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ヒロガルセカイ。

ヒロガルセカイ。

18。

   18。

冷気のこもる土間は、窓が無いので昼間でも暗い陰気な場所でした。
見世のものに怒鳴られはしませんでしたが、夕映の耳には聞きたくもなかった人々の罵声がしっかりと張り付いておりました。
悔しい、その気持だけです。
不本意ながらひとの一生を左右する立場にいること、もっと自覚するべきでした。
夕映は自分を責めつつありました。

「怖い顔をしているね。夕映。」
穏やかな声と・・広がる香り。
顔を上げると、薄暗がりの中に高尾太夫が立っておりました。
「・・高尾兄さま。」
泣いた様子はありません。しっかりとした声です。
花魁のなかでも2番目のランクである格子の名をはる花魁です。
この年でも、そのランクにつけばおのずとプライドもありましょう。
「悔しいかい。」
「いえ、」
「いいんだよ、その感情は恥かしいものではない。」
何も聞かずに伝わるものなのですか、
夕映が羞恥心で顔を赤くしてしまうと・・
「こんな暗がりだと、顔がよく見えないな。」
ふっと笑った気がしました。
膝を折って、着物の裾が割れるのをお構い無しにその場にしゃがむと、夕映の手足の紐を解きました。
「夕映。今から働けるか?」
また仕事の話です。
覚悟を決めたとはいえ、心が砕けそうです。
「高尾兄さまが・・そうおっしゃるなら。」
「俺じゃない。おまえが決めることだ。」
そう言いながら、夕映の髪をやさしく撫でます。
「ああ、こんなにぐしゃぐしゃにしてしまって。格子の名が泣くぞ?」
「高尾兄さま、俺は・・いつまで働けばいいのでしょう?綺麗に着飾って見世に出て・・男に買われて。・・床をとって。俺は、」
夕映が堰を切ったように感情をむき出しに話し出したので、高尾太夫の手が止まりました。
「働かないと出れないよ、この遊廓からは。」
「高尾兄さまはもう遊廓を出てしまうのに。俺はいつまで・・。」
寂しいと思うのか、それとも置いていかれるのが嫌なだけなのか。
高尾太夫は騒ぎ出した唇を、そっと吸いました。

暗闇をさまよう夕映の細い手は、高尾太夫の肩に巻きつきました。

懐に飛びこんできた夕映を、高尾太夫は初めて受け容れました。
抱き返す腕の力に、夕映が顔を上げます。
「そんなに驚くことか?」
優しい微笑が、いつもよりも近くにいてくれる。
呂の字をねだって唇を近づけてみると、応えてくれました。
まるで花魁としての作法を教えてくれていた、あの頃のように。
お客には触れさせない唇を自分には許してくれている、夢中でしがみついて離れたくなくて、抱き締めていました。
「力を抜け。」
高尾太夫に言われるままに腕の力を抜くと、首筋を舐めてきました。
「に、兄さま・・。」
「先ほどのような怖い顔では、台無しだからね。いつも俺を見るときの気持を思い出しなさい。<欲しい>と、そう訴えるあの目を使わないと商売にならない、」
「そんな。」
自分の気持を知りながらどうして。
抱いて欲しくて、傍にいたくてたまらない気持で生きてきたのに。
泣くのを堪えて震える体を眺めると、「これも支度だよ。」

高尾太夫が夕映の帯を解いて泥に汚れた小袖を脱がせました。
長襦袢姿になった夕映は、先の客の匂いがしないか不安になりました。
この長襦袢を外すと腰巻と湯文字に巻かれた体しかありません。
まだ風呂に入っていないのです。
でも高尾太夫はお構いなしでした。それどころか自分の香りを夕映に移したいようにも見えました。
「高尾兄さま、」
苦しげな声が漏れます。
「・・夕刻は俺と一緒に花魁道中をしてもらうよ。馴染みの客が来るからね。おまえを売り込むから、お供しなさい。」
「禿ではなくてですか・・っ。」
「おまえの悪口は言わせない。嫌な噂も吹飛ばしてやるよ。松葉屋の太夫が育てた格子の無作法はありえないと。
おまえは今のその顔でいればいい。この逆境を踏み越えて見せな。」
指だけなのに、なんて淫猥な動きなのでしょう。
夕映は声を押し殺すのが精一杯です。
耐え切れなくて先走った夕映に、
「湯を用意させたから。支度しなさい。」
「あの、兄さま。俺の罰は・・。」

「おまえにはこの見世からの罰などないよ。泥を落としておいで。誰もが振り返る夕映格子になりなさい。」
にっこりと優しく微笑んで、スタスタと土間から出て行きました。


その頃松葉屋の2階では、司が霜柱の行く手を遮っておりました。
「あのひとには、腕に彫るまで惚れた<いろ>がおるんやからな。」
司が何故そこまで知っているのか。
霜柱が怪訝な顔を見せると、
「島原でもよう聞いた。吉原で名のとおる松葉屋の高尾太夫の綺麗な体には、さとに残した<いろ>の名が彫られてるってな。」
司が得意げです。「実際、一緒に風呂に入ったからこの眼で見たんや。」

<いろ>がいるなら、尚更早く帰りたかろう。
霜柱は高尾太夫の身の上を思いました。
自分も恋を知ったせいか、この焼けるような恋焦がれの炎を・あのひともこころ密かに宿しているならと。
「でも。おっかしいんやで?文は来るのに返事を書かないんや、あのおひとは。」
「文?」
霜柱は、高尾太夫付きの男衆が、太夫宛ての文を持って部屋に行くのをよく見ています。
馴染みの客からの文やら、たまにさとからの文もあったようでした。
「そういえば、あまり高尾兄さんは文を書かれないな。」
自分が言付かったのは一度きりでしたし。
「さとには親もいるやろうに。文を書かないなんてなあ。どないやねん、俺やったら、あない美人、ほかに<いろ>があるんやないかと勘ぐってまうわ。」

「ほかに・・。」
霜柱は、こころがざわつきました。
「腕に彫った名前かて、焼けば消えるんやで?いったいけどな。」
司の言葉が、霜柱のこころをかき乱しました。



19話へ続きます。19話へ続くのでありんす。



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