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02話 【入社式】


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02話 (犬) 【入社式】―ニュウシャシキ―



入社式における式典は社長の挨拶と祝辞に始まり、入社辞令授与、新入社員による答辞と、恙無く進行していた。
とはいえ、そろそろ気だるいムードが訪れる、いわゆる魔の中弛み時間に差し掛かり、場内は確実に緊張感に欠ける空気になりつつあった。
私語がそこかしこで囁かれ、ちょっとこれは雰囲気的にマズいんじゃないか? と思い始めた頃。
舞台上手側の袖幕から、綺麗に背広を着こなしたひとりの男性社員が現れ、中央の演台へと歩を進めて行った。
ひとを惹き付ける能力というものが存在するのであれば、まさにこの男性に備わっていると断言してしまってもいい。
不思議なことに、ざわつき始めていた私語はぴたりと止み、しんと静まり返ってしまったのだから。
そして皆の視線はといえば、壇上に上がったその男性にだけ、向けられている。
(まだ何も喋ってないのに……。どうしてこんなにも惹き付けられるんだ? 何者なんだ、このひとは?)
好奇心を掻き立てられる。だが、それが何故なのか? までは分からない。判断材料がないからだ。
きっと皆も、理由が分からないまま熱視線を注いでいるのだろう。
容姿は……確かにいい。スタイルも……抜群だ。だが、それだけでここまで観衆の心を一瞬で奪えるものなのだろうか……。
或る者は呆け、また或る者は固唾を飲む。そんな中、演台に着いた男性は、その第一声をあげた。
「新入社員の皆さん。本日は入社、誠におめでとうございます。皆さんの入社を、心より歓迎いたします。
社員を代表いたしまして、ユナイソン名古屋港(ナゴヤコウ)店、柾直近が歓迎の挨拶をさせて頂きます」
『名古屋港店?』『それって新しく出来た大型店舗じゃん!』『え、じゃああのひと、超優秀社員ってこと?』『っぽいね』
情報を交換し合う小声でのやり取りが、そこかしこで始まる。それでも視線だけは壇上の柾直近さんに釘付けの状態だ。
原稿などない。アドリブで話し続けている柾さんは、絶妙なタイミングで新入社員たち1人1人の顔を見つめ返している。
粛々とした舞台。言い淀まぬスピーチの中、時折挟み込まれる手の仕草は流れる水のよう。全てが流麗だった。
校長の挨拶然り、社長の挨拶然り。普通『スピーチ』と言えば、退屈極まりない工程ではなかったか? 
少なくとも、自分にとってはそういうものだった。
それなのに、このスピーチだけは。柾さんだけは違った。
内容は重複したりせず、指示代名詞である『こそあど言葉』が一切ない。
だからとても聴き易く、何よりずっと聞いていたい声音なものだから、心地良くて仕方ない。
恐らくはここにいる新入社員たちのほとんどが柾さんを尊敬の対象と見なしたに違いない。そんな僕は、とっくに柾信者である。
柾さんは、しごくナチュラルに自身の腕時計に視線を落とした。
何故時間の確認を? と思ったが、そうだ、スピーチには終わりがある。延々とは続かない代物だ。
僕も膝の上に置いていた左手に視線だけを這わし、腕時計を見た。
(なんてこった! 既に5分を切ってるじゃないか!)
もっと聴いていたいからこそタイムリミットの存在が惜しく思え、また残念でもあった。
残りあと2分。それでも唐突に終わる様子はなく、まとめに入るその過程すら鮮やかなものだった。
終わり10秒前。9、8、7、6、5秒前、4、3、2、1、
「以上です。社員代表、柾直近」
ジャスト10分。柾さんはマイクの電源をオフにする。
数拍の間があり、やがて割れんばかりの惜しみない拍手喝采が、暫く場内を支配し続けていた。
「すげぇな……」
隣りの椅子に座っていた同期が感嘆を呟き、いまだに賛辞を浴び続けている目映い照明下の柾さんを食い入るように見つめていた。
確か、平塚といったか。
僕の視線を感じ取ったのか、平塚がこちらを向く。色素の薄いブラウンの瞳が珍しく、思わず魅入ってしまう。
「えっと、おたくは? 不破くんね。不破くんはどこの店に配属されたんだ?」
僕のネームプレートを見て苗字を確認し、一切の人見知りをしない平塚は右手を差し出し、握手を求めてきた。
まさか声を掛けられるとは思わなかった。社会人としての第一歩。僕も握り返す。
「不破でいい。岐阜店だ」
「お! 近いじゃん。俺、名古屋店なんだ。売り場は?」
「ドライ」
「一緒じゃねーか! へへっ、これからよろしくな! 不破」
社会人にあるまじき、単語のみの返答だったにも関わらず、平塚は気にしていないようだった。
必要以上に話さなかったのは早くこの場を退散して岐路につきたかったからなのだが、平塚はお構いなしに話しかけてくる。
「あの柾さんって人、凄かったよなぁ。いつかあのひとの下で働いてみたいな!」
それは僕も同感だった。
「そうだな」
賛同の意を伝えたところで司会者から解散の号令が出た。どうやら式はここで終わりのようで、各々自由行動となった。
帰る者もいれば、早速同期の仲を深めようとしている者もいる。
平塚は既にフレンドリーなスキルを発揮し、他の同期に声を掛け、談笑していた。
出口に向かおうと歩を進めたところで、タイムリーなことに柾さんを発見した。
ここまで背広が似合い、仕事も完璧にこなすビジネスマンがユナイソンにいたなんて。
気付けば「あの!」と柾さんを呼び止めていた。
「なんだい?」
心臓が高鳴る。一瞬で雰囲気に呑み込まれてしまった。圧倒的な存在を前に、僕は絞り出すように言うのがやっとだった。
「えっと……、その……柾さんのような社員に、僕もなりたいです……!」
彼は僅かに目を見開いた。そして、ふっと笑う。
「やめといた方がいい。ろくな社員にならないから。……だが光栄だ。頑張れよ」
「はい!」
最後に僕の肩を1回叩いてから、柾さんは会場から姿を消した。
「くぁ~、かっけ~! なんだよあの大人の雰囲気! 切り返し方! 絵になるなぁ」
いつの間に背後に来ていたのか、柾さんの後ろ姿を見送りながら息巻く平塚である。
(柾……直近さん……)
尊敬出来る上司が同じ会社に居ると知った。
何があっても頑張れそうな気がして、僕は力強く拳を握った。
ぶるりと身体が震える。それでも口角が自然と上がったのは、未来に対しての武者震いに違いなかった。



改2018.11.07

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