G3 (―) 【Find Out!】
日常編 (―) 【Find Out!】[ネオナゴヤ店 バックヤード AM9:37]「麻生、読んだか?」素っ気ない言葉に麻生環が振り返れば、そこには1枚の紙を渡そうとしている柾の姿があった。「見て分からないか? 生憎、両手が塞がっていてね」吐き捨てるように麻生は応じる。柾だって知っているはずなのだ。なぜならば、麻生はかなり大きな荷物を抱えているのだから。店頭にディスプレイするための見本品。最新の空気清浄機だ。それほど重くはないのだが、なにせ嵩張る代物だった。だから何だとばかりに柾は視線を麻生に向け、平然と続ける。「口がある」「……あと数歩で売り場なんだがな? 俺は空気清浄機を両手で持って、なおかつ口で紙を咥えにゃならんのか? どんな絵面だ、阿呆。いいから、概要を話せ。そこまで言うからには、緊急連絡網なんだろ?」「あぁ。ここ最近の店内トラブル一覧表だ。万引き・カツアゲ・暴行、等々」「何も今に始まったことでもないだろうに。俺のポケットにでも捻じ込んでくれ。後で読む」柾の瞳が一瞬光ったのは気のせいだろうか――麻生の口元を狙っている気がする。結局はそれも杞憂だったようで、柾は麻生のスラックスに手を伸ばし、ポケットに手を掛けたところで……。「あーそーぉさんっ!」麻生の背中に平手打ち。力任せの暴挙は稀代のトラブルメイカー、平塚鷲によるものだった。「平塚っ! 痛ぇよ馬鹿!」「あれー? 柾さん、何スかその紙?」「緊急連絡網だ」「え? 俺、まだ見てない」驚くべき速さで柾の手から紙を抜くと、平塚は文章を斜め読みする。ふーん、と短い感想を漏らすと、にっこり微笑む。麻生の眉根が寄る。平塚の笑顔など、悪魔の頬笑み以外のなにものでもないからだ。「おい平塚、」「ほいっ、麻生さん☆」嫌な予感が的中した。麻生の口に差し込まれる1枚の紙。「「ハイ・ファイブ!」」柾と平塚が、お互いの手を叩き合わせた。こういう時だけ示し合わせたかのように息がぴったり合う2人のコントに、麻生は膝の部分を使って平塚の背中を軽く蹴り入れた。*[ネオナゴヤ店 AM10:54]千早歴の困った顔を見て、麻生は『何が彼女を困らせているのだろう?』と考えた。自分がPOSルームに来るまで、彼女は穏やかな笑みを湛えていた。とすれば、原因は自分側にあるとしか思えない。しかし、自分は「オーディオプレイヤーの1週間の売り上げデータを教えて欲しい」と頼んだだけである。いつもなら30秒もあれば、歴が微笑みながら個数を教えてくれるはずだった。だが今日に限ってその表情は険しい。「どうしたんだ? ちぃ」歴は解せない顔で麻生を見、椅子を回転させて再びパソコンの画面に向き合った。「これ……おかしくないですか?」「おかしい?」どういう説明をすれば伝わるだろうかと、歴の目が訴えていた。麻生は、歴の隣りの空席――今日は休みである、潮透子の席だ――の椅子を引くと、背もたれ部分を前に持ってくるように腰かけた。「売り上げ金額が合わないような……」そう言うと、キーボードを操って画面を切り替えた。麻生に見えるように、歴はパソコン自体を斜めに向ける。「ここを見て下さい。本来ならば、この商品は16,000円で……4つ売れたんですから、ここの数値は64,000円にならなければなりません」「あぁ。それは分かる」「でも59,200円になってます」「……ほんとだ」「この1週間の内に、特売でも掛けました?」「いや? そんな指示、俺は出してないぞ。……おかしいな?」またもや画面を切り替え、歴は値段の推移を確認する。「そうですね……おかしいです。POSオペレータの誰1人として、その商品の値段を変えた形跡はありません」ネオナゴヤ店のPOSオペレータは3人。千早歴に、彼女の数年先輩である潮透子、そして指導者の地位にいる八女芙蓉だ。歴はまだ新参者とは言え、芙蓉直々の指導を受けている。ネオナゴヤという新店に来られたのも、その能力が買われた結果だろう。「単純に割るとどうなる? 1台14,800円で売れた計算だな」「でも、そんな値段の入力はしていないと、パソコン自身が言っていますし……」「うーん……?」結局、歴の笑顔は見られないまま、麻生はPOSルームを後にした。*[ネオナゴヤ店 AM11:04]POSルームを出た麻生は、犬君とぶつかりそうになった。慌てて回避する。「……っと、悪ィ!」「こちらこそすみません、麻生さん」「おー、凄い量だなー。どうしたんだ?」犬君は、台車に溢れんばかりの商品を運んでいる最中だった。味噌、醤油、飲料など多岐に渡る。「他の支店で新商品フェアをやったんですけど、見事にドボン。とてもさばき切れないから、ネオナゴヤでも売ってくれ! と頼まれました。確かに売れないんですよ。10%OFFにしていたけど、40%OFFにしてしまおうかと思って。どうせうちの店の懐は痛まないですし」「見切り品にするのか。シールを貼るのだけでも一苦労だな」「本当ですよ。シール代だって馬鹿にならないし。寧ろ、シール代で売り上げ消えますからね。笑えませんよ」犬君はひらひらと『40%引き』と書かれたシールの束を麻生に見せる。瞬間、麻生に閃くものがあった。「……そうか……!」「?」「今度お前にメシ奢ってやるよ! 感謝な!」「……僕、何かしましたっけ?」「したんだよ。そうそう、あの緊急連絡網見たか?」「万引きや悪質な手口での犯行が増えてるという通達書のことですか? 見ましたけど」「うちも被害出てるんだよな?」「どうでしょうね? 確かに近隣店舗での報告例は多かった気がしますけど」「どうやらこの店も狙われつつあるらしい」*[ネオナゴヤ店 PM1:12]ネオナゴヤ店の食堂。麻生はフライドポテトを1本掴むと、それを振りながら言った。「答えは単純な計算で出た」「単純な計算?」サラダをすくいあげた手を止め、歴は首を傾げて麻生をキョトンと見る。「あぁ。3台は普通に売れたんだ。16,000円で。すると48,000円になる」「えぇ」「実際の売上金額は59,200円。残りは10,200円だ。これは定価の三割値に相当する」「なるほど。犯人は『30%引き』のシールを商品にこっそり貼ってレジを通ったというわけか」柾はスマホの電卓機能を使って試算していた。柾の前には相変わらずBOSS缶のブラックが置いてある。「よくもまぁ、そんなことを考えるもんだ」「万引きに匹敵する、かなり悪質な手口ですね」「シール以外にも、紙で『30%引き』と書かれたものもあるからな。それだと、紙の上部分をセロハンテープでくっ付けるだけで出来ちまう」「どこかの別の見切り商品に貼られたソレを、単に貼りかえるだけの手口なんて……。凄いことを考えますね」「幾つか対処法が思いつかないでもない。早速、本部に報告しておくよ」「これで、犯行が減るといいですね」「だな。これにて一件落着」「凄いです、麻生さん! もしかしたら、金一封が出るんじゃないですか?」「はは、出ない出ない。もし出たとしても、不破に奢ることになってるけどな」「じゃあ、私がそこのジュース1本奢っちゃいます!」「千早、僕には?」「柾さんは既に珈琲を飲んでらっしゃるじゃないですか」その答えに、柾は自分の缶コーヒーを麻生の手に握らせた。「麻生なら、これで十分だ。僕に飲み物をくれないかな、千早?」「……もぅっ! 分かりました、柾さんと麻生さんの分、ちゃんと用意しますから」「お前、どれだけ大人げないんだ……」「なんとでも言え」立ち上がった歴は、食堂の端に置いてある自動販売機へと向かった。やがて、その腕に3本の紙パックジュースを抱えた彼女が帰って来る。「はい、麻生さんっ」手渡す歴の笑顔を見て、麻生の口端が上がる。(金一封だって? 馬鹿な。俺には、これで十分だ)「ありがとさん」紙パックを受け取ると、大事そうに懐へとしまう。これは今日1日のご褒美として、帰宅してから飲もう。取り敢えずは柾がくれたBOSS缶を飲み干し、麻生は煙草のフィルターに火を付け、美味しそうに煙を燻らせた。2009.09.022020.02.19 改稿