414.海軍駐在武官(14) 山本大佐は「うん、ルーレットでちょっと稼いでくるんだ」と言った
(カモメ)山本大佐は箱から一本一本取り出して、「ああ、これ駄目」、「これも駄目」と、どんどん自分のポケットに詰め込んでしまうのです。(ウツボ)「なんです、それは」と信子が言うと、「新しいのを買っとかなくちゃ駄目ですよ」と山本大佐は言うのだが、ほかの煙草のみの客の話では、官邸の葉巻はそれほど「駄目」になっているわけではなかったそうだ。(カモメ)当時、武官の後任の補佐官として、山本親雄(やまもと・ちかお)大尉(愛媛・海兵四六次席・海大三〇首席・大本営航空参謀・大佐・第十五海軍航空隊司令・水上機母艦「千歳」艦長・軍令部第一課長・少将・第十一航空隊司令官・第七十二航空戦隊司令官)がいましたね。(ウツボ)そうだね。秀才の山本親雄大尉は山本大佐が何でも「賭けなきゃ、やらん」というのに驚いた。ボーリングが得意で、山本親雄大尉ら武官室の連中三人をボーリング場に連れて行き、「賭けよう」と言うのだね。(カモメ)「僕が負けたら君たち三人に金時計を一つずつ買ってやる。そのかわり君たちが負けたら、僕に金時計を買え」と山本大佐。結局、三人連合軍の方が負けて、金時計を一個山本大佐に巻き上げられたのですね。(ウツボ)このことについて、山本大佐の説に拠ると、ギャンブルというのは、右か左かという場合、十ドル札なり十円札なり一枚置いて自分の言動に責任を持つことであった。責任感の育成だった。(カモメ)山本五十六が若い大尉時代、海兵同期の堀悌吉(ほり・ていきち)大尉(大分・海兵三二首席・海大一六首席・戦艦「陸奥」艦長・少将・軍務局長・レジオンドヌール勲章・司令官第一戦隊司令官・中将・勲二等旭日重光章・予備役・日本飛行機社長・浦賀ドック社長)とやった大きな賭けの清算が未だついていないと言っていたのですね。(ウツボ)それは大正初年のことで、伊勢湾で標的艦の「壱岐」を巡洋戦艦「金剛」「比叡」の艦砲で撃ち沈める実験が行われた。(カモメ)この実験で、堀大尉が「沈む」と言い、山本大尉が「沈まない」と言い、それではと、三千円の金が賭けられました。三千円は、当時は立派な家作が一軒買えるくらいの大きな、無茶な賭け金だったのです。(ウツボ)「壱岐」は沈み、山本大尉は負けた。堀大尉は笑って「そんなもの、取らないよ」と言ったが、山本大尉は承知せず、金は三十二期のクラス会に寄附されることになり、山本は大佐になってからもまだ、その金を月賦で払い込んでいたというのだね。(カモメ)とても普通の感覚では、真似できないですね。自分に置き換えても、とてもできませんね。(ウツボ)そこが、山本五十六という人物だね。さて、山本五十六大佐の前任の駐在武官は長谷川清(はせがわ・きよし)大佐(福井県福井市・海兵三一・海大一二次席・大佐・駐アメリカ日本大使館附海軍駐在武官・戦艦長門艦長・少将・第二潜水戦隊司令官・海軍省艦政本部第五部長・呉海軍工廠長・中将・ジュネーヴ軍縮会議全権・勲一等瑞宝章・海軍次官・第三艦隊司令長官・横須賀鎮守府司令長官・勲一等旭日大綬章・大将・台湾総督・高等技術会議議長)だった。(カモメ)長谷川大佐は山本大佐に申し継ぎを済ませると間もなく、ハバナ見物をしてから日本に帰ることになったのです。長谷川大佐が出発するとき、山本大佐が「僕も一緒に行ってくる」と言い出しました。(ウツボ)補佐官の山本親雄大尉がびっくりして、「武官、着任の挨拶が済んだと思ったら、早速御旅行ですか」と言うと、山本大佐は「うん、ルーレットでちょっと稼いでくるんだ」と言った。(カモメ)長谷川大佐には「心配するな。君の宿賃ぐらい稼いであげるよ」と言い、二人でニューヨークから船でキューバ旅行に出かけてしまったのです。(ウツボ)何日かして山本大佐は、ルーレットのミニアチュアと、ハバナ名産の葉巻を山ほど持って、ワシントンに帰ってきた。(カモメ)「ハバナのカジノで、一晩でこれだけ稼いだんだ。僕の在勤中の接待用に使いたまえ」と言って、葉巻を山本親雄大尉に渡しました。(ウツボ)それから約一年して、山本親雄大尉が日本に帰ることになり、交替で後任補佐官としてワシントンに着任したのが、三和義勇(みわ・よしたけ)大尉(岐阜・海兵四八・海大三一次席・空母赤城飛行隊長・中佐・空母加賀飛行長・霞ヶ浦空副長・教頭・大佐連合艦隊参謀・第一航空艦隊参謀長・戦死)だった。(カモメ)三和大尉が英語の勉強をするのに、「誰かアメリカの偉人伝でも読みたい」と、山本大佐に相談を持ちかけると、リンカーンの伝記をすすめられたという。