2919774 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

意外な戦史を語る~  カモメとウツボのメクルメク戦史対談

意外な戦史を語る~ カモメとウツボのメクルメク戦史対談

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2010.06.11
XML
カテゴリ:ソロモン海戦
(カモメ)戦艦霧島と戦艦サウスダコタは一万メートルの距離から、撃ち合いました。霧島の砲撃は正確でしたね。最初の一斉射撃で、戦艦サウスダコタは多数の命中弾を受け上部構造が破壊されたのです。

(ウツボ)そうだね。ところが、この砲撃戦の途中から、戦艦ワシントンが戦艦霧島に照準を合わせて四十センチ砲を撃ちまくった。霧島は戦艦二艦を相手に反撃することになった。

(カモメ)その結果、ワシントンの主砲弾九発が霧島に命中し、霧島は電信室全滅、前部主砲塔全滅の損害を受けました。だが、霧島もワシントンに命中弾を与えましたね。

(ウツボ)戦艦同士の砲撃戦は想像を絶する、すごさだった。霧島の砲火が弱まるや、ワシントンの四十センチ砲は、霧島の主砲八門のうち、七門までを一挙に粉砕してしまった。

(カモメ)さらに戦艦霧島は多数の命中弾を受け、火災を起こし、比叡と同じように、舵も砲弾の破片で破損し、航行不能になったのです。火災で火薬庫が爆発する危険が迫ってきました。

(ウツボ)そうだね。そこで艦長の岩淵三次大佐(海兵四三)は、キングストン弁を開き、総員退去を命じた。戦艦霧島は昭和十七年十一月十五日午前一時二十五分、サヴォ島西方七・五浬の地点で沈没した。艦長以下千百二十八名が駆逐艦に救助されたが、二百十二名は艦とともに沈んだ。

(カモメ)アメリカ艦隊の駆逐艦四隻は日本艦隊の正確な命中弾でほぼ壊滅し、残りの一隻、戦艦ワシントンだけが奮戦していたが、やがて、離脱しましたね。

(ウツボ)十一月十四日午後十一時三十四分、近藤中将は、ガダルカナル島砲撃作戦の中止を決定し、隷下艦艇に通報した。

(カモメ)この第三次ソロモン海戦の二次戦では、日本側は戦艦霧島と駆逐艦綾波が沈没しました。アメリカ軍は戦艦サウスダコタが中破し、駆逐艦四隻が沈没しました。

(ウツボ)この第三次ソロモン海戦全体では、アメリカ側は多数の巡洋艦と駆逐艦を失ったが、戦艦二隻は沈没を免れた。日本側は戦艦の比叡と霧島を失い、打撃を受けた。

(カモメ)さらに、近藤中将はガダルカナル島の飛行場砲撃を断念したので、戦艦ワシントンに坐乗していた、アメリカ艦隊の指揮官ウィリアム・リー少将の面目は立ち、戦略的勝利を得たと言えますね。

(ウツボ)第三次ソロモン海戦全体では、日本海軍では、戦艦比叡、霧島、重巡洋艦衣笠、駆逐艦暁、夕立、綾波が沈没した。

(カモメ)アメリカ海軍では、軽巡洋艦アトランタ、ジュノー、ヘレナ、駆逐艦バートン、カッシング、ラッフィ、モンセン、ベナム、ブレストン、ウォークが沈没しましたね。

(ウツボ)これは出撃してきたアメリカ艦隊のほとんどが撃沈されたことになる。

(カモメ)ですが、日本海軍も、この第三次ソロモン海戦で、戦艦比叡に加えて、さらに戦艦霧島も失いました。二隻の高速戦艦を失った訳です。開戦以来、初めて戦艦を、しかも二隻も失った損失は大きかったのです。

(ウツボ)第三次ソロモン海戦を終えた、第十一戦隊は、十一月十八日の朝、トラック島に帰港してきた。阿部司令官の坐乗する駆逐艦雪風を先頭に、照月、朝雲ら総数五隻の駆逐艦の小艦艇が入港してきた。

(カモメ)十日前の十一月九日には、戦艦比叡、霧島、を中心に、威風堂々と陣形を組んで出港して行った第十一戦隊の威容はどこにもなかったのでう。各艦はどの艦も敵の砲撃で、被弾し、傷だらけでした。

(ウツボ)これを迎える戦艦大和の艦上には、山本司令長官と宇垣参謀長の姿はなかった。連合艦隊司令部の幕僚十数人が、並んで出迎えただけだった。

(カモメ)宇垣参謀長は日記「戦藻録」にこのときの状況を次の様に記しています。

(ウツボ)読んでみよう。「早朝、戦傷の駆逐艦入港、第十一戦隊の比叡、霧島を欠くは心寂しき限りなり。(略)〇八〇〇第十一戦隊司令官阿部弘毅中将、顎下に弾片負傷の姿にて来訪。隷下の二艦を失いたるに対し、悲痛な報告あり。乗艦を喪うて帰る将士の心情まさに同一なりとす。ことに比叡の処分問題にもっとも心痛し、『かかることなれば、一思いに、比叡にて戦死すればよかった』と思えりと述懐せり。心中推察するにあまりあるものなり」

(カモメ)西田が悲劇の艦長なら、阿部中将は不運の提督と言えるかも知れないですね。

(ウツボ)西田艦長が戦艦大和を訪ねたのは、阿部中将が訪ねた翌日だった。「君に大和に来てもらうつもりだ」と次期大和艦長の椅子をほのめかした山本五十六連合艦隊司令長官が、どのような顔をして西田艦長を迎えたのか、戦前も戦後も西田艦長は一切語っていない。

(カモメ)だが、連合艦隊司令部の参謀達は西田に冷ややかでしたね。「大和艦長という餌食に魅せられ、比叡で死ねなかったのだ」と暴言にも等しい陰口をたたいた参謀もいたといわれています。

(ウツボ)西田艦長の大和来訪について、宇垣参謀長の「戦藻録」には次の様に記している。

(カモメ)読んでみます。「比叡艦長西田正雄大佐、午後来艦す。声涙その苦衷を報告す。余輩極力慰撫につとむ。毎回のことながら、語る人聞く人ともに、これぐらい辛きものはあらざるべし海軍指揮官として、最大の苦悩たるものなり」

(ウツボ)幕僚達の風当たりは強かったが、ひとり宇垣参謀長のみは、西田に同情的であり、武人らしい思いやりを寄せている。

(カモメ)この第三次ソロモン海戦後、ガダルカナル島周辺の制空権、制海権は連合国軍の手中に帰し、ガダルカナル島の日本陸軍は孤立状態になったのですね。

(ウツボ)そうだね。昭和十七年十二月三十一日、日本の大本営は、ガダルカナル島撤退を決定した。

(カモメ)昭和十八年一月二日には、ニューギニア・ブナの日本軍が玉砕しました。

(ウツボ)二月一日から七日にかけて、ガダルカナル島から約一万三千名の陸軍(一部海軍)を駆逐艦で撤退させた。ガダルカナル島での戦病死者は約二万二千名だった。

(カモメ)四月十八日、連合艦隊司令長官・山本五十六大将が、ソロモン諸島最北西のブーゲンビル島上空で、アメリカ陸軍機に待ち伏せされ、戦死しました。

(ウツボ)六月三十日、連合軍は、中部ソロモンのレンドバ島と、ニューギニアのナッソウ湾に同時上陸を行った。日本軍の南東方面防衛線に対する連合軍の本格的な攻撃が始まった。

(カモメ)この流れを見ると、ソロモン海戦を含むガダルカナルの戦いは、太平洋戦争の天王山でしたね。

(ウツボ)そうだろうね。米内光政海軍大将も、ガダルカナル戦での撤退直後、「もはや戦争もこれまでだと思った」と述べている。永野修身元帥も「攻勢から守勢に移った戦局転換期」と記している。

(カモメ)山本五十六連合艦隊司令長官も、このソロモン上空で失いましたね。ソロモンの戦いは日本にとって大きな痛手となりましたね。

(ウツボ)本当に、そうだね。だから、現代の我々にとっても、「ソロモン」という言葉自体が、なんというか、重い感じがするのは、きっと無意識に痛手をこうむった歴史の重みを感じさせるのではないだろうか。

(今回で「ソロモン海戦」は終わりです。次回からは「宮城事件」が始まります)







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2015.08.09 22:40:40


PR

カレンダー

カテゴリ

プロフィール

midway25

midway25

サイド自由欄

浮雲のように
http://syousetu72kenka82.seesaa.net/

お気に入りブログ

お気に入りレストラン ふくちゃん9928さん
猫不足解消 どら猫会長さん

バックナンバー

2024.04
2024.03
2024.02
2024.01
2023.12
2023.11
2023.10
2023.09
2023.08
2023.07

コメント新着

背番号のないエース0829@ 第二次世界大戦 映画〈ジョジョ・ラビット〉に、上記の内…
背番号のないエース0829@ 対馬丸 「外間邦子」に上記の内容について、記載…
くーる31@ 相互リンク 突然のコメント、失礼いたします。 私は…
KenKIRYOKU@ 人間どこまでがんばれるか?についての考察 前回書いたものに、もし誤解が発生、惹起…

ニューストピックス

キーワードサーチ

▼キーワード検索


© Rakuten Group, Inc.