八田さん【八田入覚の説法 vol.7】あきらめる text=Nyukako Hatta ------------------- 「あきらめる」と言う響きはどのように聞こえますか?そして、どんな時に使っていますか? 財布をなくした時、失恋の時、ダイエットがうまく行かない時と良い意味ではほとんど使っていないようです。 マイナスのイメージとして捉えることが多いのではないでしょうか! 実は「あきらめる」という言葉は仏教から来ているのです。知ってましたか? 「あきらめる」とは、漢字で諦観(たいかん)と現します。これを訓読みすると「あきらかにみる」と読みます。 これは『宇宙の真理を諦(あきら)かに観る』という意味になります。 ちなみに“諦”とは真実を曇りの無い眼で見ると言う意味。 ここで言う「真理」とは以前おこなった良いことや悪いことに対する報いであり、 いずれにしても良いも悪いも自分の行為の結果と考える因果の道理のことをいいます。 仏教で言う「あきらめる」とは、因果の道理を曇り無き目でしっかりと観ることで、 なぜ自分にこんな報いが来るのかが分かり、原因をどこまでも突き詰めて明らかにし、 二度と同じ失敗をせぬよう努力する様を言います。 これからは、ただあきらめてしまうのではなく、何が原因なのか、明らかに観ることを心がけてみませんか。「あきらめる」とは、決していい加減にしてやめたり、ごまかすこととは違うのです。 覚醒士 八田入覚 ------------------------------------------------------- ■LINK 株式会社浄福 ・仏教心理アドバイザーである入覚さんにどんなことが相談できるのかが書いてあります。じっくりとどうぞ。 八田入覚ブログ ・かなり砕けた感じで書かれています。 ■Heiz新価値度66(内訳:サ度100・TQ度100・BQ度80・銀座度0・EGDE度50) コトバって今使われている意味はほとんど「語源」とちがうんじゃないか・・って気になってしまいます。どこでどう何が加わるとこうなるんでしょうか?(編集部) ■関連記事 ・天竺バンド「お墓サンバ」へGO! ・世直しなら萩野さんのコラムへGO! 目次に戻る Heiz銀座広報誌【新価値通信BE☆SEE 第7号】 |