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テーマ:アメリカ旅行記/生活記(952)
カテゴリ:思えば遠くに来たもんだ
クスコ2日目。この日はクスコ郊外の昔と変わらぬ生活を続けている、アンデスの村々を訪ねました。アンデスの高山とウルバンバ川が流れるこの地をValle Sagrado de Los Incas (聖なる谷)と呼んでいるそうです。
今日のガイドさんは女性。「『パチャママ』と呼んでね・・あなたたちは『パチャママ・チルドレン』ね」と。『パチャママ』とはケチュア語で「大地の女神」をあらわし、旅行中もよく耳にする言葉でした。 アンデスの山々に囲まれたこの地では米、芋、とうもろこしなどの穀物が栽培され、キノアなどとよばれる赤い実が実っていました。そう・・ここは南半球なので丁度刈り入れ前の季節なんです。フジモリさんが大統領時代(日系人以外はフヒモリさんと呼ぶそうです)、このアンデスの村に太陽ソーラーや設備投資をしてくれ、かなり生活の水準も上がったそうです。その一方で、結婚前に4~5年同棲し、結婚後は離婚を認めない・・という昔からのしきたりも慣行され続けているそうです。 ピサック市場 アンデスの人々にとって物資の供給場所として市場はとても大切です。ピサックの市場は火・木・日の週三回たち、私たちは平日の市場狙いで旅行も組みました。日曜日は観光客も多く、値段も倍するそう。ここでお土産をまず物色。コカのキャンディーや陶器、ニットや刺繍の手作り製品、銀製品のアクセサリーなど所狭しと並んでいます。ペルーでのショッピングはここが始めてで、かなり鍛えられました。なんとなく相場を知ったり、お店の人と値段交渉の駆け引きを1時間ほど楽しみました。 オリャンタイタンボ 聖なる谷の中心にあるのがオリャンタイタンボ。段々畑が連なる風景はマチュピチュを彷彿させます。アドバイスとしては先にオリャンタイタンボを見てからマチュピチュを観た方が感動が違います。先にマチュピチュに行った人は「マチュピチュの凄さを観ちゃうと小さく見える・・」と。話をききながらこの遺跡で満足していた私は、マチュピチュを観る楽しみが一気に加速しました。 ここはマチュピチュへと続くインカ道の途中にあり、旅籠でもあったそうです。スペインの征服者たちがきたときには、ここで彼らを撃退したそうです。近年、段によって年代の違う穀物が発見され、プレインカ時代から使われていたとわかっているそうです。 正面の山にわざと凹凸をつけ、陽の上り方の位置によって夏至や冬至、穀物の収穫の時期などを知ったそうです。 チンチェーロ オリャンタイタンボからもマチュピチュ(アグアス・カリエンテス)行きの電車に乗れるため、ここでバスを降りる人も結構いました。残った人たちで最後の観光場所チンチェーロに向かいました。チンチェーロにも小規模ながら市がたち、小銭入れを購入。こちらにもインカの石組みの上にスペイン風の教会が建てられています。入り口には清水があり、今でも村の中心のようでした。 教会に行く前に寄らせてもらった地元の工房。地域によって民族衣装が違うのですが、この村では原色に近い色の繊維製品を着ていました。綿を洗剤でよく粗い、天然素材で煮込むことによって色を付け、糸にし、柱にセットして機を織ってゆくそうです。 クスコでは立派な教会を何箇所か見ましたが、絶対に教会内のモノを人々は盗まないそうです。アンデスの民にとって労働と信仰は生活の根本なんですね。 パチャママが「この聖なる谷に空港を作る話があります・・」と言っていました。確かにマチュピチュ目当てでこの地を訪れる人が多く、リマよりもクスコに空港があった方が便利かもしれません。が、この風景が消えていくことはとても悲しいことです。高度がリマと違うので話が頓挫するかもしれませんが・・とも言っていました。 ※4/15~4/23のペルー旅行の日記です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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