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意外な戦史を語る~  カモメとウツボのメクルメク戦史対談

意外な戦史を語る~ カモメとウツボのメクルメク戦史対談

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2015.01.23
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(カモメ)明けまして、おめでとうございます。今年もよろしくおねがい致します。

(ウツボ)おめでとうございます。こちらこそ、よろしくね。カモメさんは、新婚早々の新年で、クマノミさんと、人生最高の正月を迎えられたのでしょうね。

(カモメ)いえいえ、今年の正月は、俺の実家に行ったり、クマノミの実家に行ったり、結構忙しくて、アットいう間に過ぎました。ウツボ先生は、正月に、ヒラメの家に行かれたそうですね。ヒラメが言っていましたよ。

(ウツボ)そうですか、……ヒラメが、何と言っていたか知らないが、……俺は今、少し落ちこんでいるのです。……それはともかく、実は、ヒラメのお父さんに招待されたのですよ。

(カモメ)ヒラメの祖父は海軍士官で駆逐艦乗組みだったので、そのことですね。

(ウツボ)ヒラメのお父さんは、旧海軍のことにあまり関心がなくて、自分の父親が海軍士官だったことについて聞きもしなかったし、父親も戦争のことはあまり話さなかったらしい。それで、父親の死後、父親の昔の海軍時代のことが妙に気になって来て、それで少しは海軍に詳しい俺に話を聞きたいと招待されたのだよ。

(カモメ)そうですか。具体的にはどのような内容でしたか。

(ウツボ)ヒラメの祖父が乗組んでいて、撃沈された駆逐艦のことが一つ。もう一つは、ヒラメの祖父は海軍中尉だったが、海軍兵学校出身ではなく予備学生出身だったので、そのことだね。

(カモメ)…ところで、どうしてウツボ先生は、落ち込んでおられるのですか?

(ウツボ)まあ、聞いてくれよ。カモメさんは、親戚だからよく知っているだろうが、……行ってみたら、ヒラメの家は旧家で、和風の大豪邸だったよ。

(カモメ)そういえば、そうですね。

(ウツボ)そういえば、……だって?…カモメさんの実家もさぞかし大豪邸なんだろうね。……だが、アパートで独り暮らしの俺には、考えさせられたよ。一体全体、日本の資本主義国家体制における勝ち組と負け組の格差は、……どれだけ大きいのか!!……とね。

(カモメ)ウツボ先生、少し、大袈裟すぎますよ。

(ウツボ)いやいや……、大豪邸の門の前に立った時、俺はそれを実感させられて、柄にもなく落ち込んでしまった。それに加えて、ヒラメの家のおせち料理は、ものすごく豪華な大饗宴で……、俺は、ますます恐縮して、料理ものどを通らなかった。

(カモメ)のどを通らなかった?……いつものウツボ先生とは違うじゃないですか?

(ウツボ)いやいや、……それで、俺は、もう、口数も少なく、サイレント・ネイビーになってしまって、……酒だけは大いに頂いたのだが。そしたら、間が持てなくなったのか、ヒラメのお母さんが、笑いながら「酔い覚ましに、近くの神社にお参りしない?」と、さそってくれたので、俺も「じゃあ、おみくじでも引きますか」と、幼稚なことを言って、みんなで神社にお参りして、俺は、そのままサヨナラしたという訳だ。

(カモメ)ヒラメも、いたのでしょう?

(ウツボ)ヒラメのお嬢様も、いるには、いらっしゃったけどね…、「ウツボ先生、どうして、今日はそんなに神妙なんですかぁ~」「借りて来た猫みたいですよぉ~、」「酔っ払って、猫になっちゃって、サイレント・キャット、可愛い!」などと、酔った俺をからかってばかりで。しまいには、お母さんに叱られていたよ。俺といえば、ひたすら、ニヤニヤと、顔で笑ったり、心で泣いたり…。

(カモメ)ヒラメも少し、調子に乗りすぎです。俺が、今度、言ってやります!

(ウツボ)いやいや、やめてよ、そうじゃないんだ、……そうじゃないんだ……もうやめよう!…本題に入りましょう。

(カモメ)ウツボ先生、元気を出してくださいよ。気にするほどのことじゃありませんよ。

(ウツボ)……まあ、とにかく、本題をやりましょう。今までは陸軍大学校の首席を論じてきましたが、今回からは海軍大学校を首席で卒業した軍人の経歴とエピソードを見ていくのだね。

(カモメ)そうですね。「海軍大学教育」(実松譲・光人社)によると、海軍大学校は、明治二十一年七月十四日、東京・築地の旧海軍兵学校生徒館に開校したのですね。

(ウツボ)明治二十一年十一月十五日、甲号学生十名、乙号学生七名、丙号学生六名が入校、十一月二十六日から授業を開始した。

(カモメ)これに先立ち、明治十九年、当時の海軍大臣・西郷従道(さいごう・じゅうどう/つぐみち)中将(薩摩藩士・西郷隆盛の弟・精忠組・明治維新・太政官・陸軍少将・陸軍中将・西南戦争・陸軍卿代行・近衛都督・参議・陸軍卿・農商務卿兼開拓使長官・伯爵・海軍大臣・内務大臣・枢密顧問官・海軍大将・侯爵・元帥・享年五十九歳・従一位・大勲位・功二級)は、海軍大学校の創設を指示したのですね。

(ウツボ)そうだね。明治二十年、西郷海相は欧米諸国を視察し、教育の調査・立案には学識のある者をその衝に当たらせる必要を感じた。

(カモメ)そこで、西郷海相は、イギリスの海軍大臣と交渉して、英海軍のジョン・イングルス大佐を教官として日本に招聘することにしました。

(ウツボ)イングルス大佐は、その期待にそむかなかった。彼は日本の海軍大学校創設に大きく貢献した。また、教官として数年間、学生に戦術を講義した。

(カモメ)イングルス大佐は、戦術講義において、「単縦陣戦法」(艦隊を、旗艦を先頭として、縦一列に並ばせる陣形で、敵に対する一斉砲撃ができる)を、強調して、学生に教えたのですね。

(ウツボ)そうだね。以後、日本海軍は、この「単縦陣戦法」を取り入れ、訓練に明け暮れた。その結果、日清戦争の黄海開戦や、日露戦争の日本海海戦などで、大勝利した。

(カモメ)陸軍大学校にドイツのメッケル少佐が貢献したように、海軍大学校にはイギリスのイングルス大佐が大いに貢献したのですね。

(ウツボ)貢献どころか、イングルス大佐の「単縦陣戦法」は、日本海軍の作戦の主要戦術となった。さて、具体的に、海軍大学校を首席で卒業した軍人の軍歴とエピソードを見ていくのだが、海軍大学校草創期の、「甲号学生一期~四期」(明治二十二年卒~二十五年卒)は、首席が公表されていないというか、分らないので、省略させてもらいます。









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最終更新日  2015.07.04 15:48:17


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