亜希菜のコラム【亜希菜のコラム vol.2】文/岩橋亜希菜 text= AKINA IWAHASHI --------------------- 芸術と新価値 芸術とはなんだろうか?新しさとはなんだろうか? これらの言葉は一瞬、特別なことを通しての見えられるような印象を与えます。 しかし、彫刻が彫刻でありつづけながら、絵画が絵画でありつづけながら、 また建築が建築でありつづけながら新しい表現を見出しています。 ビザンチン、ロマネスク、ゴシック、ルネサンス、マニエリスム、バロック・・・ その後新古典主義、偽古典主義、アール・ヌーヴォー・・・ しかし我々はその表現を見るとき、つい表面の像に心を奪われがちです。 そんな疑問は19世紀 Huebsch("ue"はUのウムラウト:Heinlich Huebsch 1795-1863) の書にも見出されます。 そのなかで様式、つまり現れ方は変化していますが、柱は柱でありつづけています。 かつて生きていたものに対峙する時には、 その時代の感覚で対象に向かわねばなりません。 それが生きた時代の感覚で・・・ 石は切り出された荒々しい姿、磨かれ輝いた姿、全く異なる姿を我々に見せてくれま す。 どちらが本当の姿ということではなく、それぞれが同時にその本質を表しています。 石の彫刻・・・・これも同じです。彫刻家は素材である石に向かい、そこに内在する 形象を素材と言う物質の世界から彼の精神の光を通して、光の世界へと表出させてい るのです。 可能性と真実を見出し、それを表出させることが芸術なのだと思うのです。 エンテレケイアはエネルゲイアにおける最終段階ではなく、 一つの次元としての様相ではないだろうか? デュナミスについての説明のなかでアリストテレスは、 「自然は運動の原理であるが、他のものの内にあるのではなく 自分自身として自分の内にある」と言っています。 ひとはひとであり、自分は自分でしかない。 しかし一人ひとりにはまだ見ぬ無数の価値があり可能性があります。 「そんなものはない」とある人は言うかもしれません。 「それはあるタレントによって新たに生み出されるものだ」というかもしれません。 しかし、めしいた人にとって色彩の世界は存在しないように思われますが、 治療によって目が見えるようになったとき、 健康な視力を持っている人には既に感覚されていた色の世界が認識できるようになり ます。 つまり認識には常に感覚能力が先行することを忘れてはいけないのです。 自らを磨き、その光を、ある対象の奥にある光にあてるとき その対象は実体の真実を語りはじめるのです。 新たな、まだ見ぬ側面を表すのです。 文/岩橋亜希菜(いわはし・あきな) AkinaDesign代表 -------------------------------- ■AkinaDesign 岩橋亜希菜プロフィール 表現主義から有機主義の建築の研究からシュタイナーを知り、1984年よりシュタイナーの理論である、アントロポゾフィー(人智学)を学び始める。 1989年89-90年度国際ロータリー財団留学生として、アントロポゾフィーの芸術大学、 “アラーヌス造形芸術大学建築学科”(ドイツ・ボン=アルフタ-)に留学。シュタイナー理論を基にした芸術論、建築を学ぶ。1991年10月Diplom。その後当大学の教授であった画家で建築家のFrank-Rüdiger Hildebrandt氏に師事し“Freie Waldorfschule Heidelberg” 第3&4期工事等の設計を担当、1992年10月帰国。1993年~2002年 東海大学工学部建築学科上松研究室助手として設計研究に従事。1993年~1998年中央工学校兼任講師(担当:設計製図&芸術系特別講義)。横浜シュタイナー学園の設立に際して同校校舎内装及びファサードの設計協力。 現在はAkinaDesign として設計・デザイン、及び執筆、講演活動に従事。 ■LINK シュタイナー教育とは?(Wikipediaより) ・亜希菜さんの考えていたことと同じことをシュタイナーは考えて いた・・・という逸話があります。。。。 亜希菜のコラム(バックナンバー) ・BE☆SEE創刊号での「亜希菜のコラム」。こちらもぶっとんでます。 Heiz銀座 ・亜希菜さんの銀座オフィス。 ■「エエ~?!度 100」 (内訳:TQ度100・BQ度150・銀座度50) 体験したことのない感覚の世界からの文章です。。 ぶっとんでます。。。汗(編集部) 目次に戻る ■バックナンバー 【創刊号(2/15発行)】 Heiz銀座広報誌【新価値通信BE☆SEE 第1号】 |