テーマ:意外な戦記を語る(748)
カテゴリ:戦艦武蔵の最期
(クマノミ)ちょっと、いいですか。艦長は大佐や中佐位の階級ですが、武蔵の古村艦長は少将で、アドミラルなのですね。
(カモメ)基本的に軍艦の排水量、トン数が大きいほど、艦長は上級の士官が就任します。帝国海軍の艦長の階級は、戦艦・巡洋艦の艦長は大佐で、駆逐艦や潜水艦の艦長は、ほとんど中佐と少佐です。中には大佐や大尉もいますが。 (ウツボ)戦艦武蔵は大和と同じく六五〇〇〇トン(基準排水量)と当時世界最大の戦艦でした。だから歴代の艦長は四人いますが当初は全員大佐で、武蔵艦長着任後少将に進級している。古村少将も武蔵の艦長に着任した昭和十八年六月九日には大佐だったが、同年十一月一日に少将に進級したのです。 (カモメ)戦艦大和の歴代艦長も六人いますが最後の六代目艦長有賀幸作大佐を除き、全員少将でしたね。 (ウツボ)有賀大佐は戦艦大和艦長として昭和二十年四月九日戦艦大和沈没時に艦と運命をともにして戦死した。少将進級直前だった。だから戦死後二階級特進して海軍中将になった。 (カモメ)有賀大佐は武蔵艦長・古村少将と海軍兵学校四五期の同期でしたね。 (ウツボ)そうだね。戦死特別進級ではあるが、海兵四五期で中将になったのは有賀幸作ただ一人だ。海兵の成績も中以下で、海大も出ていない人だ。 (カモメ)艦長、いわゆる軍艦の指揮というものは、実力本位そのものですからね。戦艦大和艦長に抜擢されるほど優秀な人だったのでしょうね。 (ウツボ)そうだね。さて、話が飛んだが、小山少尉の話に戻ろう。戦艦武蔵の観測機の収納を見ていた小山少尉と田結少尉に近づいてきたのは艦長・古村少将だった。 (カモメ)この時は、すでに古村艦長が少将に昇進していましたから、昭和十八年十一月一日以降の話ですね。 (ウツボ)そうだね。古村艦長は二人に次の様に言った。 (クマノミ)読んでみます。「小山少尉と田結少尉、なぜこの艦載機は甲板の後ろの左舷から収納するのか、宿題を与えるから、明日の昼までに、艦長室に持ってきなさい」。 (ウツボ)翌日の昼、小山少尉は便箋一枚に書いた宿題の答えを持って艦長室に入った。ところが、田結少尉は百ページに渡った答えと数冊の参考資料を持って艦長室に入ったのだ。 (カモメ)艦長室には、指導官の少佐と、副長・加藤憲吉大佐(海兵四七)が艦長の古村少将とともに、待ち構えていました。指導官はガンルーム(士官次室)の教育を担当していたのです。 (ウツボ)提出した宿題の答えを一見して、指導官と加藤副長は次のように言ったんだ。 (クマノミ)読んでみます。「海軍兵学校と高等商船学校とは、やはりちがうな」。……これは、どういう意味でしょうか? (カモメ)つまり、海軍兵学校の方が、現在で言えば偏差値が高くて優秀であると言っているのでしょうか。 (ウツボ)う~ん、さらに、それだけではなくて、やる気のあるなしを含めて言ったのだろうかね。小山少尉は神戸高等商船学校の首席、田結少尉は海軍兵学校の首席。その二人を、課題を出して比べて見た結果、田結少尉の努力の成果を見て、そう判断した。 (クマノミ)田結少尉と同じ兵学校出身の指導官と副長の意見ですから、身びいきとも考えられるのではありませんか? (カモメ)それも、あるでしょうね。自分たちの出身校、海軍兵学校は優秀でなければならないとの意識は当然あったでしょうから。 (ウツボ)いや、だが兵学校にも、高等商船学校にも優秀な人も多いだろうが、玉石混合だから、一概に決め付けた評価はできないはずだ。現在の大学でも同じですね。会社においても学歴というものは、絶対ではないはずです。 (クマノミ)でも、今の職場では、女の子が集まると、あの課長は京都大学卒だとか、誰々君は広島大学卒だとか、いろいろ噂したりします。 (ウツボ)それは、噂はするでしょう。でもそれだけの話じゃないですか。銀行だって実力本位でしょう。ところで、クマノミさんも、きっと素敵な大学を出ておられるのでしょう? (クマノミ)あっ、……いえいえ、わたくしは京都のD女子大で、……私立の並み……といったところです。 (カモメ)ゴホン、そろそろ、本題にもどりましょうよ。 (ウツボ)ああ、D女子大……キャンパスの美しい女子大ですね。素晴らしい大学じゃありませんか。若いころ、俺の憧れの大学でしたよ。 (クマノミ)ええっ、ウツボ先生の憧れの大学、なんですか? (ウツボ)あっ、いや、それはね、高校のとき憧れた女の子がいて、彼女がD女子大に入ったのです。 (クマノミ)へ~え、では、わたくしの先輩ですね、その憧れの人は。その人、今どうしておられるのですか? (ウツボ)…いや、よく知りません……。 (クマノミ)その人、きれいな人だったのでしょうね。 (ウツボ)ええ、美しい人でしたよ。それに、とても清らかで、男子たちの憧れの的でした。クラスのマドンナでした。 (クマノミ)すごい、清らかなマドンナですか。……女優やタレントで言うと、どんなタイプですか? (ウツボ)…優木まおみ、かな……。 (クマノミ)……(一瞬、引いた表情だが、気を取り直す)。 (カモメ)……(しかめっつら)。 (カモメ)ゴホン、ゴホン、ウツボ先生、このへんで本題に戻りましょう、戦争の話に、戦艦武蔵の話に。 (クマノミ)カモメさん、ウツボ先生が、ご自分の青春のロマンスの話をされているのです。わたくし、もっと、お聞きしたいです。 (カモメ)あのね、クマノミさん、すでに、もうかなり本題からはずれているのです。脱線すると、話の筋がボケて、収拾がつかなくなりますからね。このへんで、ね。 (ウツボ)そうだね。このあたりが潮時かな……本題に戻りましょう。戦艦武蔵の小山少尉と田結少尉の話だね。「やはりちがうな」と言われた小山少尉は苦々しく思った。では、優秀とは、何をもって優秀というかだね。立派な大学に入り、在学中素晴らしい成績だったら、確かに学問は優秀だ。だが卒業後社会に出てからは、どれほど実力をつけ実績を上げたかで評価される。また、世の中にどれだけ貢献したかで決まる。 (クマノミ)わたくしも同感です。 (ウツボ)クマノミさん、あなたは、腹話術のボランティアグループで大震災の募金活動を行ったり、老人ホームや障害者施設を慰問したりして奉仕活動をしておられますね。あなたのような方こそ優秀な人なのですよ。 (クマノミ)いえ、わたくしなんかは……そんな。 (ウツボ)いやいや、大人になると自分のことで精一杯になり、俺なんかも、無償の奉仕はなかなかできません。本当に、ご立派です。 (カモメ)ゴホン。本題に戻りましょう。小山少尉は戦後、運輸官僚として政治的な実績をあげ、その後数社の海運会社の社長を歴任していますね。 (クマノミ)小山少尉は、海運会社の社長になられたのなら、戦艦武蔵の艦長になった位、偉いのではありませんか? (ウツボ)ハハハ、面白いこと言いますね。……確かにね。とにかく、戦後、海運界に大きく貢献した人だ。その小山少尉が、戦艦武蔵では、艦長の出した課題に、たった一枚の解答用紙を提出しただけだったのだね。 (カモメ)それに対し、田結少尉は詳細な分厚い一〇〇枚の解答を提出したのですね。これは勿論正解だったが、小山少尉の一枚の解答も正解でした。 (ウツボ)だが、詳細に述べた田結少尉のほうが優秀であると、決めつけられた訳だ。副長たちはたった一枚の解答用紙で済ませた小山少尉が腹立たしかったのだろう。このことが大きく小山少尉と田結少尉の人生に影響していった。それを次にもっと詳しく述べていこう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.07.29 10:31:18
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