9.9.髪を撫でられて、俺は正気づいた。 「あ、あの。惚れるとか有り得ませんから」 「ふん? 私は自惚れているのかな?」 暖簾をくぐり、そのままドアから店を出た。 このクラブは地下にあるので白塗りの階段を上って地上に出る。 その間、俺が歩いても音はしないのに風雅さんが歩くとカツカツと小気味良い靴音がする。 「その靴って」 「なんだ?」 「高いんですよね」 「高いか安いかは、その人の基準だろう? 私はこの靴が気に入っているから、同じメーカーの靴を何足か揃えているが高いと思ったことは無いな」 (げ、格好良い……) 値段にとらわれる自分の価値観を否定され、まさに目から鱗だ。 俺達は有名ブランドの物を持てば自分の価値が上がった気になってすましているが、実際は使わないうちに飽きて箪笥の中に眠るか買い取り店に持ち込むかのどちらかだ。 風雅さんのように値段は関係なく、自分に合うものを選択して揃えるのは、クールだ。 俺もそうしてみたいが先立つ金が無い……。 「俯いて、どうした」 「考えごとです」 先ずは家計だ、母さんを助けたい。 余裕があれば自分の服も格好良い物を揃えたい。 それにはあの出会いカフェで稼ぐのが近道だ。 今日だって一万五百円の収入があった。続ければすぐに家賃分になる。 俺が俯いたまま唇を噛んだ時、風雅さんの尖った靴の先に当たって躓いた。 驚いて顔を上げると風雅さんが俺の正面に立っていた。 いつの間にか階段の上り口に来ていたのだ。 「何を考えている?」 「別に」 人に言えることではない。 「道を誤るな。目先の小銭を追って出会いカフェで働くようではおしまいだ。一般の会社で働くのが馬鹿らしくなる」 「えっ」 「その驚き方は何だ。さては忠告したのに、あの店でバイトをしているのか」 「あなたには関係ないでしょう」 「大有りだ」 風雅さんは「世話が無い」と溜息をつく。 「あの店は組のシマだ。未成年を雇って眺めるだけなら良いが買春の斡旋をされたらお手上げだ。警察のご厄介になり、組のシノギが減る。これは組の死活問題だ。だからクレハみたいな群を抜く子に出入りされると警察が目を付けそうで迷惑なのだよ」 「……すみませんが、あなたが何を言っているのかわかりません」 極道の用語か知らないが全く話が見えない。 無知だと罵られるかと思ったが、風雅さんは頷いていた。 「素直だな。このクラブにはオヤジサンの付き添いで何度も足を運んでいるが、どの女性も曖昧な返事しかしない。意味がわからないと正直に言う子はクレハが初めてだ」 「俺はここに勤めていませんよ」 「ああ。火の点け方でわかるし、何よりおまえからは擦れた感じがしない」 風雅さんが膝を曲げて俺の眼線に合わせてくれた。 その穏やかな表情に親しみを覚えてしまい、見つめられて胸が高鳴る。 「こ、言葉の意味だって皆は知りたくないし、極道に関わりたくないだけでしょう」 「はっきり言う。益々気に入った」 風雅さんは腰に手を当てて微笑んだ。 「あの出会いカフェから場所代と用心棒代を毎月集金している。それは組の財源であり、組に属する者のシノギ……生活費に充てられるんだ。だから、児童買春法に触れることがあってはこちらも迷惑。わかるか?」 噛んで含めるような説明でようやく理解した。場所代を払うことなら俺も知っている。 「でもあの店は、売春の斡旋をしていないから平気でしょう?」 「何も知らないのか。あの店はつい二週間前に警察が事情聴取をしたばかりだ。児童買春禁止法違反の疑いでね」 「ええっ?」 10話に続きます。 |