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17時に自宅をでて飯田橋に。
神楽坂をあがってゆくと、もうほとんどの店は閉まっていて、 人通りも少ない。 ウェンディーズはすごい行列ができていて、 まさに最終日に味わおうとしたのだろう。 そうだ、飯田橋にもあったんだ、ということをすっかり忘れていた。 和菓子を買う予定だったので、 もしかして、無理かな、とおもいはじめたものの、 梅花亭はあいていたので、ほっと一安心。 ただ、日持ちするものがあまりないので、 1種類の詰め合わせのみにする。 それから五十鈴に戻って、やはり1種類。 途中、行きつけの飲み屋さんの夫婦にばったり会う。 商店街のスピーカからは、 アコーデオンの奏でるシャンソンがながれ、 大久保通りの横断歩道のわたるときには オーリック《ムーラン・ルージュ》だった。 この曲が耳にはいると、どんなときでもしんみりする。 一升瓶を買って、シアターイワトへ。 早すぎたのだったが、楽屋?稽古場?へと言われたので、 遠慮なくあがってゆき、 しばらくコーヒーなどいただいて談笑。 19:30から、 大晦日ライブ 日本語でうたう 冬の旅 歌:斎藤晴彦 ピアノ:高橋悠治 前半はシューベルト《冬の旅》全曲。 この曲集は、コンサートでは、途中で眠る、前半で帰る、 という経験しかなく、今回は日本語だから大丈夫かとおもったものの、 やはり、いつのまにか意識が遠くなっていた。 でも、はじめとおわりの何曲かずつ、 たぶん、10曲程度はちゃんと聴いたのではないか。 それだけでも画期的。 ピアノのパートをこれほどしっかりと聴いたことはない。 それは、隣りにいたH.M.も言っていたこと。 H.M.には、よくねてたねえ、と言われてしまった。 ほんとうは、姿勢として眠っているようにみえても、 けっこう起きて、聴いていたのである。 みっともないから、いいわけはしなかったけど。 斎藤晴彦はピアノの脇に立ちながら、 だんだんと終りに近づくにつれ、客席のほうにむかって移動し、 ときにピアノの脇にもどり、というように、 位置を変えていた。 《冬の旅》につづけて、 高橋悠治《民衆に訴える》が演奏され、休憩。 後半はシューベルト《楽興の時》の演奏と、朗読が重ねられる。 テクストは山田風太郎『一握の牌』。 これは、タイトルからもわかるとおり、 風太郎が石川啄木『一握の砂』をもとにしながら、 麻雀をうたった短歌連作で、 寡聞にして知らなかったのだが、『風山房風呂焚き唄』にはいっているらしい。 啄木の ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな が、 麻雀の卓にむかひて いふことなし 麻雀の卓はありがたきかな となり、 最後、23篇目、 わが為さむこと世に尽きて 長き日を かくしもあはれ物を思ふか が、 わが為さむこと世につきて ながき日を かくしもあはれ麻雀をする でとじられる。 ピアニストはあいだをあけることなく、シューベルトを弾き、 ちょっとしたキューをだして、朗読がはいる。 ただ、この朗読では、短歌的な感触はあまりなく、 文語の散文のようにきこえたのは、 やはり音楽のながれと、言葉/朗読のながれ、それら両者の時間のつくり、 にあったのかもしれない。 斎藤晴彦の立っているピアノの脇と客席のあいだくらいのところに、 緑色の敷物がおかれていた。 麻雀の卓、ということなのだろう。 終演後、片づけをして、うちあげ? 忘年会? 23時過ぎにおいとまして、飯田橋駅まで歩く。 この坂道にこんなに蕎麦屋があったことに(もうほとんどは閉まっていたけれど) あらためて気づく。 自宅に着いたのはちょうど0時。 [ライヴ/コンサート]カテゴリの最新記事
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