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ヒロガルセカイ。

ヒロガルセカイ。

9。

   9。

そのまますがりつきたい気持でいた夕映の前に、高尾太夫つきの禿が・ついと裸足の脚を一歩進めました。
じろりと睨みつけるその仕草は、おそらく夕映をよくは思わぬこころがあるのでしょう。
「高尾兄様。西田屋の旦那様がお見えでありんすよ。」
「そう。じゃあ、行くか。」
高尾太夫がそう返事した途端に、その禿は高尾太夫の手を取って・自分の胸元に引き寄せました。そして腕に頬ずりをします。
「濃紫・重い。」
「だって兄様。西田屋の旦那様ときたらひどいんですよ。俺を泣かそうとするんで。」
「おまえは泣くようなタマじゃないだろ。どけ。重い。」
手を振りほどこうとしますが、今度は腰にしがみついて離れません。
この禿、おそらくは夕映よりも年下。
名前を濃紫。まだあどけない顔だちの少年ですが、噂では高尾太夫の代わりに客と床をとったことがあると聞きました。
高尾太夫がそのことを許しはしないと夕映は思います。
本来なら、禿も新造も床はとらないのです。
あくまでも見習いですから。
でもこの濃紫から漂う子供らしくない色香に、夕映はこころ穏やかではありません。

勿論、濃紫に花魁としての床での所作を教えているのは、高尾太夫です。

自分には最後までしてくれない高尾太夫が、この禿をもしや・・と考えるだけで胸が痛くなります。
兄様を信じたくても、もともと高尾太夫は自分のものではありません。
今、濃紫がしがみつく・その腰すら、自分は触れたことがないのに。

呆気にとられる夕映を・・禿が一度、返り見ました。その思いを含めた絡み付くような視線に・・夕映はぞくっとしました。
この感じを、ついぞ受けたことがあります。
司。
そういえば、あの子は何処にいったのでしょうか。

「夕映さん。次の座敷に行きましょう。」
霜柱が促します。
「はい・・。」
今にも泣き出しそうな夕映に、霜柱は小さくため息をひとつつきました。
どうしてあげることもできません。
でも仕事をさせないと、夕映はいつまでもここにいなければならないのです。
稼がせて、早く花魁から足を洗わせてあげたい、おそらく高尾太夫もそう思っていることでしょう。
霜柱は仕事に徹しなければ、迷うことを知っていました。
ほかごとを考えていて歩みの遅い夕映を、急かすことも出来ないのに。
「夕映さん。早めに<お引け>(客に遊ぶ時間の終わりを告げること。)の声をかけますから。」
「はい・。」
「司さんも呼びましょう。あなたひとりでは、心もとないですね。」
「霜柱。」
「はい、なんでしょうか。」
「俺は・・今、どんな顔をしていますか?お客様の前に出ても恥かしくない顔をしておりますか?」
語尾は涙声でした。
「化粧が落ちますよ。」
行灯でそっと照らした夕映の頬に、つつ・・と流れる涙。
「しっかりなさってください。」
「でも、」
「折角、高尾太夫さんが客を集めてくださったのですよ。この機会にいい旦那さんを作らなくてどうしますか。旦那さんをつけませんと、あなたを心配されている高尾太夫さんにも申し訳ないじゃないですか。」
霜柱は、仕事に徹するしかありません。
そうは理解していても、目の前で泣くこの夕映に、伝えきれない思いがあるのです。
焦がれる思いは同じです。
「そうでしたね・・。」
ぐすっと鼻声です。
これでは花魁として客の前に出せません。
どうしたらいいのか・・霜柱も迷います。だんだん迷いは大きくなっていきます。こころの中で膨らみます。

歩みを止めたふたりしか、この廊下にはいません。

霜柱は行灯を床に置きました。
視界は真っ暗です。やがて目が暗闇に慣れてきて・ぼんやりと夕映の顔が見えました。

「こころが揺れるのは存じております。でも、どうか仕事をなさってください。」
霜柱は、そっと夕映を抱き締めました。
「・・?」
夕映は何が起きたのかわかりません。
ただ・・かすかに汗のにおいがする首筋。
手触りのいい綿の着物。
「・・草の匂いがします。」
夕映は霜柱の胸の中で鼻をすすります。
「懐かしい・・草の匂いがします。あなたから。」
「俺は夕映さんとは違って、外を走り回ることもありますからね。」
「・・いい匂いです。兄様とは違うけれど、落ち着きます・・。」
落ち着くと言う・その割りに、霜柱は自分の胸元が夕映の涙で濡れていくのを感じていました。
自分の想いを堪えきれないのはここにもひとり。
しかし耳元で小さく呟きました。
「涙を出し切ってください。全部受け止めますから。そうして、早く元の愛くるしい夕映格子に戻ってください。」
嗚咽こそなくとも。
夕映は自分の焦がれる想いを、泣くことでしか昇華できませんでした。

化粧直しに部屋に戻った夕映は、暗闇の中にうごめくものを見ました。
狸でも入り込んだか?と訝しげに見ていたら。それがひょいと顔を向けました。司です。
先ほど自分が客と交わった床に、司が寝転んでいました。
「司。・・酒宴に行かないと。」
「夕映兄さんこそ、どないしはった?・・あれあれえ?」
がばっと跳ね起きて、ささっと近寄ります。
行灯の無い暗闇の中で、かすかに獣のような匂いがしました。
「ウサギさんみたいな赤いお目目やんか。ようく見せて。」
顎をつかんできます。夕映にとって、そんなことを許せるのはあのひとだけです。
「つかさ!」
手を払うと、睨みつけました。
「・・どないやの?兄さん。おっかしなひとやなあ。俺は兄さんの新造やで。兄さんが俺に色々教えなあかんとちゃうの?」
「司に教えることは何もないでしょう。司は島原で学んだと聞いています。」
「知りたいねんて。あの・高尾太夫が仕込んだ所作を。兄さんは高尾太夫の新造やったそうですな。・・ねえ?さっきまでここでしてはったことを、俺にも教えてくださいな。」
首を傾げてのらりくらり話します。
構えないと決め込んだ夕映は司を無視して、化粧道具を暗闇の中で探そうと腰をかがめました。
隙を伺っていた鬼の手が、夕映の腰に伸びていきました。



怖い禿と新造です。10話に続きます。。10話へ続くのでありんす。




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