テーマ:意外な戦記を語る(748)
カテゴリ:陸軍大学校首席列伝
【五五期首席・緒方景俊少佐(陸士四六)】
(カモメ)次は、五五期首席の緒方景俊(おがた・かげとし)少佐ですね。五五期は昭和十四年十二月十三日入学、昭和十六年十二月五日卒業。卒業者数七十名。三笠宮崇仁親王(皇族)少佐、井田正孝中佐、浜谷政男中佐、山本信市中佐、神直道中佐、衣笠駿雄少佐、久納清之助少佐などがいますね。 (ウツボ)緒方景俊少佐は、大正二年九月一日生まれ。鹿児島県出身。教員である緒方竜之進の息子。伊集院中学、東京府立四中を経て、陸軍士官学校入学。昭和九年六月陸軍士官学校卒業(四六期)、十月歩兵少尉、歩兵第十五連隊附。 (カモメ)昭和十一年十月歩兵中尉。昭和十二年十二月陸軍士官学校附。昭和十三年七月歩兵大尉。昭和十六年十二月陸軍大学校卒業(五五期首席・航空兵大尉)、参謀本部三課員。 (ウツボ)昭和十七年三月第三飛行団司令部員、八月航空兵少佐、九月第五一教導飛行師団参謀。昭和十八年八月大本営参謀。昭和二十年四月陸軍省軍務局課員、八月十五日復員。 (カモメ)昭和二十七年七月警察予備隊入隊。昭和三十年代後半、防衛研修所副所長に就任(空将補)。昭和四十年七月十六日空将、航空自衛隊幹部候補生学校長。 (ウツボ)昭和四十一年四月三十日統合幕僚会議事務局長兼統合幕僚学校長。昭和四十二年十一月十五日術科教育本部長。昭和四十三年十一月十八日第十代航空幕僚副長。 (カモメ)昭和四十四年四月二十五日第八代航空幕僚長。昭和四十六年七月一日退官。昭和五十七年十二月二十六日死去。享年六十九歳。 【五六期首席・田中俊資少佐(陸士四八)】 (ウツボ)次は、五六期首席の田中俊資(たなか・としすけ)少佐。五六期は昭和十五年十二月二十六日入学、昭和十七年十一月三十日卒業。卒業者数九十六名。松永真一郎中佐、堀栄三中佐、酒井正美少佐、戸梶金次郎少佐、中村龍平少佐、渡辺博少佐、野口省吾少佐、野中国男少佐、津野田知重少佐などがいる。 (カモメ)田中俊資少佐は、昭和十一年六月陸軍士官学校卒業(四八期)、十月歩兵少尉。昭和十四年陸軍予科士官学校区隊長。昭和十七年十一月陸軍大学校卒業(五六期首席・歩兵大尉)。 (ウツボ)田中俊資少佐の父は、田中静壱(たなか・しずいち)陸軍大将(兵庫・陸士一九・陸大二八恩賜・歩兵第二連隊長・暹羅国コンマンドール・クーロンヌ勲章・米国大使館附武官・第四師団参謀長・少将・歩兵第五旅団長・関東憲兵司令官・中将・憲兵司令官・第一三師団長・勲一等瑞宝章・勲一等旭日大綬章・東部軍司令官・第一四軍司令官・東京第一陸軍病院入院・大将・陸軍大学校長・第一二方面軍司令官兼東部軍管区司令官・終戦・拳銃自決・従三位・勲一等・功三級)だね。 (カモメ)田中俊資少佐は、関東軍参謀などを歴任し、最終軍歴は陸軍大臣秘書官ですね。 (ウツボ)著書は、「吉田松陰」(松陰神社維持会)、「南朝盛衰期」(1~5巻)(評伝社)、「楠正行」(1~5巻)(評伝社)、「菩提樹―遺構集」(田中洋)などがある。 (カモメ)ところで、陸軍大学校は、昭和二十年四月に山梨県甲府市の常盤ホテルに疎開され、八月の終戦と共に廃止されましたが、五七期から六〇期までは首席が不明なので、各期の概略を述べていくのですね。 (ウツボ)そうだね。五七期は、昭和十六年十二月二十四日入学、昭和十八年十一月三十日卒業。卒業者数九十三名。優等は、金冨与志二中佐、大橋吉夫少佐、中島純雄少佐、登東洋夫少佐、笛田房吉少佐、山口二三少佐。 (カモメ)五八期は、昭和十七年十二月十三日入学、昭和十九年七月三十一日卒業。卒業者数百三名(内、航空学生の一部十六名は昭和十九年五月に卒業)。優等は、中津川七良中佐、小林一男少佐、是松俊夫少佐、高杉恭自少佐、田中岩男少佐、南重義少佐。 (ウツボ)五九期は、昭和十八年十二月一日入学、昭和十九年十二月二十日卒業。卒業者数は百九十九名。優等は、植村英一少佐、大塚賢治少佐、高橋正二少佐、高橋照次少佐、谷村弘少佐、寺本光少佐、三好秀男少佐、保田直文少佐。 (カモメ)六〇期は、昭和二十年二月十一日入学、昭和二十年八月六日卒業。卒業者数は百二十名。優等は、河野庫吉少佐、阪初彦少佐、浜田康臣少佐、森下三千𨈺少佐、義江駿少佐、塚本勝一大尉。 (ウツボ)今回で陸軍大学校首席列伝は、終了するが、カモメさんはどういう感想を持ちましたか。 (カモメ)そうですね……陸軍大学校をトップの優秀な成績で卒業した人が全員、必ずしも、軍人として栄達を極めたとは言えませんでしたが、ほとんどの人が軍人として、要職の責務を果たしているという印象を受けました。 (ウツボ)そうだね。俺は陸軍士官学校や海軍兵学校の首席卒業者の軍人も並行して概略調べてみたけれど、こちらは、その軍歴が、不思議なほどに波瀾万丈というか、十人十色という印象だね。 (カモメ)それに比べて、陸大の首席卒業者は、その士官学校卒業者の中から選抜されて入学した学生の中から、さらにトップになった訳ですから……。 (ウツボ)もちろん陸軍士官学校も全国選抜で優秀な人材が揃っていた。だが、陸軍大学校は、教育内容そのものの評価はいろいろあるが、その学生は一流の人物だったといえる。 (カモメ)そういう点では、旧帝国陸軍の中では、陸軍大学校は現在の東大にも匹敵した最高教育機関といえるのでしょうね。 (ウツボ)いやいや東大というより、これは俺の個人的見解だが、陸大はフランス国立行政学院に相当する印象を受けたね。 (カモメ)う~ん、そうですか……、確か、超エリート官僚を養成する国立教育機関ですよね。 (ウツボ)まあ、少し飛躍しすぎたかもしれないが、でも、陸大は、大臣や首相を多数輩出しているのだからね。それでは、今回は終わりにしましょう。次回からは海軍大学校の首席を見ていこう。 (今回で「陸軍大学校首席列伝」は終わりです。次回からは「海軍大学校首席列伝」が始まります) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.07.04 21:17:09
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