ヴァイルのある曲をおもいださせる)。 あと、アルベニスのピアノ曲をギターにしたもの、 パコ・デ・ルシアの有名曲、などなど。 でも、はじめのほうで、ふと、モンポウが編曲した民謡がでてきて、 それは短いけれど、印象にのこる。 ウディ・アレンの映画について詳しいかといえば、 全然そんなことはない。 この何年か新作は観ていなかった。 今回は、やはりバルセロナに引っ掛かった、わけだ。 スペインとはいいながら、バルセロナはカタルーニャ。 アンダルシアとも、カスティーリャとも、バスクとも、ガリシアとも違う。 にもかかわらず、バルセロナでスペインを代理=表象させてしまうところに ウディ・アレンの好みがあらわれている。 パリやヴェネツィアの好きな人物として捉えたスペイン、か。 とはいえ、 いろいろなかたちで生まれては組み替えられる「3人」の関係を 映画が終わって、メトロに乗りながら考えていたら、 ふと、中沢新一の『バルセロナ、秘数3』を想いだし、 妙に腑に落ちるような気になった。 もう内容も忘れてしまったが、やはりバルセロナは「3」を生むのだろうか。 この「3」が生まれては消え、交換され、 愛や恋が生まれ、また、芸術へと転化する。 『それでも恋するバルセロナ』との邦題だが、 原題は「Vicky Christina Barcelona」、 つまりアメリカからの女性2人の名とバルセロナをならべている。 軽妙な作品。 そして、バルセロナの魔、とまでは言わなくとも、 この土地の力に反応した/させられた女性たちの物語。 観ている「わたし-たち」は、それを受けいれるのか、無理矢理解釈するのか。 ヴィッキーはレベッカ・ホール。 個人的にはかなり好みだけれども、 試写の資料では、 クリスティーナを演じるスカーレット・ヨハンソンと マリア・エレーナ役のペネロペ・クルス、 フアン・アントニオのハビエル・バルデムの「後」に紹介されている。 ま、それだけ有名ではないということなのだろう。 原題でははじめに役名があるというのに。 どうでもいいことながら、 フアン・アントニオは、 クリスティーナにスクリャービンのピアノ曲を教えたもらった、 と言い、 また、マリア・エレーナが弾くスカルラッティは最高だ、 と言う。 こういうちょっとしたセリフがウディ・アレン、だな。 │<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |
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